#26 パヴリーン――無心
《リヴァール号》は船内時間の二日間、小惑星ベスタに駐機する予定になっていた。
貨物担当の乗員たちは、月で積み込まれ船の平衡状態を崩していた、大量の貨物の荷下ろしに忙殺されていた。
積荷のほとんどは正規の民需品で、密輸品はほとんどなかった。
集中治療室のベッドでそれを耳にしたエイミーは、
「荒くれてるのは見た目だけらしいわね。でも、どこかに秘密の船倉がある気もする。たとえばそことか」
とパンタミーマのお腹を指さして冗談をいった。
「だけどさ、月からベスタまで傾きっぱなしだったのに、人のことばっか心配して、すっ転んで痛い目に遭ったお馬鹿さんもいるらしいぜ」
と彼女もすかさずやりかえした。
《リヴァール号》の当初予定では、火星の衛星ダイモスの宇宙港で、積載物の均衡を取ることになっていたが、それが実現したのはベスタに到着してからだった。
もちろん、船もエイミーたちも完全に均衡を取り戻したわけではなかったが、多くの人たちは、竈の女神ヘスティアの加護だと微笑んでいた。
人類は宇宙に進出してもなお、捨てきれない"ナニカ"に縋っていたのかもしれない。
船内の風景も変わった。
パンタミーマは医務室を去り、客室乗務員の仕事に戻った。妊娠を知ってからの彼女は、決して無理をすることがなかった。
チクローポも自室療養になった。だが時折、どこかに姿を消してしまい、それにあわせるかのように傷の回復が停滞する症状を見せていた。
ディジアはヴォロンターリオ爆死の件からか、ドクター・パンチャの意向からなのか担当患者を持つことなく、整備士と看護師と、医務室の相談員としての日々を送っていた。
エイミーは集中治療室から個室に移されはしたが、いまだストレス反応や障害を、完全には払拭できていなかった。
ときどき、事件のことが突然想起したり深夜に悪夢にうなされて呻いたり、動悸や目眩に苦しんだり、幻聴や幻視に怯えて震えだすこともあった。
貨物担当の乗員たちの作業が終わりかけたころ、パンタミーマはひとつの噂を耳にして、いつも通りのお見舞いでエイミーの病室を訪れた。
「おうおう、今日はまた顔色がいいじゃないか。なにかいいことでもあったのか?」
「ミーシャは相変わらずね。どうしてそんな風にしてられるの? あれからティーポと話しすらしてないらしいね。どうして?」
パンタミーマは、被っていたベレー帽を取って椅子に腰掛けた。
「だってさ、チッコリーノはチッコリーノなんだから、しょうがないだろ」
「なにそのいいかた。お願いだからちゃんと話し合ってよ。わたしそうじゃないと、また病気になりそうなんだもん」
エイミーは半分冗談でいったのだろうが、パンタミーマはそれを聞いて心を痛めていたようだった。
「それで、ミーシャ、どうするつもりなの?」
「どうするって?」
「誤魔化さないでよ……」
パンタミーマは足を組み替えたあと、手にした金のベレー帽をいじりながらいった。
「そりゃ、産むよ……。当たり前じゃないか、そんなの」
「だったら尚更じゃない? お父さんになる人と話をするなんて。ティーポもティーポよ、どうしてなにもしないでいられるのか、まったく理解できない!」
「おいおい、そんなに怒るなって。あいつはそういう奴だってのは、あたしは元から承知してた。それにさエイミー……まじでそういう顔するなよ……。ストレス反応っていうのか、それで苦しんでたときの顔にそっくりなんだよ……」
エイミーはパンタミーマが顔に浮かべた恐れを読み取ったのか、しばらく黙って宙を見つめてからいった。
「あのねミーシャ。わたしのお婆ちゃんがそうだったの。お婆ちゃんの場合もっと酷くて、誰の子かすらわからなかった。それで産んだのがわたしの母さん。人それぞれ事情はあるのはわかるつもりなんだ。でも、そのこともあって、わたしとお婆ちゃんはずっといい関係を作れなかったの。だからかな、ミーシャが似たようなことになって欲しくないんだろうね……」
「ならそこは心配ない。だってあたし、家族は捨てたも同然だから」
エイミーの顔にまた怒りが浮かびはじめたが、彼女はそれに気づいたのか、ある言葉を胸のうちで繰り返し呟いていた。
(パヴリーン、パヴリーン、怒っちゃ駄目。だってわたしはパヴリーンなんだから……パヴリーン、パヴリーン……)
