#2 スリープ・ウォーカー――贈与
エイミーが、祖母エポラールの自邸二階にしばらく居候することになった翌日、戦争がはじまった。
北部条約機構は南部同盟連合に対して、全面的な宣戦布告を行った。
メディアは朝からその報道一色になり、地球圏はもちろん太陽系の情報網は混乱状態に陥った。だがそれでも、人々の日常はあった。
――戦争なんてすぐに終わるさ……
――物価があがって生活がきつくなるだけ……
――これを契機に北軍の天下になればいいのにな……
――南軍には志願した兄がいてじっとしてられない……
――太陽系連盟や宇宙機構はどうしてとめられなかったんだ……
その日の午後になると、錯綜していた状況もおおよそ明らかになり、人々は普段の生活に戻っていった。
「北軍はいつだって大騒ぎするんだ。『中性子星作戦』なんて仰々しい名前を発表したけど、結局、木星辺りでドンパチをはじめただけ。すぐに終わるさ、いつのもいざこざだろう……」
大方の人々の見解はそういう空気だった。
エイミーはといえば昨夜と変わらず夢遊病者のようで、午後になってから寝間着姿で一階に姿を見せた。
「お婆ちゃん、今日はちゃんと着替えてるのね。――それにこの花どうしたの? ああ、母さんが置いてったやつね。お婆ちゃんはこういの飾らないもんね」
「……」
彼女は花瓶に挿された青紫色のアスターを数本抜き取って、ソファーに腰かけた。
「知れる、知れない、知れる、知れない、知れる、知れない……」
「ちょっとあんた、おやめよ。そんなことしたら花が可哀想だろうが」
エイミーは聞いているのか聞いていないのか、一輪の花弁をすべてむしると、つぎの一輪を手に取った。
「守れる、守れない、守れる、守れない、守れる、守れない……」
エポラールはそんな彼女を呆れ顔で見ながら、大きな溜息をついた。
「あたしもさ、あんたがずり這いしてる頃から知ってるけど、今回ばかりは相当ショックだったみたいだね……。けどエイミー、あんたのいいとこはさ、頭はスッカラカンのままでも直ぐなにかやりだすとこだよ。だけどさ、それはあんまりにも意味がないんじゃないかい? ――背は昔から小さかったけど、歩けるようになってからは母さんもあたしも苦労したもんだわさ。ちょっと目を離すとどこかに行っちまって、好奇心に駆られると意地でも動かない。まあ、いまも大して変わりはせんが――」
エイミーはふっと視線を祖母に向けてからいった。
「そうかな? この花弁、どうにかして保存しておけるなら意味はあるかもよ……」
「どうやって保存するんだい? 押し花にでもするんかい?」
エイミーは花瓶からまだむしられていない花を一輪手にとって、眺めていた。
「それじゃ多分駄目ね……。ねえ、食べるってのはどうかな、お婆ちゃん?」
「は?……」
「だって、そうすれば花はわたしになって、わたしは花になるでしょ?」
「エイミーあんた少し外でも走っておいで。そのスッカラカンな頭に外の空気を取り込んどいで。……といってもそんな魂の抜け殻みたいのでふらふら歩いてて車にでも轢かれても困るし……」
「そうね、お婆ちゃんはいつだって正しいもんね。ちょっと散歩でもしてこよっかな……」
エイミーは手にして眺めていたアスターを、テーブルに置いて二階へのぼっていった。
しばらくすると、彼女は着替えを済まして降りてきた。
「お婆ちゃん、ちょっと行ってくる」
「どこへだい?」
「頭スッカラカンらしいから、いっそのこともっとスッカラカンにしようかと思ってね」
そういってエイミーは玄関を出ていき、窓辺から夕陽が射し込み一等星が瞬きだすころ帰ってきた。
「おかえり。――随分すっきりしたじゃないかい」
エポラールはソファーに座ったままエイミーを見上げた。
「あのね、髪の毛って案外重いのよね。いつも似たような長さにしてると、気がつかなくなるけど。それにこの頭のなかがどんよりしてるの、髪を切れば晴れるかなと思って……」
「それで、その手に持ってるのはなんだい?」
「ああこれ? これね、美容師さんがくれたの。いまどき人にただで物をくれる人なんているのね。ちょっと驚いた。なんでも、『あなたとはどこかでお会いした記憶があるんです。どこだか思い出せないんですが、会ったというのだけは確実なんです。もしかしたら前世とか、あるいは遠い未来なのかもしれない。だからこれ、その記憶の記念に』とかいってくれたの、変わった人よね。新手の営業なんだろうけど……」
エイミーの手には、一匹の蛇がドラゴンフルーツに巻き付きながら、それを齧ろうとしている銀製のオブジェがあった。
「まあいいから、お座り。そういつもふらふら立ってられたんじゃ、この家に幽霊がいるみたいで、落ち着かないんじゃよ」
「うん」
服とソファーが擦れあう音のあと、オブジェがテーブルに置かれる音がした。
「お婆ちゃん、さっきの話だけどどう思う? 花はわたしでわたしは花っていうあれ」
エポラールは美容師がくれたというオブジェを手にとった。
「一理あるといえばあるのかもね。これなんかもそういってるように見えるね。――でもエイミー、そのまえに、もう少し頭をすっきりさせないと、食べていいものと食べちゃいけんものの区別もできないんじゃないかい?」
「そうね。――そういえば、ルフトさんの具合はどう?」
「だんだん弱っていってる。もうそう長くはないだろうよ……」
「そっか。じゃあわたし、もうすこししっかりしないとだね。報告したいこと沢山あるんだ。――でも、あそこに行くとなると、父さんや母さんをまた巻き込んじゃうのよね……」
エポラールは手にしていたオブジェをテーブルに戻してエイミーを見つめた。
「そうともいえないね。あんたさえその気になれば、今夜にだってルフトには会えるさ。"果樹園"の入口はあそこだけじゃないからね」
「……」
「だけど、それもあんたしだいだね。とにかく、どうしたいのかをはっきりさせない限り、ルフトにも会わせられたもんじゃないわさ」
「そうね、お婆ちゃんのいうとおり。だから、もうすこし考えてみる。わたしは花で花はわたしになれるのか……蛇は果物で果物は蛇になれるのかって……」
エポラールは頭を抱えて項垂れた。
だが、エイミーのなにげない戯言に真実があるような気もしていた。
「ならこれを忘れるんじゃないよ」
祖母は、手ぶらで二階にあがりかけたエイミーの注意を引き戻すようにいった。
「そうね、大事にしないとね。ただより怖いものはないけど」
エイミーは身体を屈めてオブジェを手に取って、
「花はわたし、わたしは花、蛇は果物、果物は蛇……」
と呪文を呟くようにして二階へと消えていった。
「毒蛇や藪蛇にならんといいがねえ……」
エポラールの独り言を耳にした者は誰もいなかった。




