#27 パラドクス――予感
自室療養に戻ったエイミーがはじめに取り掛かったのは、テライダことワイフィーからの調査報告を確認する作業だった。
火星の衛星ダイモスでの爆死事件以前と、集中治療室に居たときに依頼した調査報告まで含めると、それは膨大な量に膨れ上がっていた。
エイミーは医務室での治療のための時間以外、部屋を離れることなく作業に没頭した。
確認中にまた調べたいことが見つかることもあって、それは永遠に終わらぬ鼬ごっこのようでもあった。
そして、果敢にも彼女がはじめに挑んだのは、爆死事件に関するまとめだった。
"ヴォロンターリオ事件"と題されたファイルは日増しにデータが積み重ねられてはいったが、それと向き合うことは、エイミーの精神の根幹を恐怖に浸すことでもあった。
しかし、エイミーは耐えた。
突然の想起や悪夢はもちろんのこと、動悸や目眩、あるいは幻覚幻聴や震えと戦いながら耐え抜いた。
(パヴリーン、パヴリーン……心はパヴリーン……パヴリーン、パヴリーン、誰もがパヴリーン……)
苦痛に苛まれるとそう呟いて乗り越えていった。
そして、"ヴォロンターリオ事件"をまとめあげたエイミーは、それを即座に報道関連メディアに向けて幅広く送信した。
その結果が、どのような影響をもたらしたかを彼女自身が知るには、時間が必要だった。だが、戦争の一極面を真摯に捉えた内容は、一部メディアで取り上げられ好評を博した。
フリージャーナリスト"パヴリーン"の名が、太陽系圏に響く出来事となった。
十日が過ぎたころ、エイミーは確認やまとめに使った、手書きのメモや印刷した資料の整理にかかった。必要な情報をタブレットに入力し、不要な物理的メモや資料を破棄するためだった。
だが、作業の八割が終わったとき、彼女の手が止まった。
「そんな……ティーポとルフトさんが面会したことがあるってどういうことよ !? そんなことどう考えたってありえないはず!」
エイミーは、思わず口を衝いて出た声の大きさに驚き、ぴくりと反応した自分の身体にまた驚いた。
「待って、待ってよ……だってティーポはいま三十七歳のはず。それで、九歳のときにルフトさんに会ったってことは……」
彼女が手にしている写真には、まだ顔に傷のないころのチクローポ少年の姿が写っていた。そして、その隣にルフトの姿があったが、その顔は若々しい二十代前半にしか見えなかった。
「ルフトさんが二十代前半だってことは、すくなくともこの写真は五十年前に撮影されたはず。だったら、そのころティーポは生まれてるわけがない……待って、この写真は合成なの? いいえ、ありえない。ワイフィーがそんな写真に騙されるなんてありえないもの……じゃあどうしてなの? 二人とも別人だとでも? いいえ、それもありえない。この映像記録はDNA鑑定つきだもの。いったいどういうことなの?……」
エイミーは一瞬、自分の気が狂ったのではないかとさえ考えた。
だが、彼女はどうしてもそれが捏造されたものとは思えなかった。
「国際宇宙機構の公式記録と突き合わせても事実だといえるし、データのチェックはいつもどおり三重以上なんだから、どうしたってこれは本当のことなのよ……」
エイミーは興奮と混乱に支配されたのか、椅子を立って部屋をうろうろと歩きはじめた。
しかし、そうしたからといって考えがかわることもなかった。
「ああ、もういや! 頭がおかしくなりそう!」
そういって頭髪を掻きむしると、ベッドに飛び込んで仰向けになった。
(だからって、ティーポに直接聞くわけにもいかない。それに最近、彼はどこにいるのかさえわからないことばかり。自室の扉をノックしても応答はなし。――いやそれ以前に、ミーシャが妊娠してるってことさえ、わたし彼に伝えられなかったのに、『ティーポ、歳誤魔化してませんか? 本当は六十代前半でしょ?』なんて聞けるわけがない。というかそんなことありえない……でも、こういうのはどう? 彼の全身のほとんどは実はサイボークで若く見えるとか……。ないない……だって"ヴォロンターリオ事件"で負傷したじゃない。血が出てたもの。それに、彼の傷についての診断結果はふつうの三十代後半のものだったし、生身の人間だったもの。医務室にあるデータを全部ひっくり返したって、サイボーグだとか若年齢化改造なんてありえない……。じゃあやっぱりわたしの調査やワイフィーが間違ってるってこと? けど、あの記録映像、なんでルフト博士の名前は出してるのに、ティーポは匿名なんだろう?……ああそうか、青少年保護法のせいか……。でも、だったら写真も載せないんじゃないの? なのになぜ……)
エイミーはもう一度記録映像を見ようと起き上がって、テーブルまで歩いてそれを見た。
見出しはこうなっていた。
――国際宇宙機構のルフト博士、宇宙を夢見る九歳の少年と面会す!
