#11 マルチナショナル――心
パンタミーマとの会食や会話の時間で、心身ともに充足感を得たのか、席に戻ったエイミーは、すぐにうとうとしはじめた。
そのありようは端から見れば無防備そのものだった。
しかし、若干傾いた宇宙船は彼女の安眠をそう長くは許さなかった。
しだいに身体が傾いていったエイミーは、隣の座席の背もたれに頭をぶつけて、目を覚ました。
「ああ、また寝ちゃった……」
そういいながらも、既に身についた動作で首元のリストコムに手を触れると、新しい着信があることに気づいた。
(結構な量の情報みたいだから、ここでは無理ね……)
判断のスピードは早かったが、どうにも身体がついていかないようだった。
慣れない宇宙船での不規則な生活や、地球を立ってからの旅疲れもあったのだろう。
しかし、そうもいっていられないという表情になったエイミーは、すっくと立ち上がった。
(多分、問いあわせておいたミーシャの件だろうな……)
個室洗面所へと歩きながら、エイミーは心臓が高鳴っているのに気づいた。
とたんに、あの呪文めいた言葉が脳裏で反芻されはじめた。
「信じたい、信じたくない……信じたい、信じたくない……」
パンタミーマのわだかまりのない声音が耳のなかに蘇る。
一緒に食べたロシア料理の味が舌先で息を吹き返す。
目を閉じてしまおうものなら、瞼の裏や胸のなかで、彼女の飾り気のない表情がとめどなく思い出されてくる。
エイミーはなんとか無心になれないものかと苦心しながら、個室洗面所へと足を早めた。
狭い室内に入ると蓋のうえに腰掛けて何度か深呼吸した。
「よっし!」
呟くように気合いを入れたエイミーは数十分かけて、ワイフィーが送ってきた文字情報をじっくりと読んだ。
意外なことはなにひとつなかった。
内容の六割五分ばかりは既に知っていることばかりだった。
残りの四割に満たない部分は空白だといえたが、それはパンタミーマの十七歳以前についてだった。
そしてその残りの部分は、会食しながら語りあった彼女であるとエイミーは判断した。
彼女はほっとした顔をして小さな溜息をついたあと、囁き声にしていった。
「わたし信じる! ミーシャを信じる。――だってどうしようもないじゃなし……。誰かの全てを知るなんてそもそも不可能だもの。それに、心苦しかったけどやれることはやった。もしもミーシャが本当に悪い人なら、例えば38口径の銃を突きつけてくるとか、あるいは大きなナイフで斬りかかってくるでしょ。いや、さすがにそれは妄想がすぎるか……。じゃあこういうのはどう? わたしを奴隷船や売春宿に売ろうとしている。あるいは臓器とか薬物の密売人と繋がってるとか?……。そういう可能性はなきにしもあらず。――この船で再会してからまだ五日くらいだから、ないとはいい切れない。――でもそうかしら? だってわたし、十二年も彼女と同じ職場にいて似たような仕事してきたよね? だったら、ミーシャが怪しいことしてたらその時期にふつうは気づかない? 気づくでしょ。わたし確かに鈍感なところはあるけど、そこまで鈍くないんじゃないかな? それに最悪、売り飛ばされても自分で逃げ道を切り開けばいいんじゃない? でも、それはちょっと自信過剰かな? けど、そう考えるしかないじゃない。どっちにしても、ミーシャがそんなに危ない人なら、この先のどこかで違和感を感じ取れるんじゃいかな? ――それに、奴隷は別としても、売春宿はありえない。だってそういう思惑のある人が『そのボイン、目立つんだよね。そんで童顔だろ。いいカモなんだよね』なんていう? わたしがミーシャのこと女神だっていったときだって、『いいや、悪魔かもしれないよ。――あとそのボイン。まじで目立つからなんとかしたほうがいいって』って、本気で心配してくれたじゃん。――どちらにしても、ミーシャがどうこうじゃないのよね、わたしの信念の問題なんじゃない?……」
長い囁き声で思考を整理したエイミーは、とりあえずパンタミーマを信じることにした。
そして、カルハリアスから新たに送られてきた、幾つかのロシア民話があったのに気づくと、こう返信した。
