#25 エクセプション――命
小惑星帯に無数にある天体のなかで、特に大きな星は、ケレス、パラス、ベスタ、ヒギエアと呼ばれていた。
もっとも大きいケレスには、北軍の基地があり、小惑星帯随一の軍事的根拠地になっていた。
次に大きなパラスには、南軍の基地があり、ここもまた重要な軍事的拠点となっていた。
したがって、三番目に大きなベスタは、ほとんどすべての施設や設備は民需が占めていた。
しかも、南にしろ北にしろ、この宙域で直接戦闘を交える気はないと見積もられていた。
木星と火星を結ぶ、補給地として重宝されていたのが一番の理由だったが、ほかにも理由はいくつかあった。
なにより無数の星、というより岩塊があったこと。
また、それらが比較的間隔をおいてあり、常に流動的に移動していることから、岩塊を隠密裏に補給地にしたり、火星からの増援艦隊の停泊地として利用できたからだった。
さらに、木星で傷ついた艦隊を火星や月に戻して、再編成や再整備する中継地としても重宝されていた。
だから、小惑星帯は太陽系圏にあって、もっとも戦禍を被らない宙域だと、多くの人の目に映っていた。
《リヴァール号》の、地球とガニメデを結ぶ航路にあっても、往路復路とも、ベスタは気の休まる場所と見られていた。
地球からガニメデまでの往路、約六十日間にあっては、ベスタ到着は約四十日目に当たる。行程の三分の二であり、乗客はもちろん疲れがではじめた乗員にとっても、ベスタは休養地という印象をもたらした。
また、復路にも似た面があった。木星宙域は戦争の最前線であったから、ガニメデは決して安全とはいえない。だから、そのガニメデから約二十日目の航行でベスタに到達することは、戦災を免れた実感を乗員乗客に与えたのだった。
《リヴァール号》は、そのベスタまであと約一週間の位置にあった。
ドクター・パンチャは、小惑星帯の事情を念頭において悩んだあげく、内線電話をとって機関科整備士のディジアを医務室に呼び出した。
「すまんな、いつも急で」
「いえいえ。なんだかヴォロンターリオが居なくなってから、休める時間は増えたんですが、物寂しさもありまして……」
ディジアの佇まいには、いつもと変わらぬ上品な静けさがあった。
「それで、耳のほうはどうじゃね?」
「不便といえば不便ですが、先生お勧めの補聴器があるので、いまのところ困っていません。――それに、なにかに集中していればほとんど気になりません。――なにもしないで漫然としてるときに、聞き漏らしたりはあるんですけど」
すこしばかり気になるのか、彼女は聴力を失った側の耳を触りながらそういった。
「その『漫然と』のところが気になるんじゃが、なにもしてやれんな……。ときどき思うんだ。魔法でもあればと……」
どういうわけか、ドクター・パンチャはディジアに対してだけ、心を開いて本音を語ることが多かった。
「それでな、ひとつ相談があって来てもらったんじゃ。あの子の件、エイミーのことだな」
「といいますと?」
ディジアは聞こえる側の耳を考慮して、長椅子に並んで腰掛けていたが、耳を深く傾けるようにして先を待っていた。
「もうすぐベスタに着くじゃろ。だから、あの子をそこで降ろすべきか悩んでたのじゃよ」
「難しい問題ですね。まだ本人の意思を確認できる状況ではないですよね?」
「そのとおり……」
ドクター・パンチャは腕組みしながらディジアの言葉を待っていた。
「となると、常識で考えれば親御さんとか後見人の判断を仰ぐわけですが、彼女の場合いまはそのどちらも不可能です。となると、彼女がもっとも親しくしている人なりますから、それだとタミーになりますね」
「だからなんじゃ!」
「そうですね……」
深刻な問題なのはわかっていたが、ディジアはパンタミーマが素直に首を縦に振るとは、到底思えなかったのだった。
思わず笑いが零れそうな顔をしたあと、彼女はしばらく黙って考えていた。
「先生、こういうのはどうですか? チクローポさんとエイミーさんを接触させてみるというのは?」
「あの男かね? 別に構わんのじゃが、あの男は無口すぎて接触させる意味があるのかどうか……。腕の傷はだいぶいいんじゃが、顔もあれだしな。傷を見てあの子が恐怖を感じないとはいいきれない……」
