#12 パヴリーン――水晶
エイミーはパヴリーンという素性を通して話していた。
相手は得体の知れない、チクローポという男だったが、二人とも船内の空気をかき乱さないようなイタリア語で、ひっそりと会話をつづけていた。
ときどき訪れる沈黙の合間には、精密機器を整備する音があった。
そんな静けさを破るような声が、二人の会話に割り込むように聞こえた。
「おうおう、お二人さん。いつかそんな風になるんじゃないかと、心配しながら睨んでたけど案外早かったね」
それはパンタミーマの声だった。
「なになに? どうしたのミーシャ、そんな格好して!」
少し離れたところから声をかけてきたパンタミーマは、整備作業服姿ですたすたと近寄ってくる。
「エイミー、今日はあんたに船内の見学をさせてあげようと思って、こんな格好してるんだ。でもこれ臭いんだよ」
そういって彼女は自分の着ている服をあちこちと嗅ぎだした。
「いっくら洗っても取れないんだよ。まるで過去の因縁みたい。あれだよ、そこにいるチクローポの顔にある傷みたいなもんだ」
「うっせーんだよ、パンティー!」
それまでの口数が少なく無愛想なところから想像もできない、流暢なイタリア語でチクローポは、まくしたてるように抗弁した。
とたんに、パンタミーマもイタリア語に切り替えて反撃しはじめた。
「そうだ! ミーシャも話せたもんね」
エイミーは納得しつつ、目の前を飛び交う罵倒に目を点にしていた。
「あんたさ、あたしもいろんな渾名つけられてきたけど、あんたにつけられたのは、あたし史上、最低最悪だよ。何度いったらわかるんだよ。いうなっていっただろ。――だったらこっちもいっちゃうよ、チッコリーノ! って、だってそっちが先にいったんじゃん!」
エイミーはパンタミーマの言い分には一応、筋が通っていると思ったのか、チクローポに向って、
「とにかく、女性用下着を渾名にするのは本当によくないです。それに、チッコリーノは可愛いんじゃないですか?」
と仲裁しようとした。
それを聞いたとたんに、チクローポはがっくりと項垂れてから、顔をあげるとエイミーを見つめていった。
「可愛くないよ」
「そうかな?」
とエイミーもまた項垂れた。
「それよりティーポ、朗報があるから、あんたにも用事があったんだ。というか二人に用事があった。だから丁度よかったの」
「というと?」
口喧嘩が面倒になったのか、チクローポはふつうの調子のイタリア語で訊ねた。
「二人とも個室の船室が空いたから伝えに来た。あと五十日以上も座席暮らしじゃさすがにしんどいだろ? こんな運行をいつまでするんだか知らないけど、こっちにしてみれば余計な仕事ばかりでいい迷惑なんだよ。月までの三時間程度なら問題ないけど、六十日は気狂いじみてる。あたしらだって狭いけど一応私室はあるからな。すこしは客を大事にしないと家の会社はいつか潰れる。またそこを貨物で補うけち臭さで凌いでるって面もあるけど、危なくってしょうがない」
「仕方ない。この船は昔から変わらない。でも、そこがいいんだ」
チクローポはそっけなくそういった。
「この人さ、お客みたいに見えてあたしの先輩。あたしがこの船に乗る前からの常連なんだ。どこをどうほっつき歩いてるか知らないけど、ここを家みたいにしちゃって、船長とかみんなを説得しちゃってさ。――そこは大したもんだね」
いいながら、パンタミーマは近くの空いた椅子に腰掛けた。
「ねえ、ミーシャ、本当に変な臭いするけど、それ大丈夫?」
「仕方ないだろう。家の会社は貧乏会社だから使いまわしばっかなの。だからこういうのもそう。大方、染み込んだ油が腐った臭いだろ? でもだんだん慣れるんだよ。はじめて着た翌日は具合が悪くなって、一日寝込んだけど」
「玉ねぎの腐った臭いに似てるから、ふつうの人間には不快だ」
チクローポは相変わらずそっけなくいった。
「この人さ、顔も不味いほうじゃないし、性格もそこまで悪くない。物事もよく知ってる。無口なのだってそう仇にならない。でも、無愛想さが玉に傷なんだよ。――あのことはもうエイミーに話したのかい?」
「あのことって?」
「え、なんですか? 差し支えなければ教えてください」
チクローポとパンタミーマはお互いの胸のうちを探りあうように、視線を絡めあっていた。
しばらく沈黙の時間が過ぎたあと、パンタミーマが、
「話してもいいんじゃない? この子は信用できるよ。埋まってた土が同じだったけど、実った果実が違うだけだから」
といいながら、ぽりぽりと作業服の上から腕を掻いた。
「そういうことか」
チクローポは納得したように呟いたあと話しはじめた。
「俺はご覧のとおりの映像屋だ。でも、行きたい場所は戦場じゃない。宇宙だ」
彼は鼻を摘んでから、照れくさそうに先をつづけた。
「例えば今回のガニメデ行きの目的。俺がそこで撮影したいのは氷だ。地球にいて見られる氷といえば、どんなに雄大でも、せいぜいが南極か北極だ。でも、宇宙にある氷はそんなちっぽけなものじゃない。俺はそういう宇宙の神秘を多くの人に見て欲しいだけだ」
