#23 ダメージ――傷
《リヴァール号》がダイモスを発ったころ、北軍の極秘ドックでは急ピッチの改装作業がはじまっていた。
謎の黒い宇宙船、すなわち北部条約機構の情報省による呼称、実験艦"X-Ⅲ"がその対象だった。
「このこと、南軍にもう察知されてるんじゃないのか?」
「超特急で改装して木星宙域に送り出せばいいってのが、上層部の判断らしいぜ」
「なにがなんでも、エウロパを落とすために必要らしいって聞いたが」
「"X-Ⅲ"は新鋭戦艦五隻分の予算らしいけど、改装にまた人と金を注ぐってのは、考えものじゃないか?」
「機関と武装を総入れ替えして、装甲の追加を一か月でなんて無茶苦茶だ」
「それにしても名前のない艦ってのは薄気味が悪いな」
「外した装備は封印して厳重管理だとさ。でも、それじゃ宝の持ち腐れじゃないのか?」
ドックの特殊造船省所属の工員たちは、思い思いに軽口を叩いたが、万が一、極秘情報を漏洩しようものなら、謀殺されうることを熟知していた。
他方、《リヴァール号》の医務室でもまた、ドクター・パンチャはじめ専従の看護師だけでなく、非常勤の看護師までが慌ただしく動き回っていた。
「それで、結局、何人になったんじゃ?」
ドクター・パンチャは疲れ切った顔で訊いた。
「死亡一名、重症二名、中等症六名、軽症十二名、仮病五名、合計二十六名です。もちろん仮病の連中は追い出しました」
看護師長が報告した。
「重体者がでなかったのは奇跡みたいなもんじゃな。――非常勤の人らはもう休んでくれて構わんよ」
集まっていた看護師の何人かが、ばらばらと自室に戻っていった。
「ディジア、もちろん君もだ。それにしても、爆発から一番近いところにいたのに、かすり傷ひとつ負わんとは、よほどいい星の下に生まれたんじゃろうな」
「チクローポのお陰です。あの人が庇ってくれなければ、多分即死していたと思います。――先生、彼の腕、よく診てあげてください。それと、ちょっと耳をやられたみたいなので、その検査だけお願いできますか? 吐き気はないんですが、軽い目眩と耳鳴りがあるので」
ディジアは、爆発の衝撃波と爆風をもろに受けたためか、まだ平衡感覚が戻っていなかった。
「わかった。すぐやろう。儂は君を月に無事に送り届ける義務があるからな」
「出向のときに口を利いてくれたのは先生のほうですよ。わたしはちょっとした謝礼をしたまでです。もう気になさらないでください」
ドクター・パンチャは剥げた頭を擦って照れたような顔をした。
「いや、儂にとっては大金じゃよ。もっとも、正直なところ北軍から礼金をもらった気分があってな。どうもこう、後ろめたさがいまだに抜けないんじゃ。特にこういう事件があると尚更じゃ」
「先生、ちょっと失礼します」
ディジアはふらつきを感じたのか、近くにあった椅子に腰掛けた。だが、そんな素振りは微塵も見せなかった。
「そういうところが信頼できたんで、先生に頼んだんです。それに、この船の機関が特別だって情報が、なによりありがたかったんです」
「ただね、整備一本にしてやれなかったのは、ひとえに儂の力不足じゃった。まあ、あんたの腕なら短い期間で、変わった機関のことも憶えられるんじゃないかとは思ったけど。――さあ、それより検査検査。さっさと終わらせて、君も儂もすこしは休まないとだからね。この様子じゃ医務室は当分、煩くなりそうじゃしな。さあさ、検査室へ」
ディジアは、このときのことが原因で、片耳の聴力を失い、残った一方も中程度の慢性的な難聴になった。
とはいえ、天性の素質というのだろうか、彼女の整備士と看護師の能力はまったく曇りを見せなかった。
もっとも治療に時間を要したのはチクローポだった。
