#29 インサイド・アウト――裏腹
エイミーにとって《リヴァール号》で過ごした六十日間ほどは、それまでの数年間に匹敵する濃厚さだったといっていい。
しかし、別れのときはやってきた。
地球から持参した小さなトランクと、パンタミーマから受けとった宇宙服の入った箱の二つを手に、彼女は気密扉の先に降ろされたタラップへと足を踏み出そうとしていた。
その狭い鋼板敷の一角に大柄な男が立っていた。
チクローポだった。
「ティーポ! こんなところでなにしてるの? それにそんなに大きな荷物どうするつもり?」
「ガニメデで降りる」
エイミーは詰問し、激昂した。
「ミーシャのこと放っておいて、どういうつもり? 話もしてないんでしょ? あんまりだよ !! あんまりにもミーシャに冷たすぎるよ !! ――あなたの顔なんて、見たくもない!」
「パヴリーン」
「そうやって呼べば、わたしが尻尾を振って付いていくとでも? とんでもない勘違いよ!」
このとき、エイミーの心は真っ二つに引き裂かれていた。
南北両軍の基地にたった一人で乗り込む危険を、彼女が感じていないはずがなかった。
下手をすれば命を落としかねない。そう考えたときもっとも傍にいてくれることで安心できるのはチクローポだというのを、彼女は胸の奥底で感じ取っていた。
しかしそれと同じか、それ以上にエイミーは知っていた。パンタミーマを本当に幸福にできる人は、チクローポ以外にいないと。
「お前を守ることが、あいつを守ることになる」
その囁くような言葉を聞いていたのか定かではなかったが、二人の会話に割り込む声があった。
「おうおう、お二人さん、こんなときにまで喧嘩かい」
「ミーシャ!」
「行くならいく、行かないならいかない。どっちかにしろって。二人とも踏ん切りが悪いんだよ。――ティーポ、あんたもあんただよ。こんな目立つとこで待ちやがって。あたしに見つかるに決まってるだろ。もうすこし頭を使えよ。見損なったよ」
「ミーシャ、わかった。わたし行くね。いろいろありがとう。ミーシャのこと一生忘れない。――ティーポ、あなたは好きにすればいいわ。さようなら」
そういってエイミーはタラップを駆け下りていった。
チクローポはなにもいわずにその後を追った。
パンタミーマは、二人の姿が見えなくなるまで見送っていた。
「それは俺が持つ」
「触らないでよ!」
「いいから」
チクローポはエイミーの腕から、宇宙服の入った箱をひったくった。
彼の大きな荷物には撮影機材やらなにやらが入っているのだろうが、苦にする様子ひとつなかった。
「わたし、ディジアに手配してもらった北軍の地上巡航車に拾ってもらうの。あなた軍隊とか嫌いでしょ。来ても無駄よ。どうせ逃げ出すんだから。返してよそれ!」
「逃げない」
「ならいいわ、そんなもの無くても困らないから」
エイミーは胸を焦がすようなじんじんとする安堵に痺れながら、怒りを口から吐きつづけた。
「北軍とか南軍とか宇宙機構とか聞いただけで、機嫌が悪くなるなんてお笑いだわ! 子どもだって戦争ごっこくらいするのに。馬鹿みたいに大きな身体して、臆病者ね」
「ごっこはごっこだ」
「だったら、あなたのやってきたことだってごっこでしょ。綺麗な氷を撮影する? 馬鹿みたい。そのへんのお店で売ってる氷で十分じゃない。くだらないわ!」
「それは違う」
チクローポは思うがままに怒りをぶつけるエイミーに一言ずついい返した。
「あなた大体知らなかったじゃない。ミーシャがなんでティーポって渾名をつけたかすら。そんな鈍感な人がわたしを守れるわけない。笑いすぎてお腹が捩切れそうよ!」
「知ってる」
一瞬、エイミーの足が止まった。だがまた歩き出してチクローポに悪罵を浴びせた。
「嘘よ、嘘に決まってるじゃない。あなたはいつだってそうやって生きてきたのね。きっとミーシャにこういったんでしょ。『お前のお腹の子は俺の子じゃない』って。どうしてそんな下衆なこといえるの。人でなし!」
「嘘じゃない」
「ディジアを庇ったときだって、格好つけたかっただけでしょ。いいとこ見せてミーシャの心を縛ってやろうって魂胆だったんでしょ。あーいやだいやだ、反吐がでるわ。女をなんだと思ってるの。玩具じゃないのよ!」
「いい過ぎだ」
「だったらいい返してみなさいよ! 無口で無愛想。赤ちゃんだってもっと感情表現するわ。あなた真似して泣いてみなさいよ! ミーシャはあなたのこと貝だ石像だっていってたけど、死人よ死人! いいえ違うわ、屍喰人よ! それも人の心を食べる汚らわしい屍喰人よ! あー臭い臭い、それ以上近寄らないで。お願いだからどっかに行ってよ。付いてこないでっていってるの聞こえないの!」
「聞こえてる」