記事の本文や解説部分には、なんら疑問を解決する手がかりらしきものは見当たらなかった。
そのとき、扉をノックする音がした。
エイミーは知りあいだろうと思ったのか、
「どうぞ」
といった。
扉が開くと、そこに一人の男が立っていた。
「ディッ!」
口から言葉が迸り出そうになったエイミーは、手で口を塞いで声を押し殺した。
そこに立っているのは、彼女が尊敬してきた元国際宇宙機構、統括本部長のディッキーに瓜二つの男だった。その愛称は、ミドルネームのディッキヒトに由来していた。
「あの、大した話じゃないんだけど、君の友達かな、なんか髪が派手な三色の人」
「ミーシャですね?」
「ん?……確かパンタなんとか……」
「パンタミーマですね」
「そう、その人に頼まれごとをされて断ったんだけど、だったら本人に断ってこいっていわれて……それで困って、ようやく探し当てたんだけど……」
「あ、入ってください。なんだか込み入った話そうなんで」
そういいながら、エイミーはその男の頭から爪先までを眺めまわしていた。
(世界には似た人が三人いるっていう俗説があるけど、あまりにも偶然が重なりすぎると、なんだかね……)
「そこに、座ってください」
二人はテーブルを挟んで、肘掛け椅子に腰掛けて向かいあった。
「僕、フイデースといいます。ベスタからこの船に乗った、月基地に所属している南軍の整備士です」
「ああ、噂になってたんで、そういう人がいるとは耳にしてました」
エイミーはようやく冷静さを取り戻しはじめていた。
「それで、その要件なんですが、何でもガニメデで取材をされたいとか。で、その際、北軍を取材したあと南軍基地に向かいたいと。それでですね、そのパンタ……なんでしたっけ?」
「パンタミーマです」
「そう、その方に頼まれたんです。『お前なんとかできないか?』って」
エイミーは笑った。パンタミーマらしいやり方であり、それにまんまと巻き込まれた男の素直さが可笑しかったのだった。
「それで、『それは出来かねます』って、わざわざわたしに伝えにこられた。そういうことでいいんですね?」
「そうです。その通りです」
「あ、わたしエイミーといいます」
「エイミーさん……エイミーさんね……」
「フイデースさん。彼女のこと許してあげてください。悪気はないんです。一生懸命なだけなんです。でも、わたしそういう彼女が友達として誇りなんです」
「なるほど。僕も協力できるならとは思ったんだけど、なにしろ軍隊ってのは融通が効きませんので。僕、ベスタで操縦士の資格試験を受けてきたんですけど、見事に失格でした。それに人の名前を憶えるのが苦手で……。整備なら誰にも負ける気はしないんですがね。もっとも武装は除く、ですが」
そういってフイデースは屈託なく笑った。
エイミーはそれを聞いて、パンタミーマが心配していた、船内での南北整備士戦争は起こらないと確信していた。
「じゃあ……」
「そう、いわゆる良心的徴兵拒否者。もうすこし正確にいうと良心的戦闘拒否者といえばいいかな。だから、いまの状況は肩身が狭くて、それで操縦資格を取ろうかと。でも、志願して南軍に入ったんですけどね……」
「いろいろと複雑なようですね……」
「というか、僕も小耳に挟んだだけなんだけど、あなた、えっと……エイ……」
「エイミーです。――そんなに憶えにくい名前ですか?」
「いや、そうじゃないんだけど……。というか、もしかしてあの記事を書いたのはあなたかなって思って。例の爆死事件の……。あなたジャーナリストでしょ? それに、話し方と記事の文章がどことなく似てる気がするんです」
エイミーはフイデースと妙に気が合う気がして、
「すみません、時間がありましたら、しばらくお話ししませんか?」
と誘った。
そして二人は紅茶を飲みながら、二時間を超える会話を交わした。
結論としては、ガニメデでの北軍基地から南軍基地への移動は、どうやらパンタミーマが立てた作戦によるしかないのが、はっきりしただけだった。だが、エイミーはフイデースとの出会いになにか特別な予感を抱いたのだった。
もっともそれは、いまだ彼女のなかで息づいているディッキーの面影がそう感じさせたのかもしれない。
やりかけだった調査記録の整理と廃棄処分を終えたのは、その翌日だった。
エイミーは、ガニメデでの南北両軍基地での取材方針すらままならぬまま、三日後に到着する茶褐色と灰色の斑模様をした星を、自室の舷窓から眺めていた。




