表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/28

桶が一斉に割れた朝、判明した真実「彼女の魔力は、強すぎた」

広場に朝日が差し込むと、村人の悲鳴が上がった。


「ひび割れてる! 全部だ!」


「一番も二番も、七番まで全部か!」


「昨日はあんなに綺麗に固まってたのに」


「触ったら崩れるんじゃないか、これ」


「触るな! まだ見ただけにしとけ!」


「おい、誰か村長呼んでこい! 大変なことになってるぞ!」


「もう来てる! 見ての通りだ、声を落とせ!」


ケンジは駆け寄り、一番の桶をのぞきこんだ。


灰色の表面に、蜘蛛の巣のような細い亀裂が走っている。


朝露を吸った亀裂の線が、光を受けて銀色に光っていた。


「……全部か」


「全部です! 見てください、ここも、ここも!」


「二番なんて、指の幅ほど開いてます!」


「三番も四番も同じですよ、ほら!」


「五番と六番はどうなんだ、確かめたのか」


「確かめました、同じです! 全部!」


ケンジは指先で亀裂をなぞり、深さを確かめた。


浅い。だが表面全体に、まんべんなく走っている。


指を離すと、爪の間に灰色の粉がわずかに残った。


バルガスが桶を叩き、乾いた音を確かめる。


「割れてるが、崩れてはいないな」


「崩れてない、ってどういうことだ」


「割れたら終わりじゃないのか、これは」


「表面だけだ。中はまだ持ってる」


「表面だけでも、割れは割れだろう」


「壁にこの亀裂が入ったら、そこから水が染みる。冬には凍って広がる」


「凍って、広がる……そうなったら壁ごと終わりじゃないか」


「終わりだ。だから今、原因を潰しておく必要がある」


「原因もわからんのに、どうやって潰すんだ」


「今から調べる。だから桶を壊さずにおいてくれ」


ケンジは眉を寄せ、桶の縁を指でなぞった。


冷たいはずの泥が、まだどこかぬるい。


指先に残る熱の感触に、ケンジは思わず眉根を寄せた。


「リリアーナさんは」


村長が屋敷の方を指差す。


「部屋に閉じこもっちまって、朝から出てこないんです」


「様子は」


「声もかけたんですが、返事が細くて。よほど参ってる様子で」


「呼んでくれ」


「呼んだんですが、返事がなくて」


「無理にでも開けさせるべきか、それとも」


「いや、俺が行く」


「一人で大丈夫か、あの様子だぞ」


「大丈夫だ。桶の方、頼む」


ケンジは屋敷へ走った。


木の扉の前に立ち、拳で叩く。


板の冷たさが、拳の骨まで伝わってくる。


「リリアーナさん、開けてください」


返事はない。


「聞こえてますか。桶のことで話が」


扉の向こうから、くぐもった声が返った。


「……私が、壊しました」


「まだ壊したと決まったわけじゃ」


「決まってます。私が触った桶だけ、全部割れたんですよね」


「触った桶だけじゃない。全部です、七つとも」


「だから、です。全部に触ったから、全部が割れた」


「待ってください、そこは順番が逆かもしれない」


「逆じゃありません。私の力が、余計だったんです」


「余計だったかどうかは、まだ何も確かめてない段階です」


「確かめなくても、わかります。私が触らなければ、こんなことには」


「その言い方は、まだ早すぎる」


「早くありません。私はいつもこうです。触れば、駄目にする」


「駄目にする、と決めつける前に、俺に少し時間をください」


「時間をもらっても、結果は変わりません」


「変わるかもしれない。今はまだ、誰にもわからないことです」


ケンジは扉に背を預け、息を吐いた。


板越しに伝わる沈黙が、思ったより重い。


「今、桶を調べてます。少し待っててもらえますか」


答えはなかった。


廊下を戻りながら、ケンジは自分の手のひらを見つめた。


昨夜、灰色に染まった彼女の指先を思い出す。


広場に戻ると、バルガスが二番の桶を叩いていた。


「まだ持ってる。芯は固い」


「芯が固くても、表がこれじゃ使い物にならんぞ」


「使い物にならないとは、まだ言い切れない。原因次第だ」


「原因ってのは、そんなにすぐ見つかるものなのか」


「見つける。時間はかけない」


ケンジはしゃがみ、桶の側面に手のひらを当てた。


「……熱い」


「熱い? 昨日固まったばかりだぞ」


「まだ熱いんです。丸一日経ってるのに」


「石が熱を持つのは、当たり前じゃないのか。日に当たれば」


「日陰の桶も同じです。触ってみてください」


バルガスが手を当て、目を見開いた。


「本当だ。中から出てる熱だ」


「日向のと同じ熱さか」


「同じです。だから日差しのせいじゃない」


「日差しのせいじゃないなら、何のせいだ」


「そうです。固まる時に、熱が出るんです」