――民話愉しんでるよ! いつもありがとう! でも、カールお爺にひとつお願い! 寓意がよくわからないことが多いの。だから、全部じゃなくていいけど、ヒントを一言添えてくれると、もっと愉しめる! 義理の孫娘エイミーより。 追伸、銀の蛇は果物を少しは美味しく齧れてるみたいだよ――。
伝言の最後には、カルハリアスとのやり取りでお馴染みになった、笑顔マークの絵文字が付け加えられていた。
しかしそれから先、カールお爺から定期的に民話や童話が届くことはあっても、寓意のヒントが添えられていることは一度もなかった。
随分と長い時間、洗面所の蓋に腰掛けていたエイミーは、立ち上がると扉を開けて通路に出た。
その瞬間、彼女は胸いっぱいの爽やかさを感じていた。
分厚い雲が風に追われたあと、悠然と広がったコロラドの冴えた秋の青空を感じていた。
(お婆ちゃん、父さん、母さん、カールお爺、みんな元気にしてるかな?……)
エイミーは一瞬、望郷の思いに心を奪われかけたが、次の刹那、通路側に座る一人の男に目が吸い寄せられた。
その男は、船内に仮置きされた簡易テーブルの上で、精密機器を分解したものを、組み立て直していた。
「あれ? もしかして?……」
エイミーは男が集中している邪魔をしないように、柔らかに歩いてその席の横で足を止めた。
「こんにちは」
「……」
男は挨拶されたことに気づかなかったのか、相変わらず作業に没頭しているようだった。
「あの……こんにちは……。あれ? 今は夜だったかな?……」
そういってエイミーは腕時計に目を走らせた。
「手が離せない。――用は? 手短に。込み入った話はなし」
男の口振りには、言葉なんて必要以上に口にするべきじゃないという、徹底さがあった。
作業を中止するつもりも毛頭ないらしかった。
「あの……もしかして、あなたはカメラマンさんですか?」
すると、男は手を止めはしたが、エイミーの顔を見ずにいった。
「あんたは?」
「わたし、ジャーナリストです」
「用は?」
それだけいうと、男はまた手を動かしはじめた。
「あの、よかったらお話しませんか? 同業らしいので、いろいろ聞かせてもらえると嬉しいんですが……」
「いいけど、あんた文屋だろ? 俺、映像屋。いいの?」
男のぶっきらぼうさに、エイミーは唖然としていたが、彼女はむしろそのぶっきらぼうさの奥にある、なにかが気になりだしていた。
「隣に座っていいですか?」
「駄目。通路側、空いてないと落ち着かない」
「じゃあ、奥ならいいですか?」
「見てわからない? 分解整備中」
「なら、見学ということでは?」
「見てわかるの?」
「わかりません」
「意味ない」
「でも……」
「わかった」
気が散ったのか、切りのいいところだったのか、男はバラバラになった機器が床に落ちないようにかき集めて簡易テーブルをずらし、エイミーが通れそうな隙間を作った。
「早く」
「はい!」
相手の短い言葉の圧力からか、エイミーはそそくさと座席とテーブルの間をすり抜けて、男の隣に座った。
テーブルが戻され、その上に分解整備中の機器がまた置かれた。
「わたし、エイミーっていいます」
「名前、出身地、年齢、くだらない典型。つぎは趣味か?」
「でも……お名前くらい教えてくれませんか?」
「……」
男はまた作業に取り掛かった。
「えっと……わたし羽化したばかりみたいのジャーナリストなものなんですけど、映像関係は弱くって……。だから、勉強させてもらえたらと思って……」
「本気? 死ぬよ」
エイミーは、そのあまりにも短く無愛想ないいかたを耳にして、数瞬凍りついた。
しかし、その男が顔をあげたとき、本気でそういったのだと気づいた。
男の顔には、片目を跨ぐように大きな傷跡があり、そのせいで片目が見えていないらしかった。
エイミーは思わず、座席から数センチほど飛び上がらんばかりだった。
「ごめんなさい……ちょっと驚いちゃいました……」
「気にしてない。俺、チクローポ。ニックネーム。あんたは?」
「パヴリーンです」
その名前に興味をもったのか、男は手を止めてエイミーの顔を見つめた。
「イタリア語、話せる?」
エイミーはすぐに返答した。
「シー・ラ・パルロ」
それから、二人はイタリア語を使って話しはじめた。
このときエイミーは、国際宇宙機構で過ごした十二年は、決して無駄ではなかったと感じていた。