両腕には数十か所の裂傷を負い、そのほかにも無数の細かな切創、すぐに縫合を必要とする深い傷が数か所あった。
ディジアを庇ったとき、彼はとっさに上着にあったフードで頭部を守ったので、顔や頭や首には数か所の切創を負っただけですんだ。
それでも、全治四週間ほどと診断された。
パンタミーマは医務室の通路の一角に目処をつけ、そこに椅子を運び込んで居座り、通りがかる看護師をひとりひとり掴まえては、チクローポの怪我の状況を問いただした。
そうして怪我の程度を知ると、安心した顔で嬉しそうに、また悲しそうにいった。
「全治四週間なのはよかった。でも、同じ程度で全治六週間ならもっとよかった」
その理由を口に出してはいわなかったが、
「四週間だと完治してガニメデで船を降りちまう。でも、六週間ならそうはいかない。氷の撮影なんかしなくていいから、船を降りずにいてくれれば、地球に帰るまでベスタか火星までは一緒にいられそうだ」
というのが胸に秘めた正直な気持ちらしかった。
そして、事件に巻き込まれてなんらかの傷を負った者、二十六名のうち仮病の五人を除いて、いまだ目を覚まさなかったのは、エイミーただ一人だった。
仮病患者や野次馬がのさばる荒んだ乗員乗客の多い《リヴァール号》の特質を知り尽くした、ドクター・パンチャは、彼女を特別扱いして集中治療室に寝かせることにした。
「なににしても、ショック状態から抜け出させない限り、必要以上に人と接触させるのは危険じゃからな。たとえ善意であっても本人には恐怖に感じられるんじゃ。数日から数週間で急性ストレス反応やその障害から回復できるといいが、長引けば数年以上、場合によっては慢性化の恐れもあって、症状を抱え込んだ者の三分の一は生涯それに苦しむことすらあるんじゃ」
と深刻な顔をして、その理由をパンタミーマに説明した。
それを静かに聞いていた彼女は、いつもの彼女らしさを表すこともなく、その後ドクター・パンチャのことを藪医者呼ばわりすることもなくなった。
とはいえ、持ち前の明るさが影を潜めることはなく、度を超えない憎まれ口は相変わらずだった。
そんなパンタミーマの変化を感じ取ったのか、ドクター・パンチャは、
「エイミーが意識を取り戻した場合、比較的いいのは似たような経験――今回の場合だと、事件の影響から心身に傷を負った者同士を、うまく交流させるのもひとつの手なのじゃが、それもまた状況による。――しかしそうなると、似た境遇の者を個室の隣同士、あるいは大部屋に集めることになるわけじゃが、いまのところ彼女に近しいというと、チクローポになるんじゃないかね。ただ彼の場合、あっちこっち傷だらけじゃから、それを彼女が恐れなければじゃがね……」
ともいった。
ディジアにしても、パンタミーマにしても、この時点ではなにもできなかったといっていい。
ディジアの場合、容貌がリッキーにそっくりという点から、エイミーがストレス反応と戦うのを逃避させる結果になりかねないのを、看護師である彼女自身よく知っていたため、治療室に行くこともできないでいた。
また心なくも、
「爆死したヴォロンターリオの最期の絶叫が、怨霊になってあの女に憑依したんじゃないか? だから、あの女はきっとあの男と同じような苦しみに遭い、同じような最期を迎えるんじゃないか?」
という者もあった。
ダイモスを発ってから、船内時間で二日が過ぎたころ、エイミーはようやく意識を取り戻した。
しかし、その弱々しさは以前の彼女を知る者からすれば、別人のように見えた。
コロラドの夢遊病者時代を知っていてさえ、そのときの彼女を見たならば、動揺を隠せなかったといっていい。
火星の軍神アレースは、いまだエイミーを付け狙い、彼の臣下である恐怖と狼狽を送り込みつづけていたのかもしれない。




