第29話 事務所スカウト2
「ハッ!!またいなり寿司の誘惑に負けてしまった!!」
我に返った時には、お土産でもらったいなり寿司のお弁当はすっかり空になっていた。
もう~!僕のバカ!!いくらいなり寿司が好きだからって!初対面の人の前で無我夢中になって食べ尽くしてしまうなんて!恥ずかしッ!!
あ、でもこれは橘さんが持ってきたいなり寿司にも責任があると思うんだよね。ご飯はちょうどいい程甘酸っぱくてもっちりしてたし、油揚げも噛み応えがあって美味しかったし、その上種類も揃っていて……。
ハッ!!こんなことを考えてる時じゃなかった!!
「ご、ごめんなさい!!お客様の前で!!つい、いなり寿司に夢中になっちゃって!!ほら、イチゴ!お前も一緒に謝れ!!」
「キュウ?」
「お前も隣で一緒に食べてただろ!?見てたからな?お前も同罪だ!!」
目を丸くしてトボけても無駄だからな!
僕が見逃すとでも思ってるのか!口元にお弁当もついてるくせに!!
僕はイチゴの頭を下へ押しながら、橘さんに向かって一緒に頭を下げた。
僕がした行動がお客様、しかもこれから所属するかもしれない事務所の人の前でしていい振る舞いだとは口が裂けても言えなかったからだ。
子供ならではの粗相だと笑って許してくれるならいいが、無視されたと思って橘さんがこのまま帰ちゃったらどうしよう……!!
そんなことを考えながら少し緊張して空気を読んでいると、頭の上から橘さんの優しい声が聞こえてきた。
「いえいえ。私が食べていいと言いましたから。これくらいで怒ったりしませんよ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。それにしても本当に美味しそうに食べるんですね。見ているこっちもなんだかもっと美味しくなっちゃって食べすぎちゃったくらいです」
「へへ、ありがとうございます。すっごく美味しかったです」
僕は頬を掻きながら橘さんの表情を探った。
言葉とは裏腹に、表情は相変わらず何を考えているのか読めない無表情だったが、幸い怒っているようには見えなかった。
それを見て僕が胸を撫で下ろしていたところ、橘さんが食卓から弁当箱を片付けたあと、そこに書類を置いて僕に話し始めた。
「ゴホン!では本題に入らせてもらいます。皓くんも分かっていると思いますが、本日私がこうしてここにきたのは、皓くんとマネジメント契約を結びたいからです。率直に言うと、皓くんの持つ個性はこのダンジョン配信業界において極めて稀な貴重なものです。人間が獣人に変身する能力は、これまでどこの国でも出なかった珍しいスキルですし。皓くんのその可愛らしい容姿も素晴らしいものです」
「は、はい」
「ですがそんな才能があっても、皓くんはまだ小学生です。小学生という年齢は、低年齢化が進んでいるダンジョン配信業界においても前例のないものです。だから私たちも皓くんの才能とは別として、小学生の身でダンジョンへ潜らなければいけない皓くんが抱く不安については、私たちも重々承知しています。ですのでお約束します。皓くんがダンジョンへ入る際には、皓くんの身の安全を守れるようB級以上のハンターを必ず同行させること。そして決して高ランクのダンジョンに入るのを強要しないこと。何があっても絶対に皓くんの体調を最優先にすること。あ、もちろんこの条件をつけることで、契約上皓くんにデメリットはないと保証します。契約書はうちの事務所の標準で締結しますので!この点はすでに所属しているリンネさんから確認してもらえると思います。さて、皓くん。これでどうでしょうか?」
「ええと、その……」
いや、この人のこの勢い何なの。すごすぎるんですけど。ちょっと怖いくらいですけど。さっきまで静かに座っていたのが幻ではないかと思うほどの豹変ぶりなんですけど。
早口すぎて相槌を打つ隙すらろくに掴めなかった。
まるでこの瞬間を待ち続けていたかのような綺麗とまで言えるスピーチ。
だがそれゆえに生まれる疑問があった。
僕は首を傾げながら橘さんに聞いた。
「何だか思ったよりずっと積極的ですね。今まで何の連絡もなかったから、スターライズは僕のこと眼中にないんだと思ってましたけど……」
正直、鈴ねーを通じて連絡が来ていたなら真っ先に検討していたはずだ。
だけど全く連絡がなかったから、スターライズは僕に関心がないのだと思って事務所候補から除外していたのだけれど。
そんな僕の疑問を耳にした橘さんは、少し困ったような表情を浮かべて僕の問いに答えた。
