#16 レスポンスビリティ――伝達
エイミーたち二人が医務室のすぐ傍まできたとき、船内各所では恐慌状態の火の手があがっていた。
「とうとう謎の宇宙船に追いつかれたぞ! 攻撃されたら一巻の終わりだ!」
ほとんどはそういう恐怖の叫びだったが、舷窓に張り付いたり望遠展望室でそれを目の当たりにした、冷静な人たちが抱いた印象はまた違った。
――あれが宇宙船なことは確かだな。船の形状はおろか輪郭すら曖昧に見えるのは、光学迷彩かなにかだろう。船体は黒一色らしいが、赤い噴射流を棚引いていることで、なんとか宇宙船だとはわかる。しかし、赤い噴射流の船が地球圏で開発されたなんて、見たことも聞いたこともない。それに、噴射流が見えなければ、宇宙に溶け込んだ陽炎にしか見えない。よほど感覚の鋭い人でない限り、目の錯覚だと思い込むだろう――と分析したのだった。
エイミーも、なんとなく船内の不穏な空気は感じとってはいたが、それにかまけている余裕はなかった。
医務室の扉をくぐると、彼女は大声で叫んだ。
「先生、先生はいませんか! 急患なんです!」
その声を聞きつけたのか、奥にある扉が開いて白衣を着た中年男性が現れた。
首には一応、最新式の聴診器を掛けていたが、パンタミーマが嫌がったとおり、見るからに藪医者らしく見えた。
「なんだね、なんだね、急患と聞いたから出てきたら、荒くれ女じゃないか」
――うるせー! 藪医者!
とでも、言い返したかったのか、エイミーはパンタミーマの身体に一瞬力が入るのに気づいたが、すぐにその強張りが消えていくのを感じていた。
そうとは知らぬ、頭の禿げ上がった白衣の中年男は、ぶつぶついいながらサンダルで床を擦るように、ゆっくりと近づいてきた。
「先生、本人はいつもの蕁麻疹だっていうんですけど、そういう感じじゃないんです。それでちゃんと診てもらいたくて連れて来たんです。本人にもそのつもりがあります」
「まったく火星が近づくといつもこうだ。大した症状でもないのに、なにをびびっとるのか知らんが、あれこれ理由をつけてやって来る、いい迷惑なんじゃがね。まったく、火星っつーのは疫病神だな。それにこの女も性悪でな――」
「ミーシャは性悪なんかじゃありません !!」
白衣の中年男はその剣幕にぎょっとしたのか、態度を改めた。
「まあええから……とりあえず、そこに寝かせて」
「ミーシャ、ベッドにあがれる?」
パンタミーマは耳元で囁かれた声に答えることなく、微かに頷いたあとベッドに横になった。
それで力尽きてしまったのか、彼女はそのまますぐに眠ってしまった。よほど苦しかったのか、酷いいわれようが悔しかったのか、目尻に涙が溜まっていた。
白衣の中年男は聴診器で内診したあと、腕や足にできた発疹を診てからいった。
「ただの蕁麻疹だね。いささか、いつもより派手だがね」
「派手ってなんですか? 馬鹿にしてるんですか? もうちょっとちゃんと診てください! だいたい、そんな内診でなにがわかるんですか? 風邪じゃあるまいし。ちゃんと全身の検査をしてください! 見てわかりませんか、この全身の発疹、これがただの蕁麻疹に見えるんだとしたら、眼鏡の度が狂ってるんじゃないですか !?」
エイミーは以前のリッキーの件もあってか、もの凄まじい剣幕だった。
「奥には検査の機器だってありますよね? それにミーシャが飲んだ薬のことさえ訊かないってどういうことですか? あなた、噂どおりの藪医者なんですか !? だったらいいですよ、わたしこの船で知りあった、DNAと免疫に詳しい先生を、ここに連れてきますから」
「……」
「それが嫌なら、ちゃんと診て検査してください!」
エイミーの血相を変えた詰問に怖れをなしたのか、白衣の中年男は症状に関係のありそうな事柄を細かく質問しはじめた。
「それで、その薬、何錠飲んだかわかるかね?」
「えっと……」
エイミーはシンクを眺め回したときの記憶を探って、そこに放り出されていた薬の空き容器を思い出したあといった。
「たぶん、八錠です」
白衣の中年男はすぐに反応した。
「それは飲みすぎだ。あの薬は効き目が強くてね。一回二錠がふつう。――だから、飲みすぎてこうなったんじゃろうね。眠気や怠さを訴えてたじゃろ? あと吐き気も? あれ、胃にも相当負担がかかるんじゃよ」
「先生、それをわかってて、ミーシャに処方してたんですか? ちゃんと注意しました?」
「そんなことふつうの大人ならわかるじゃろう……」
エイミーの怒りの導火線にまた火が点いたのか、機関銃の銃弾を浴びせるように先をつづけた。
「先生、それでも医師ですか? そんな適当なの聞いたことありません。ふつうは、薬の危険性や副作用をちゃんと説明するものじゃないんですか? この船がオンボロなのは知ってますが、ミーシャは乗員は腕が立つから心配するなって、身を預けてた部分もあるんですよ。それがこのざまですか? わたし、知りあいの先生呼んで来ます。もういいです」
そういって立ち上がろうとしたとき、白衣の中年男は縋りつくように哀願した。
「待ってくれ、待ってくれよ。いま事情を説明するから。そう一方的に決めつけられたんじゃ、こっちだって困るんだ。儂にだって事情はあるんだから」
白衣の中年男は、なんとか押し留めようとしたのか、エイミーの腕を両手で掴んでいた。