「でもね、そうだとしたらなおのこと心配だよ。ティーポがいまのままなら、ミーシャが一人で子育てすることになりそうだもん……」
「まあな、でも片親でまともに育った人間なんて、そこらじゅうにいるだろ? そうでもないか?」
「わからない、わからないよそんなこと……」
「おいおい、無理するなよエイミー。あんま考えすぎるとあれだろ?……また嫌な症状とかでるんだろ?」
パンタミーマらしくない転換のしかたといえたが、彼女からすれば精一杯の抵抗だったのだろう。
「とにかく、ガニメデまでまだ時間があるんだから、話し合ってみて。ね、ミーシャ」
「保証も約束もできない。……だってさ、相手が悪すぎるもん。エイミー、そこをわかってくれないかな? それにあたし、いままでとは違うぜ。なんかこう、真面目になろうみたいな炎が、全身で燃え上がってるみたいなとこあるんだ。もっともそれを見せてやることはできないけど」
そういってパンタミーマは、また足を組み替えた。
「あーあ、もう少し元気であれば、わたし意地でもティーポを掴まえて、首に縄つけてでも引っ張ってくるんだけどな……」
「なにそれ? 随分と過激なこというな。一体誰の影響を受けたんだか」
「ミーシャに決まってるじゃない!」
そのときの二人はそれでなんとか納得がいったようだった。
「そういえば、ディジアのこと聞いてるか?」
「耳の件でしょ?」
「そう。――それもあるけどさ、あいつお見舞い来ないだろ。もちろん理由ははっきりしてんだけどな」
「だって、彼女は夜勤担当でしょ。わたしもその時間は薬のんで寝ちゃってるしね。仕方ないよ」
エイミーはそういいながら、リッキーにそっくりなディジアの顔を思い出していた。
「いや実はな、来てる。――耳のこともお見舞いのこともいうなって、あの藪医者――じゃなくて、ドクターから口止めされてるけど、あたしからすればどっちもバレバレだ」
「ねえミーシャ、いい加減そういう風に人のこと詮索するのやめたほうがいいよ」
「だって癖なんだもん。――自然とやっちゃう、というか気づいちゃうんだからしょうがないだろ。てか、最近のエイミーだってそういうとこあるぜ」
「……」
「いやあのな、ディジーって控え目だけどさ、ちゃんとしてるってこと知っといて欲しかっただけ。たださ、これは噂なんだけど、ベスタから乗り込んでくる連中のなかに、南軍の整備士がいるらしくてな、二人が遭遇するとろくなことにならないんじゃないかって、あたしなりに心配してんだ。だってディジーは北軍所属だろ。船で戦争とか勘弁して欲しいんだ」
エイミーは幾分か疎ましげな視線でパンタミーマの顔を見ていた。
お腹の子どもやその父親のことには呑気に構えているのに、他人のことになると途端に闊達になることに我慢がならないようだった。
だがしかし、エイミーは胸のうちで呟いた。
(パヴリーン、パヴリーン、知っていても知らないでも同じ。だってわたしはパヴリーン……。心の奥底では、パヴリーン、パヴリーン……)
「ねえミーシャ、ディジアさんと関係あるかはわからないけど、わたしこう思った。――ディッキーとリッキーの件は、彼らはお互いの気持ちがわかっていて、わたしはそれを知らなかった。でも、ミーシャとティーポのことはその逆なの。二人はお互いに妊娠のことを知らなかったけど、わたしは知ってた。――どちらにしても、わたしはわたしでしかなかった……。なんかうまくいえないけど、それでいいという気もするし、そうでしかないという感じもするの……」
「……」
「それに、そう思えてきてからね、ディジアをディジアとして見られてる気がする……。なんだかよくわからない話だよね……」
「いや……まあ、なんとなくわかるような……」
エイミーにとってパヴリーンと唱え呟くことは、ただの呪文ではないようだった。
誰でもない誰かが誰でもない誰かと繋がっている、そういう感覚を奥深いどこかで感じているようだった。
そこに辿り着きさえすれば、なにも恐ろしいものはないと感じていたようだった。
その日、《リヴァール号》は予定どおり、ベスタの民間宇宙港を離床した。
南軍の整備士フイデースを新たな乗員として迎えいれて。
船が星屑を抱いた漆黒の天鵞絨のうえを走りはじめて一週間が過ぎたころ、エイミーは医務室を離れて、自室療養できるまで回復していた。
彼女の当初の目的地ガニメデまで、残すところ二週間を切っていた。