「ああ、それは……本来はもっと皓くんの動揺が収まってから伺うつもりだったのです。いくら初級ダンジョンとはいえ、一人で隠し部屋へ迷い込んでそこでボスモンスターと交戦なんて、かなり精神的負担になったはずですから。ただそれにも関わらず、まさかストーカー紛いのことをする事務所が出るとは思いも寄らず……リンネさんからそれを聞いて、このままではいかないと急いで駆けつけた次第です」
「ああ、そうなんですね」
確かに大事ではあったよな。
普通の人間があんな目に遭ったなら、間違いなくトラウマになっただろうし。
僕はそうならなかったけどね。
まあ何にせよ、橘さん、つまりスターライズ側の考えは分かった。
ならば契約について本格的に検討する番なのだが――。
まあ、考えるまでもないか。鈴ねーの説明を聞いた時から心はある程度決まっていたし。
そもそもスターライズは認知度もかなり高い配信業界の大手である上に、これまでの鈴ねーを見た限り、契約を盾に無理やり何かを強要する気配もなかった。まだ学生である鈴ねーが僕に気前よくアイテムを買ってあげることもできるのを見ると、配分も相当良いのだろう。その上契約を結んでしまえば、今までのように事務所連中からつきまとわれることもなくなるわけだ。
僕に取ってはいいことしかない。
それに何より、子供だからと初めから君付けで見下してこない点が気に入った。
他の事務所たちはどこもかしこも君付けだったし、酷いところはタメ口混じりで話しかけてくる連中すらいたのだから、尚更そう思われた。
その上元々僕の目的は有名になってチヤホヤされることなんだから、僕にとっては実質メリットしかないのだ。
うん。契約一択だな!
だがこのまま何もなく契約するのも興がない。 僕はニヤリと笑いながら橘さんに言った。
「契約します。一つだけ僕の条件を呑んでくれるなら」
「……何でしょう」
緊張したように表情を硬くして僕をまっすぐ見つめる橘さん。 僕はそんな彼女に真剣な声でこう言った。
「またいなり寿司を買ってください。それが僕の条件です」
「……はい?今なんて…?」
「またいなり寿司を買ってください、と言いました。……ダメですか?」
「……」
しばしの沈黙。
しかしすぐに僕がただ『また一緒にいなり寿司が食べたいです』と言っただけだと悟った橘さんの口角が上がり、橘さんは今日初めて見せる笑みを口元に浮かべながら明るく答えた。
「もちろんダメじゃないです。いくらでも買ってあげますから、また一緒にいなり寿司を食べましょう」
「やった!じゃあ、契約します!」
「……!!」
「ただ両親にも許可をもらわなきゃいけないので、返事をするまでに少し時間がかかると思うんですけど、いいですか?」
「もちろん構いません!皓くんの意思を確認できただけでも、私たちは大満足ですから!」
「よかったね、橘さん!毎日いなり寿司のお弁当作った甲斐があったね!」
「ええ、本当に。リンネさんも協力してくれてありがとうございました!」
……え?ちょっと待って?今なんて言った?
「え?もしかしてさっきのいなり寿司、橘さんが手作りしたんですか!!??」
「あ、はい。そうです」
「毎日……っていうのは?」
「いつリンネさんから連絡が来てもいいように、万全の態勢を整えていただけです。おかげで最近の夕食はずっといなり寿司でした」
いやいやいや、それ淡々と言っていい話じゃないだろ!!?
いつ連絡が来るかも分からない相手を待って毎日欠かさず手作り弁当を持参し、毎日同じメニューの夕飯を食べ続けたのか!??!?
勿論いなり寿司なら毎日食べても拒否感はないだろうけれど、橘さんの口ぶりを聞く限り、これがいなり寿司でなくとも同じ行動を取っていただろうと推測ができた。
どうりでいきなりの連絡だったにも関わらず、僕の好物であるいなり寿司を手土産として持ってきたと思ったら……!
これ……これって……。
「……もの凄くブラックなのでは?」
もしかして契約、考え直した方がいいのでは?
そう思って深刻な顔をしていると、橘さんがスッと眼鏡を押し上げながら言った。
「違います。誤解のないように言っておきますが、これは私が自発的にやった業務外の行動です。実は私、ダンジョン配信者のオタクでして。趣味と実益を兼ねているというか。いつか丹精込めて作ったいなり寿司を皓くんに食べてもらえると思えば、それだけで気力も湧いてくるというものです」
「……あ、ああ、そう、ですか?」
幸い、会社がブラックというわけではなかったようだ。
異常だったのは会社ではなく橘さん個人だったらしい。
普通の社会人は出勤を嫌がるものだと耳にしたことがあるけれど。それが楽しいなんて、変わった人だな。
……オタクって全員こうなのか?ちょっと怖いんですけど。