そういってドクター・パンチャは溜息をついた。
「賭けですね」
「賭け? 理性的な君が珍しいことをいうね。しかし君、儂は賛成しかねる」
「では、先生はあの子をベスタで降ろしたいんですね? もう心は決めてらっしゃるように見えますけど?」
「相変わらず痛いところをつくね。でも、儂はそれが一番じゃないかと。つまりこうだ。――あの子をベスタで降ろす。ベスタはいまのところ一番戦争に巻き込まれる恐れがない。しかも、幸運なことに、規模こそ火星の十分の一程度じゃが、ほとんどが民需だし、医療設備もしっかりしておる。火星以上にな。仮にパンタミーマがあれこれいおうと、ガニメデに行った帰りに拾って帰ることもできるわけじゃ。もし仮にガニメデで戦禍に巻き込まれようものなら、あの子は本当に再起不能じゃよ。――だが、そうするためには、あの強情なパンタミーマを説得しなければならん。なんど考えても問題は結局そこに戻ってくる。そして、儂が説得できる自信はゼロじゃ……」
ドクター・パンチャは以前にも増して大きな溜息をついた。
「確かに、理性的に考えればそれが一番だとわたしも思います。ですが――」
とディジアはその先をつづけた。
「先生、機械も人間も案外、賭けな部分があるとは思われませんか?」
「またその話か……」
「わたしが機関に夢中になったのは、子どもの頃なんです。はじめて買ってもらったラジコンが切っ掛けでした。それがある日壊れました。あっちこっちいじって父に泣きついて直してもらったんですが、動きませんでした。泣いて泣いて、わたしもあっちこっちいじって、つまり叩いたり揺すったんですけど、そうしたら動いたんです。いまでも時々思い出すんです。――その後ですね、医学の道にも興味が湧いたのは。で、二足の草鞋になったんですが、わたしが見つけた共通点は、最後は賭けだという点なんです」
「……」
「どんなに緻密で精巧な機械であっても、ちょっとした油の具合とか大気の状態とかに影響されます。百本ある螺子の締めかたを完全に均衡にはできなくて、どこかしらに賭けの要素があるんです。人間なら尚更そうです。そうやって考えていくと、人間の場合、本能とか直観というのが案外あてになるときがあるんです。その人が持っている本質とか本性を引き出すためには、似たような人と関わるのがいい。その点で、あの子とチクローポさんは相性がいいのではないかと?」
「なるほどねえ」
「逆にいえば、エイミーさんが言葉を取り戻したあとであれば、タミーが一番いいのはこれまでの経緯からしてもほぼ確実でしょう。でも、いまのあの子状態からすると、それは難しいですよね? もっともあの子とチクローポさんが、これまでにどれくらい親しくしてきたかは知りません。だから賭けであり勘なのは間違いないです」
「それで上手くいけば儲けもの。いかないとしても、パンタミーマの件は問題にならない」
ドクター・パンチャの顔には、見えない文字で、彼女はいまでも大の苦手と書かれていた。
「あと、もし上手くいかなくて緩和や回復が遅い場合は、ガニメデさえ凌げれば地球に帰ることになるんじゃないですか? もっともあの子がやりたいと思っていた取材活動はできなくなるんでしょうけど」
「あとはあれじゃな。ベスタの医療設備が優れているとしても、医師や看護師に恵まれるとは限らんということじゃな?」
「そうですね。――つまり、責任意識の問題もありますね」
いささか、ドクター・パンチャを責めているとでも感じたのか、ディジアは老医の肩に触れてから話しはじめた。
「先生。人間て不思議な生き物ですね。感覚があって記憶があって、それ以外があって、そして言葉がある。それらが複雑に絡まっている。でも、それらを繋いでいるのは、それ以外なんじゃないかって感じるときがあるんです。でも、こう文明が進歩してしまうと、どうしても言葉に頼りすぎてしまう。今回の場合もそういえるんじゃないですか? 彼女が名前を取り戻す方向ばかり見てきた。でも、逆からのアプローチもあるんじゃないでしょうか?」
「よーくわかった! 儂も腹を据えることにするよ。伊達にこの船に乗って藪医者と呼ばれてきたわけじゃないからね」