そのあとをパンタミーマが引き継いだ。
「ところがどっこい、宇宙といえば暗くて寒くて不毛で、ちょっと下手をすれば死はすぐそこ。大概の人が抱く印象ってのはそういうもの。実際そういうとこはあるけど。だから、この人が顔に傷まで作って必死になってみたところで、取るに足らないってあしらわれる。――軍だの営利企業は領有権だの資源開発だの観光立地ばかり考えてる。そういう意味じゃ、あたしとエイミーもそういう畑で育った口。でもさ、あたしはこの人の口からそういう話を聞いて、金槌で殴られたような衝撃を受けた。だからって、なんにもできないんだけどね。せいぜい嫌味をいってやる気をなくさないように、けしかけるぐらいなんだ。――本当なら、資金繰りくらいちょっとはなんとかしてやりたいけど、あたしにそんなことできるわけない。それどころか自分の財布がいつも風邪気味で、肺炎おこしかけてばっか。だから、戦場カメラマンなんて危ない橋を渡りに行くのを、黙って見送るだけ……」
「……」
エイミーはこのとき、宇宙の広さと同じくらい人の思いは広いのだと痛感していた。
そして、チクローポもまた自分と同じように、伝わらないことを承知であがいているのだと感じていた。
そのとき、微かな声でチクローポがなにかを囁いた。
「え?」
「なんかいった? あんた、無口はいいけど声まで小さくすんなよ」
「なんで、パヴリーンなんだ?」
そういって、チクローポはエイミーを見据えた。
「あの……わたしの知りあいとかそのへんから取ったニックネームですけど……」
「それじゃ、ただの偶然か?」
「えっと……その……」
エイミーは口籠りながら、自分が知る秘密をどこまで話すべきか激しく逡巡していた。
そして、差し障りがないであろう言葉を選んで口にした。
「うんと……ルフト博士関係です」
「やっぱりか……」
「やっぱりって……どういうことですか?」
エイミーはチクローポがルフトを知っていると、微塵も念頭になかったかのように驚愕した。
彼女の表情には、魂を鷲掴みにされたような衝撃が刻まれていた。
「あれかい? それって、家の畑で取れた船の核として積まれた人工知能のことかい?」
「パンタミーマ、お前どこまで知ってるんだ?」
チクローポの矛先というのだろうか、それが向きを変えた。
「あたしはそれほど詳しくないよ。エイミーがどこまで知ってるのかもわからない」
そういってパンタミーマは腕を組んで、背凭れに身を預けて、管轄外であることを匂わせた。
「ニオイってな、いい匂いも悪い臭いも引寄せあうんだ。きっとそのせいかもしれない」
「なんだよそれ、なんとでもとれる比喩をいってなんか意味があるのか?」
パンタミーマは同じ姿勢のままチクローポに抗議した。
「パヴリーンっていうのは、水晶みたいなもんだ。俺が博士に託した。だけど、見つけた場所は口が裂けてもいえない。どんなに脅されようといえない。これで満足か?」
チクローポはパンタミーマに視線を注いだ。
その瞬間、エイミーの脳裏に病床のルフトが胸に抱いていた、孔雀の羽にある目のような模様の水晶玉と、それに似た外観をしたテライダが想起された。
だが、エイミーとてその両者の関係はほとんどなにも知らなかった。
「わたし、多分それ見たことあります。でも、見ただけでそれ以上のことはなにも知らないんです。――ただ綺麗だなって思って、それでニックネームに頂戴したんです……」
エイミーは心苦しさからか、俯き加減でそういった。
核心に触れぬように嘘をついたことを、自分でわかっていたからだ。
「それで、パヴリーンね。――まあいい、お互いこれ以上は話せないだろうし」
チクローポはそういって、エイミーにウインクしてみせた。
(目配せ……)
とたんに、エイミーの脳裏に尊敬してきた元上司のディッキーと、その妻のリッキーがよく交わしあっていた光景が、閃光のように浮びあがった。
「ところでエイミー、あんた船内見学はどうする? あたしも暇を持て余してるわけじゃないから、あんたらで話をつづけるなら席を外すけど?」
「あ、いく。行きたい! せっかくの機会は逃したくないから。――チクローポさん、なんだか中途半端になってごめんなさい。また、時間のあるときにでも、いろいろ教えてください」
そういいながら、エイミーはその場を離れられることに、胸を撫でおろしているようだった。
「ティーポでいいよ。チクローポは本名でもないし、そっちのほうが気に入ってるから」
「まあ、せいぜい仲良くやってよ。あんたら船室は隣だから。――おっと! 文句はいいっこなしだ。別に仕組んだわけじゃない。これは本当に偶然。――さ、じゃあエイミー行こっか」
「うん」
椅子から立ち上がったエイミーは、チクローポに挨拶して、すでに歩きはじめていたパンタミーマの後を追って、早足で歩きはじめた。




