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「試験区画からは音がしません」音響知識で兵を救い、軋む手抜き防壁が汚職官僚の嘘を暴き出す

審問室の扉が開いた瞬間、ガレンの視線が原本の束へ突き刺さった。


紙の焦げた匂いが、まだ室内にわずかに漂っている。


机の端には煤で汚れた紙が四枚、几帳面な間隔で並べられていた。


「これが、証拠とやらか」


「七番、八番、十番、十二番。全て発注三十に対し、実着は二十前後です」


「たかが四枚の紙で、四十年仕えた者を裁くつもりか」


「四枚ではありません。同じ手口が、四つの樽で揃っているという意味です」


「揃っているというのは、お前の主観だろう」


「主観ではありません。数字と筆跡、両方が示しています」


「筆跡だと? 誰の目で見た筆跡だ」


「私の目です。毎日、書類を運んでいましたから」


隊長格が原本を手に取り、光にかざす。紙面の皺が、影となって浮かんだ。


指先が数字の重なりをなぞり、乾いた紙の音が室内に小さく響いた。


窓から差す光が紙を透かし、消したはずの数字の輪郭を浮かび上がらせる。


「筆跡は本人のもの。差の幅は毎回同じ。偶然では片付きません」


「言いがかりだ。村の記録係の数え間違いという可能性は、潰したのか」


「潰しました。単位の取り方が違うだけで、両者は本来一致するはずのものです」


「単位が違えば、多少のずれくらい出るだろう」


「多少ではありません。毎回、注文の三分の一が同じ幅で消えています」


「三分の一と言い切れる根拠は」


「四つとも同じ割合です。偶然でこの幅は揃いません」


ケンジが静かに言い切ると、ガレンの口元がわずかに歪んだ。


「口が回るな、田舎の技術屋にしては」


「技術屋だからこそ、数字の意味は読めます」


「数字が読めても、真実が読めるとは限らんぞ」


「読めなければ、四つの樽が同じ幅で欠けたりはしません」


「屁理屈だ」


「屁理屈で、四枚とも同じ割合になりますか」


そのとき、遠くから低い震動が届いた。


窓ガラスが小さく震え、審問室の空気が一瞬止まる。


「今のは……」


「魔晶石区画の方角です」


伝令の少年が扉から顔を覗かせ、震える声で告げた。


「先遣隊の再接触です! 区画に負荷が!」


「負荷って、どれくらいだ」


「わかりません、ただ音が、さっきより強くて」


「あと二十二日。在庫の報告も、今」


「二十三日から、また減ったのか」


「減りました。日に一日ずつ、確実に」


リリアーナが石化した手で原本の束を押さえ、こぼれ落ちないよう寄せる。


灰色の指先が紙の縁に食い込み、束をひとつにまとめた。


「今はそれどころじゃない」


窓の外、防壁の方角から近衛兵の怒声が届く。


「音のする方から離れろ、こっちだ!」


「待て」


ケンジが立ち上がり、窓へ向かって叫んだ。


「そっちじゃない! 音は反響してるだけだ!」


「反響……?」


隊長格が振り返る。


「音の伝わり方でわかるのか、遠くにいて」


「わかります。硬い壁に当たった音は、実際の発生源より近く聞こえる」


「近く聞こえる、だと。それはどういう理屈だ」


「音は真っ直ぐ届く分と、壁に跳ね返って届く分がある。跳ね返った音の方が、耳には大きく聞こえるんです」


「跳ね返った方が、大きい……」


「そうです。だから音の大きい方へ逃げるのは、逆に危険なんです」


「じゃあ、本当に危ないのは」


「魔晶石区画の真下だ。試験区画側に退避しろ!」


窓の外で、近衛兵が一瞬立ち止まる気配がした。


「本当に、そっちで合ってるのか!」


「合ってる。急げ!」


「根拠は、なんだ! 命がかかってるんだぞ!」


「音の高さが違う! 低く長く響く方が、震源に近い!」


「高い方じゃなくて、低い方だと言うのか!」