ディジアは、その宣言に思わず吹き出し笑いをしたあといった。
「素敵な藪医者ですね。――先生、わたし自身、ヴォロンターリオのことからもそういったんです。彼とは、わたしなりに必死に接してきました。でも、言葉に比重を置きすぎた結果があれだったんじゃないかって。最期のときも、結局わたしは言葉を武器にしようとしてました。でも、チクローポさんに庇われて気がついたんです。そうじゃないやり方もあるんじゃないかって」
「それで彼を推したわけじゃな」
「そういうことです」
こうして、エイミーが横たわる集中治療室は、チクローポの傷を治療する場所にもなった。
無口な男はその話があったとき、否定も肯定もせず、
「そうか」
とだけいった。
念のためにということで、エイミーが彼の傷を恐れないように、両腕や顔には創傷被覆材が貼られた。
彼女は初日から、特にチクローポを恐れることもなく、無口な男をヒトに近い動物の一種だと認識したようだった。
何度か彼の動作を真似たりしたが、すぐに興味を失ったようだった。
そうして彼女は、しだいにチクローポを自然に受け入れていった。
その無口な男はといえば、放っておけば何日でも口をきかないでいられたようだが、さすがに同室の相手を無とは見做さなかったのか、ときどき彼女になにかをいいたくなると、
「パヴリーン」
と呼んで、目配せや身振り手振りをして見せた。
「パヴリーン」
「……」
「パヴリーン」
「……」
「パヴリーン」
「……」
そしてある日、彼女がいつものように、立体音像動物図鑑を見ていたとき、急激な変化が起こった。
(パヴリーン、パヴリーン……ロシア語? パヴリーン、パヴリーン……フランス語? パン、パン……パンは原初の神、そうして孔雀?……)
「パヴリーン!」
彼女の口から大きな声が放たれた。
「パヴリーン、どうした?」
チクローポが訊いた。
そのとき、立体音像動物図鑑が映し出していたのは、悠々と羽を広げた孔雀の姿だった。
「パヴリーン……わたしは、パヴリーン……」
「自分が誰だかわかるか?」
「わたしは、パヴリーン……そして、エイミー・ゾイ・オイ……あなたは? ティーポ? ティーポなの?……」
「パヴリーン」
「ティーポ !!」
次の瞬間、エイミーは自分を取り戻した。
そして、すべての記憶の糸が繋がった。
「ティーポ、わたし大事なことを話さなきゃいけなかったの。でも、ずっといえなかった……。ミーシャのお腹にあなたの子どもがいるの……」
「なんだって !?」
「嘘じゃない。本当だよ! いけない……わたし、まだミーシャにもいってなかったのに……」
エイミーはそれだけいうのがやっとだったのか、そのあとチクローポの胸に飛び込んで泣きはじめた。
彼女が一番気にかけ、彼女が一番伝えたかったことが口を衝いて出たのだろう。
パンタミーマのお腹にいる子の父親が誰かという確信は、もちろんエイミーにはなかった。
ただ、彼女は心の奥底の深い部分でそう信じていたのだった。
自分を取り戻した衝動に押されて、踏まれていたブレーキが緩んだだけともいえた。
エイミー・ゾイ・オイは生き返った。
だが、彼女はもう以前の彼女ではなかった。
それまでの人格を根底で支えていたエイミーの代わりに、パヴリーンという存在がそこにあった。
彼女自身それに気づいていたとはいえなかったが。
エイミーが急性ストレス反応とその障害を乗り越えたことは、ドクター・パンチャによってすぐにパンタミーマに伝えられた。
そしてもうひとつ、彼女は自分が妊娠していることも知らされた。あの、過労と見られた症状がその証拠の一部だとも聞かされた。
「藪医者のいうことなんか、誰が信じるか !!」
と以前の勢い以上に猛烈に反発したが、検査結果の立体映像を目の前にして白旗を掲げた。
その日《リヴァール号》は、小惑星ベスタの民間宇宙港に着床した。
竈を守護する女神ヘスティアは、古代より命の炎を守ってきたともいわれる。
パンタミーマのお腹に宿った小さな命の炎がエイミーを生き返らせ、そのほかの人たちを守護したのかもしれない。
だが、その先には目指す目的地のガニメデがあった。
《リヴァール号》は、二十日後にそこに到着する予定になっていた。