「あらそう、じゃあ聞こえてるならなんでしつこく付きまとうの。わかった、あなたは屍喰人でなくて悪魔だからね。耳の聞こえない悪魔ね。しかも女の魂が大好物。それもとても魅力のある女の魂を好むのよ。それどころか、きっと男の魂も食べるのよ。いや、誰だっていいんでしょ。だらだら涎を垂らしながら貪り食うのよ! 気持ち悪いったらない。――ヴォロンターリオを死なせたのもあなたでしょ !! 最低最悪だわ! 生きたい生きたいってしてた人の魂を地獄に突き落とすなんて極悪非道よ! ――いけない……わたしなんて酷いこといったんだろう……。ねえ、わからない? わたしあなたと一緒にいるとおかしくなっちゃうのよ。だから、どっかに行ってよ、着いてこないで……。ミーシャはどうしてあなたみたいな人を好きになってしまったんだろう……あんまりにも可哀想……」
「可哀想じゃない」
そのとき、エイミーは足元から這い上がってくる振動に気づいて振り向いた。
《リヴァール号》がプラズマを噴射して離床を開始しはじめたのだ。
「ティーポ! 行ってしまうわ! ねえ、ティーポ、行っちゃうよ、ミーシャが……」
エイミーはチクローポに駆け寄ってその胸に飛び込むと、拳で広い胸板を叩きながら泣いた。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿……ティーポの馬鹿……どうしてよ……」
「パヴリーン……すまない」
二人はそこに立ったまま、《リヴァール号》が見えなくなるまで、ガニメデの寂しげな色をした空を見あげていた。
そうして、あたりから物音が消え去るとまた歩き出した。
三十分ほど歩いたころ、北軍の巡航車との待ち合わせ地点に着いた。
こうなってしまってはと考えたのか、エイミーはトランクからタブレットを取り出して、五十年前に撮影されたとおぼしき画像を見せた。
「ねえティーポ、これは九歳のときのあなたね?」
そういって画面に写っている少年を指さした。
「そしてこっちはルフト博士。彼が二十二歳のときよ。――もしよかったら、説明してくれないかしら? わたし何度も調べ直したんだけど、どうしても間違ってるいるとは思えないの」
チクローポは動揺した様子も見せずにいった。
「これは本物だ。――パヴリーン、いつかわかる日が来るかもしれない。だから、よく聞いてくれ。孔雀は二つの卵を産んだ。俺はその卵を見つけた」
「例の水晶のことね?」
「黙って聞け。――俺はその二つをルフト博士に託した。ひとつは羽化したがひとつはしなかった。生まれたのはオスの孔雀だった。博士はその美しさに夢中になった。それでその孔雀からあるもの作った。だけど、それは俺の願っていたものとは違った。俺は博士に頼んだ。もう一個の卵を返してくれと。博士は俺のいうとおりにした。俺は卵を元あった場所に戻した。そのときに顔に傷を負った。たぶんその卵はメスのはずだ。――だが、羽化したオスの孔雀はもとに戻らなかった。それがいつしか世間に知れ渡った。博士は必死にオスの孔雀と、それから作ったものを守ってはくれた。話はそれだけだ」
「ティーポ、じゃあわたしが見た水晶玉は、きっとそのオスの孔雀から作られたんじゃない?」
「さあな」
「きっと、宇宙機構が開発した人工知能がそれよ。幾つあるのかは、わたしにもわからない。でも、南北両軍はそれに目をつけたのよ。そう考えればいろんなことの辻褄があうの……」
「そうか」
「ねえティーポ、もう一つだけ教えてくれる?」
「なんだ?」
「その、あなたが元に戻したメスの卵が見つかってしまったら、元もこもなくなるんじゃない?」
「奴らには見つけられない」
「どうして?」
「メスは地味だ」
「じゃあ当面問題になるのは、そのオスのほうなのね?」
「パヴリーン、お前はオスとメスの孔雀だ。それを知っておくといい」
「パンタミーマは、いまのところ目立ちすぎるメスだ」
「わかったわ。話してくれてありがとう。ようやくあなたの気持ちがすこしだけわかった気がする。――これ以上詮索しないわ。友達でいたいから」
「車が来た」
「そうみたいね」
エイミーはすぐにタブレットをトランクに仕舞って、なんでもない顔をした。
「なんだなんだ、女の文屋一人って聞いてたけど、男連れか。――おい、野郎ども、どうやらお楽しみはお預けらしいぜ」
下卑た運転手の声がした。
エイミーは背筋が凍るような恐怖に襲われながら、地上巡航車の後部に乗り込んだ。
チクローポがいなければ好き放題に弄ばれて、ガニメデの岩と氷の大地に投げ捨てられただろうと容易に想像できたのだった。
彼女は乗り心地のよくない地上巡航車の後部で、小刻みに震えながらチクローポの手を握っていた。
ガニメデには月や火星とは比較にならない、荒んだ兵士がいるのだと彼女の心に刻まれたのだった。
それから二時間ほどして、地上巡航車は北軍の基地に到着した。
時間的には取材できる余裕はあったが、その日は許可が下りなかった。