「そうだ! 高く鋭い音は反響、低く長い音が本物だ!」


数秒の沈黙が、部屋を満たす。


粉塵の匂いが、開いた窓から薄く流れ込んできた。


隊長格の指先が、机の端をきつく握りしめている。


「動きました! 試験区画側へ!」


伝令の声が跳ねた。


「近衛兵、全員退避完了です!」


隊長格が窓辺に歩み寄り、遠くを見つめる。


「……間に合ったか」


「まだです。区画自体が持つかどうかは、別の話だ」


ケンジの声に、緊張が残る。


「試験区画は、どうだ」


「表面に変化なし! こっちは持ちこたえてます!」


近衛兵の声が、今度は落ち着いていた。


「持ちこたえてる、だと」


ガレンの眉が、かすかに動く。


「田舎の改修工事とやらが、余計な負荷をかけたんじゃないのか」


「それなら聞かせてください」


隊長格がガレンへ向き直った。


「今、軋んでいるのはどちらの区画です」


「そんなもの、離れた場所からわかるはずが……」


「わかります。今、まさに音が答えを出しています」


「答えが出るまで、待てと言うのか」


「待つ必要はありません。もう鳴っています」


沈黙が落ちる。


窓の外から、ピシ、ピシ、と乾いた音が続けて響いた。


「試験区画からは、音がしません」


近衛兵の報告が、部屋の隅々まで届く。


「軋んでいるのは、旧来のままの区画です」


「その区画は、改修していない場所だな」


「そうです。手を加えていない、元のままの壁です」


隊長格の声が、静かに鋭さを増した。


「改修していない場所が崩れかけていて、改修した場所は無事だ。これは、何の証明になる」


「偶然だ」


ガレンの声が、わずかに上ずった。


「偶然が、こう毎回都合よく重なるものですか」


「都合よく、というのはそちらの解釈だろう」


「解釈ではありません、記録と、今この瞬間の音です」


「音など、聞き方でどうとでも取れる」


「では、聞き方を変えれば試験区画も軋むと?」


「それは……」


リリアーナが原本の束を胸に抱え、初めて口を開いた。


石化した指先が、紙の端で小さく震えている。


「発注記録の改ざんも、区画の耐久も。全部、同じ方向を指してます」


「小娘が、口を挟むな」


「小娘でも、数字は読めます」


「数字より、立場をわきまえろ」


「立場より先に、真実があります」


クラインが包帯の腕をかばいながら、机に手をついた。


「俺も見ました。原本の書き直しの跡を。あれは、事故では説明がつかない」


「お前まで……」


「俺だけじゃない。数字がそう言ってるんです」


ガレンの視線が泳ぎ、返す言葉を失っていく。


隊長格が原本の束を掲げ、静かに、しかしはっきりと告げた。


「この原本、証拠として正式に受理する。ガレン殿、貴殿の発注権限を本日付で停止する」


「た……たかが、それだけの紙切れで」


「それだけの紙切れが、四枚とも同じ手口を示している。追って正式な沙汰があるまで、身柄はこちらで預かる」


「身柄を拘束するというのか、この私を」


「そうだ。控えの間へ」


隊長格の合図で、居合わせた衛兵二人がガレンの両脇に立つ。


ガレンの顔から、みるみる血の気が引いていった。


そこへ再び、震動が届いた。


先ほどより、明らかに大きい。


「区画の様子は!」


隊長格が窓へ駆け寄る。


「亀裂が広がってます! 崩落まで、時間の問題です!」


近衛兵の声に、悲鳴に近い響きが混じった。


粉塵の舞う音が、風に乗って審問室まで届く。


ケンジが窓の外を見据え、拳を握った。


「まだだ。ここで終わるわけにはいかない」


亀裂の走る音が、一段と鋭くなる。


窓の外、魔晶石区画の一部が、今にも崩れ落ちようとしていた。

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