「間に合わない」灰300樽の絶望、俺は石垣を"型枠"に変えて村を救う
「壁一枚に、灰がおよそ三百樽。石灰石は百五十樽ってところですね」
ケンジが板に炭で数字を書きなぐると、広場に集まった村人たちの間から低いどよめきが起きた。バルガスが太い眉を寄せ、板をのぞきこむ。
炭の粉が板から舞い、朝の光の中で白く散った。数字の羅列を見つめる村人たちの顔から、次第に血の気が引いていくのがわかった。
「三百樽だと? 昨日焼いたのは、たった一樽分だぞ」
「はい。今の焼き窯と、今の人手のままだと」
「だと、なんだ」
「村総出で運んでも、二か月はかかります」
その一言で、広場の空気が固まった。子供を抱えた女が声を震わせる。
「二か月って……スタンピードは、あと四十日でしょう」
「そうです。今のやり方じゃ、間に合わない」
「間に合わないって、あんた昨日は『間に合った』って言ったじゃないか」
「試験片一個は間に合いました。でも防壁全部は、話が別なんです」
「別って、どう別なんだ。石が固まるのに変わりはないだろう」
「量が違う。指先分の泥と、壁一枚分の泥は、同じ『固まる』でも重みが違うんです」
「重みって、そりゃ樽の数の話か」
「樽の数であり、運ぶ人手の話でもあります。一樽運ぶのに大人一人が半日かかる」
「半日……三百樽なら」
「単純に数えれば、延べ百五十人日。灰だけでその数字です」
バルガスが鉄槌の柄を握りしめ、吐き捨てるように言った。節くれだった指の関節が、白く浮き上がった。
「なら意味がないな。作れないものを、作れると吹聴したのか」
「作れないとは言ってません。量を減らせばいい」
「壁を薄くするのか。そんなもの、魔物の突進に一撃で抜かれるぞ」
「薄くはしません。減らすのは別の場所です」
「別の場所ってどこだ。壁は壁だろう」
「見ればわかります。少し待ってください」
リリアーナが板の数字を指でなぞりながら、首をかしげた。指先の灰色が、炭の黒とかすかに重なって見えた。
「別の場所って、どこ」
「バルガスさん、聞いていいですか。今ある石垣、あれ全部壊すんですか」
「壊すに決まってるだろう。お前の泥に置き換えるんじゃないのか」
「壊しません。あの石垣、そのまま使います」
「使うって、どうやって使うんだ。あれは石を積んだだけの壁だぞ」
「積んだだけだから、隙間があるでしょう」
バルガスが眉根を寄せ、自分の石垣を振り返った。朝日を受けた石の連なりが、村の外周に沿って灰色の帯のように延びていた。石と石の継ぎ目に、指の入るほどの隙間がいくつも覗いていた。
「隙間? そりゃ多少はあるが、それがどうした」
「その隙間に、コンクリートを流し込むんです」
村人の一人がぽかんと口を開けた。
「石垣の隙間に、泥を詰めるだけか。そんなんで防壁になるのか」
「隙間だけじゃない、心配なのは分かります。でも突進の力は石垣が受け止めて、コンクリートは崩れを止める役です」
「役割が違う、ってことか」
「石垣が骨組みで、コンクリートがそこを埋める筋肉になる。骨と筋肉、両方揃って初めて強い壁になるんです」
「骨と、筋肉……」
「石だけじゃ突進に崩れる。泥だけじゃ薄すぎて割れる。でも組み合わせれば、片方の弱点をもう片方が埋める」
「片方が崩れても、もう片方が支えるってことか」
「そうです。二つで一つの壁になる」
「本当にそれで、鉄槌に耐えたやつと同じ硬さになるのか」
「隙間の中身は同じ配合です。硬さは変わりません。変わるのは量だけだ」
バルガスが腕を組み、しばらく黙り込んだ。太い指が二の腕に食い込み、視線は石垣と板の数字を何度も往復した。誰も口を挟まず、風が広場の炭の粉をさらっていく音だけが響いた。
「つまり、壁を新しく打ち直すんじゃなく……俺が積んだ石垣を、型枠に使うってことか」
「その通りです。型枠を一から作る手間も、材料も要らない」
「必要な量は」
「隙間だけでいい。壁の体積で言えば、三分の一で足ります」
「三分の一……三百樽が、百樽になるのか」
「石灰石も同じ比率です。百五十樽が、五十樽まで落ちます」
「百樽なら、今の人手でも」
「延べ人日で言えば五十人日。村の大人が総出で当たれば」
「二十日もあれば運びきれる」
「灰の窯も、石灰石を砕く手も、今のままで足りるってことか」
「足ります。むしろ、余裕を持って焼き増しできる」
村人たちの間に、さっきとは違うどよめきが広がった。誰かが「間に合うのか」と呟き、隣の誰かがそれに頷いた。子供が母親の袖を引き、「間に合うって!」と繰り返した。
バルガスは自分の積んだ石垣に歩み寄り、ごつごつした表面を平手で叩いた。乾いた音が広場に響いた。彼はもう一度、拳の側面で石の継ぎ目を確かめるように叩いた。
「俺の石垣を、使うのか」
「使う。あんたの石垣は型枠として一級品だ」
「一級品、だと。俺の積み方の、何が一級品なんだ」
「継ぎ目が揃ってる。隙間の幅がほとんど均一だ。これなら流し込む量も読める」
「……そうか」
バルガスの声から、さっきまでの刺々しさが消えていた。石工は自分の作った壁を、もう一度端から端まで見渡した。継ぎ目の一つ一つに、指を這わせるように。
「なら、隙間の寸法を測り直す必要があるな。俺がやろう」
「助かります。板と縄を用意してもらえれば」
「お前が寸法出すんじゃないのか」
「石垣の癖は、積んだ本人が一番わかる。餅は餅屋です」
「餅は……なんだ、それは」
「得意な者に任せろって意味です」
バルガスが初めて、口の端をわずかに緩めた。
「妙な言い回しをする男だ」
その時、リリアーナが自分の両手を見つめたまま、動かなくなっていることにケンジは気づいた。フードの影の中で、彼女の指先はうっすらと灰色を帯びている。周りの喧騒から一人だけ切り離されたように、彼女はじっと自分の手のひらを見ていた。
「リリアーナさん、どうしました」
「……あの」
「はい」
リリアーナは自分の手のひらを、ゆっくりと開いて見せた。灰色の陰影が、指の関節に沿って薄く走っていた。朝の光の下でそれは、乾いた石の粉のようにも、皮膚そのものの色のようにも見えた。
「量が三分の一になっても、触媒は要るんですよね。急いで固めるところには」
「たぶん、何か所かは」
「何か所って、具体的には」
「まだわかりません。バルガスさんの寸法が出てから決めます」
「決まったら、教えてもらえますか。心の準備が要るので」
「必ず。あなたに無理はさせません」
リリアーナは小さく頷いたが、視線は自分の手のひらから離れなかった。指先をそっと握り、開き、また握った。
「私はどれだけ触れればいいのでしょう」




