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無から無へ  作者: イプシロン
Ⅱ 開戦
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19/55

#19 アナザー・ロケーション――病室

 エイミーは夢のなかで誰かが呼ぶ声を聞いた。

「ねえ……」

(どこかで聞いたことのある声だ……)

「ねえねえ……」

(なんだろう? そこまで切迫感はないけど……)

「ねえねえ、ねえってば……」

(ミーシャの声?)

 エイミーが、むくりと起き上がって目を開けると、そこには現実のパンタミーマがいた。

「重い……」

「ごめんごめん。あたし寝ちゃったんだ」

 エイミーはまだ寝ぼけ眼だったが、浅い眠りだったせいか、あるいはぐっすりと眠れたからか、頭はすっきりしているようだった。

「それになんかちょっと冷たい」

「これかな? お化粧落とした濡れタオルのせいだ」

 エイミーはすぐに気づいてそれを空いた椅子の上に移した。

「ミーシャ、具合はどう? 痒み、眠気、怠さ、吐き気、すこしは治まった?」

 パンタミーマはすぐに迷惑そうな顔をして、迷惑そうに答えた。

「あのな、そんなに全部いっぺんにいえないの。だから嫌なんだよね、こういうのって。普段の三倍も四倍も説明しないとならない。――というか、どうなってるのか訊きたいのは、こっちなんだけど?」

 エイミーは、悪態をつけるのなら、そう気分は悪くないだろうと推し量った。

「ごめんごめん。――ねえミーシャ、服、楽なのに着替える? 一応、合いそうなサイズのとか、あれこれ買い揃えてきたよ」

「いまはいいよ。この白いの、生地を改良したのだから案外楽だしね。それにまだ動きたくない。でも、悪いね……余計な出費させて」

「ううん、全然。――ていうか、喉とか乾いてない? まだわたしもパンチャ先生から詳しい話を訊いてないから、あれだけど、水ぐらいならいいかと思って……。それに、タオル片付けてわたしも顔とか洗ってきたいから、そのついでに」

「うん、飲む」

「じゃあちょっと待ってて」

 といってエイミーは席を立った。

 しばらくして戻ってくると、パンタミーマはベッドのリクライニングの角度を変え、上体を起こしていた。

 パンタミーマがさっそくそわそわしだしたことを、一瞬、叱ろうかと思ったが、エイミーもまたそわそわしながら、ベッドに備え付けられたテーブルを引出して、そこにコップを置いた。

「はい、お水ここに置くね。――ねえミーシャ、まだ無理しちゃだめだよ。――両腕見せて、あと胸元と足もいい? ほら見てよ。左腕なんて掻き壊してるんだから」

 エイミーはそういって、袖や布団をめくって釘を刺しながらつづけた。

「これがちゃんと治るまでは医務室暮らしだよ。わたし、毎日来て話し相手になるから、ちゃんと治るまでは無理しないで」

 それを聞いたパンタミーマは相変わらずの口振りで応じた。

「あーあ、人に弱み握られるとかなわないな。ひとつ、ここまで連れてきてもらった。ふたつ、症状を説明されて黙らされた。みっつ、飲みたくもない薬とか飲まされる」

 エイミーは笑いながら聞いていたが、みっつ目を耳にしたあと、すかさず異議を唱えた。

「ミーシャ、はじめのふたつは仕方ないよ。誰だってそうなるときってあるもん。でも、みっつ目は違うでしょ。薬、定量以上に飲んだでしょ? それも四倍も!」

「バレてたか……」

「負けず嫌いは悪いことじゃないよ。でも、限度ってあるじゃん――。それに先生から聞いたけど、あの薬強いんだって。だから胃も相当やられてたって。眠気や怠さもそのせいだろうって。あと、蕁麻疹も普段よりずっと酷かったのは、副作用のせいかもしれないって」

「藪医者、信用できない」

「そうでもないみたいよ。半分藪で、半分は違うみたい」

「なにそれ? 結局、藪じゃん」

「馬が合わないだけだと思う」

「あたしが馬なら、あいつは鹿だ。――というか、鹿はあたしか。あいつが鹿なわけない」

「合わないだけじゃないかな? あるよ、そういうのって」

 いいながら、エイミーは椅子に座ってパンタミーマをじっと見つめはじめた。

「あのね、わたしもあったんだ。ディッキーたちとの間で。ケースが違うかもだけど、どんなに仲良くなっても、どうしてもそれは駄目ってとこあるみたいだよ。――二人とも宇宙機構を辞めてから電話で話したことあったでしょ? あのときがそう。精神的にも肉体的にもボロボロだった」

「そういえば、声に疲れあったな」

 パンタミーマは記憶を探るように宙を見つめた。

「わたしの場合、自責の念だったけど、とにかく自分を責めてさ。自分で最後の逃げ場を無くすようなことしたんだ。そのあと、夢遊病者みたいになって、お婆ちゃんとこに転がりこんだ」

「そんなことあったんだ……」

「うん。だから、ミーシャの場合はすこし違うかもだけど、でも、自分を追い込みすぎるって意味では似てるでしょ?」

「まあな」 

「だから、わたしなりに心配してる」

 エイミーはそこまでいうと、突然、笑いを堪えられなさそうな顔をして、口元を隠した。

「なんだよ急に……」

「いやあのね、ミーシャってさ、化粧落とすと意外と童顔だなと思って」

「あれ? それいう? いっちゃう? もうやだ! また弱み握られた!」

 二人は顔を見合ってけらけらと笑いあった。

 それで、ぎくしゃくとした関係が緩んだのか、互いに気の置けない関係に戻れたようだった。

 しかし、困ったことにパンタミーマはせがむようにして、自分の容体を訊きたがった。

 ――変な病気ではない。ゆっくり休めば元通りになる。

 エイミーは何度も説明したが、質問が止むことはなかった。

(ミーシャひとりの問題じゃないから、わたしの口からは容易くいえない。でも、先生にいってもらうのは気が引けるし……)

 こうしてエイミーのお見舞い生活がはじまった。

 一日一回、船内時間の昼間を選んでパンタミーマの病室を訪ねた。

 時折、彼女の知りあいと鉢合わせになることはあったが、あの夜以来、エイミーがディジアと会うことはなかった。しつこくお見舞いをお願いした、ティーポの姿を見かけることもなかった。

 四日後、《リヴァール号》は火星の衛星、ダイモスに着床した。

 それはまるで、軍神アレースが恐怖と狼狽をもって、パンタミーマの行く末に立ちはだかったかのようだった。

 《リヴァール号》が地球を発ってから二十日目のことだった。

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