「じゃあまず、最低限全身の検査をしてください。わたし時間はあるんで待ってますので。それで納得がいかなければ、本当に知りあいを呼びます。これでどうですか? ――ていうか、いつまで握ってるつもりですか、離してください、気持ち悪い!」
そういって、エイミーは白衣の中年男の手を振り払った。
「ああ、すまんすまん。別に変なつもりはなかったんじゃ。――とにかく、君のいうとおりにするから、知りあいを呼ぶのはいったん待ってくれ。検査もするし、その結果も知らせるから、それで納得できなければ、そのときは呼んでくれて構わん」
「じゃあ、わたしここでは迷惑そうなんで、待合室にいます。検査の結果がわかったら、すぐに教えてください」
エイミーはまるで汚らわしいものから離れたいというように、早足で待合室へと歩いていった。
だが、長椅子に腰掛けたとたんに、彼女は過去の記憶に襲われはじめた。
(わたし……リッキーの婦人科検査の結果は知らないでもいいから、そのデータの入ったメモリーカードを、ディッキーに手渡す配達役をお婆ちゃんに執拗に頼み込んだ。でも、あれがすべての元凶だったっていまではわかってる。ルフトさんの時もそうだった。中身を知らないで届けることの意味がわかってなかった。結局、無責任だったのよ……。知らないなら本当に知らないほうがいい。知るなら知ってちゃんとしたほうがいい。中途半端に知って、中途半端なことをすると、わたし、また絶対に後悔する。――だからなのかな? ティーポがああいったのは? 二言目には『死ぬぞ』とまでいうのは、覚悟がないなら近づくな、知ろうとするなってことなのかな? でもわたし、もう二度とあんな思いはしたくない。いまのミーシャは大切な友達だもの。だから、もしもミーシャが原因不明の難病だったとしても、わたし、傍にいる。ずっと傍にいる。絶対に見捨てたりしない。――でもそうしたら、ジャーナリストは廃業ね。けど、そんなことをミーシャが知ったら黙ってるわけがない。わざと口汚く罵ってわたしを遠ざけようとするだろうな……。でも、わたしもう無責任なことしたくないんだもん。あの左手を見たでしょ。可哀想に薬を八錠も飲んだのに、まだ痒みが止まらなくて掻き壊してた……。あれだけ頑張り屋のミーシャが人を頼ったんだよ?……。わたし、見捨てたりできない……)
エイミーは懊悩しつつも、じりじりしながら待った。
(そういえば、ルフトさんが倒れたのを見つけたのは、カールお爺だったよね。……だったら、お爺もこんな思いをしたんだろうな。待つしかしないって時間を味わったんだろうな。でも、そんな素振り見せたことなかったな……。本当に人って外から見ただけじゃわからないことばかり。わたし、そういえばこの年になるまで、そういう経験がなさすぎたんだろうな……父さんも母さんも、お婆ちゃんもみんな病気とは無縁だったから……)
一時間ほど過ぎたころだろうか、白衣の中年男が手に検査結果らしきものを持って待合室に姿を見せた。
エイミーはすぐに長椅子から立ち上がった。
白衣の中年男はすっかり落ち着いた様子で近寄ってきた。
「ええと、これから説明しますので、腰掛けて聞いてください。少々時間もいるでしょうから」
「わかりました」
待ち時間が怒りを鎮めたのか、エイミーは穏やかに応じた。
「あのね、儂はもともと婦人科の専門医だった」
白衣の中年男は、突然自分語りをはじめたが、彼女は黙って耳を傾けていた。
「細々とじゃが地球で長いこと開業医をやっておった。でも、だんだん右肩下がりになって、どうにもならんようになって、いまじゃこのオンボロ船の専従医。子どもを産む人も減ったからね。もちろん、そうなったがゆえに、ほかの科目も必要に迫られて学んではきた。でも、儂はもともとは婦人科の専門医。でもいまは一応、全般的な診察や診断はもちろん、どんなオペだってできるつもりじゃ。だからって、そこまで自信があるわけじゃない。そんなんで、藪医者で通してる。それにこの船の連中はこっちが下手にでると、すぐにつけあがるんじゃよ。そういうわけじゃな。そんでな――」
といったあと、
「パンタミーマの件だけど――」
と白衣の中年男は話をつづけた。
こうしてエイミーは、パンタミーマの体調不良の原因を知った。
同時に、目の前の医師の名が ドクター・パンチャであることも知った。
「それで、どうするね? 本人には時期をみて伝えねばならんが。ああいう性格じゃからな。タイミングが難しかろう」
「そうですね。――先生、しばらく善人を装ってでも面倒を見てもらえませんか? それに落ち着くまですこし休ませてあげたいんです。彼女、地球を発ってから働き詰めだったようで……」
「そうか。まあそれはできんこともないが、あんたはどうする? ほかに伝えなければならない人もおるんじゃないかね?」
「そこは……いまから考えます……。あと、ミーシャに伝える時期がきたら、その前にわたしに知らせてもらえますか?」
エイミーはそれしかいえなかった。
「それは構わんよ。儂もそのほうが助かるしね」
ドクター・パンチャは素直に応じた。
検査結果の立体映像も目にした。もはやそれは疑うことのできない事実だと受け入れるしかなかった。だが、エイミーが抱え込んだその事実は、予想とは違った形ではあったが、重大なことに変わりはなかった。