「泥が固まるだけで、熱が出るのか」


「出ます。急に固まるほど、一気に出る」


「一気に出ると、何が悪い」


「外側から先に冷めるんです。中はまだ熱いまま」


「それで」


「中と外で、縮み方が違ってくる。引っ張り合って、割れる」


村人の一人が首をかしげた。


「縮み方が違うだけで、石が割れるのか」


「割れます。熱いガラスに水をかけたら割れるのと同じです」


「ガラス……なるほど、急に冷えるとまずいってことか」


「急に固まるのも、同じくらいまずいんです」


「じゃあ、ゆっくり固めりゃよかったのか」


「そうです。ゆっくりなら、中と外の熱がならされる」


「ゆっくりって、どのくらいだ。半日か、それとも三日か」


「本来は三日かけて出る熱です。それを、昨夜は一晩で出した」


バルガスが桶を見回し、腕を組んだ。


「じゃあ、あの嬢ちゃんの力は」


「速すぎるんです。普通なら三日かけて出る熱を、一晩で出してる」


「速いのは、良いことだと思ってたが」


「速いだけじゃ駄目なんです。ゆっくり出さないと、割れる」


「なら、あの力は使わない方がいいってことか」


「そうじゃない。使い方を変えればいい」


ケンジは立ち上がり、屋敷を振り返った。


朝の光が屋敷の壁を白く照らし、閉じた扉の輪郭だけが影になっている。


「リリアーナさんの力が弱いんじゃない。逆です」


「逆?」


「強すぎるんです。だから、扱い方がいる」


「扱い方だと? そんなもの、今から間に合うのか」


「間に合わせる。四十日あれば、手順ぐらい作れる」


ケンジはもう一度屋敷へ走り、扉の前に立った。


「リリアーナさん」


「……」


「原因、わかりました。熱です」


かすかに、衣擦れの音がした。


「熱、ですか」


「あなたが触ると、固まる熱が一気に出る。それで内と外に差ができて、割れる」


「それは……私のせいですよね」


「せいじゃない。あなたの力が強すぎるだけです」


「強すぎるのも、駄目ってことじゃないですか」


「駄目じゃない。使い方がなかっただけです」


「使い方が、なかった……本当に、それだけなんですか」


「それだけです。桶を叩いて確かめた。芯は誰よりも固い」


扉の閂が、ゆっくりと外れる音がした。


ケンジは扉を開け、彼女と目を合わせた。


伏せられたままの目元と、握りしめられた袖口が見える。


「あなたの力は欠陥じゃない。手順がまだ無いだけだ」


リリアーナが顔を上げる。


「手順……」


「温度を測りながら、少しずつ触ってもらう。一度に全部じゃなく」


「少しずつなら、割れませんか」


「割れない。中と外の差が、大きくならないから」


「本当に、それだけで」


「言葉じゃなく、今から見せます。八番の桶が、まだ空いてる」


ケンジはリリアーナを連れて広場に戻り、空の桶の前にしゃがんだ。


「触るのは、指一本だけです。数を三つ数える間だけ」


「それだけで、いいんですか」


「それだけです。長く触れないでください」


リリアーナが指を伸ばし、桶の縁に触れて、すぐに離す。


バルガスが桶に手を当てた。


「……ぬるいだけだな。さっきの熱さとは違う」


「まだ半分も熱が出てない証拠です。しばらく待ちます」


村人たちが遠巻きに集まり、桶を見つめた。


「まだひびは入ってないな」


「まだですよ、これからです」


「本当に大丈夫なのか」


「待ってください、まだ途中です」


日が傾く間、誰も桶から目を離さなかった。


半刻ののち、ケンジは桶の側面に触れ、頷いた。


「熱が引いてきた。もう一度、同じだけ触れてください」


リリアーナが再び指を触れさせ、すぐに離す。


「これで終わりですか」


「終わりです。あとは待つだけです」


夕暮れ、ケンジが桶の表面を指でなぞった。


灰色の面に、亀裂は一本も走っていない。


バルガスが鉄槌の柄で桶を軽く叩き、耳を澄ませた。


「……澄んだ音だ。割れてる音じゃない」


「ひびがない! 本当にないぞ、これ!」


「八番だけ、朝からずっと無事ってことか」


「無事です。少しずつ触れば、割れない」


村人たちの間から、安堵の声が漏れた。


リリアーナが桶を見つめ、声を落とす。


「本当に、私のやり方が悪かっただけなんですね」


「やり方です。あなたの力のせいじゃなかった」


リリアーナの表情が、わずかに緩んだ。


「……できます、それなら」


ケンジはそこで言葉を止め、彼女の腕に目を落とした。


「あと、ひとつ聞いていいですか」


「なんでしょう」


「その灰色、どこまで広がってますか」


リリアーナの手が、袖口をきつく握りしめた。


答えは、返らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