表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/32

「間に合わない」灰300樽の絶望、俺は石垣を"型枠"に変えて村を救う

「壁一枚に、灰がおよそ三百樽。石灰石は百五十樽ってところですね」


ケンジが板に炭で数字を書きなぐると、広場に集まった村人たちの間から低いどよめきが起きた。バルガスが太い眉を寄せ、板をのぞきこむ。


炭の粉が板から舞い、朝の光の中で白く散った。数字の羅列を見つめる村人たちの顔から、次第に血の気が引いていくのがわかった。


「三百樽だと? 昨日焼いたのは、たった一樽分だぞ」


「はい。今の焼き窯と、今の人手のままだと」


「だと、なんだ」


「村総出で運んでも、二か月はかかります」


その一言で、広場の空気が固まった。子供を抱えた女が声を震わせる。


「二か月って……スタンピードは、あと四十日でしょう」


「そうです。今のやり方じゃ、間に合わない」


「間に合わないって、あんた昨日は『間に合った』って言ったじゃないか」


「試験片一個は間に合いました。でも防壁全部は、話が別なんです」


「別って、どう別なんだ。石が固まるのに変わりはないだろう」


「量が違う。指先分の泥と、壁一枚分の泥は、同じ『固まる』でも重みが違うんです」


「重みって、そりゃ樽の数の話か」


「樽の数であり、運ぶ人手の話でもあります。一樽運ぶのに大人一人が半日かかる」


「半日……三百樽なら」


「単純に数えれば、延べ百五十人日。灰だけでその数字です」


バルガスが鉄槌の柄を握りしめ、吐き捨てるように言った。節くれだった指の関節が、白く浮き上がった。


「なら意味がないな。作れないものを、作れると吹聴したのか」


「作れないとは言ってません。量を減らせばいい」


「壁を薄くするのか。そんなもの、魔物の突進に一撃で抜かれるぞ」


「薄くはしません。減らすのは別の場所です」


「別の場所ってどこだ。壁は壁だろう」


「見ればわかります。少し待ってください」


リリアーナが板の数字を指でなぞりながら、首をかしげた。指先の灰色が、炭の黒とかすかに重なって見えた。


「別の場所って、どこ」


「バルガスさん、聞いていいですか。今ある石垣、あれ全部壊すんですか」


「壊すに決まってるだろう。お前の泥に置き換えるんじゃないのか」


「壊しません。あの石垣、そのまま使います」


「使うって、どうやって使うんだ。あれは石を積んだだけの壁だぞ」


「積んだだけだから、隙間があるでしょう」


バルガスが眉根を寄せ、自分の石垣を振り返った。朝日を受けた石の連なりが、村の外周に沿って灰色の帯のように延びていた。石と石の継ぎ目に、指の入るほどの隙間がいくつも覗いていた。


「隙間? そりゃ多少はあるが、それがどうした」


「その隙間に、コンクリートを流し込むんです」


村人の一人がぽかんと口を開けた。


「石垣の隙間に、泥を詰めるだけか。そんなんで防壁になるのか」


「隙間だけじゃない、心配なのは分かります。でも突進の力は石垣が受け止めて、コンクリートは崩れを止める役です」


「役割が違う、ってことか」


「石垣が骨組みで、コンクリートがそこを埋める筋肉になる。骨と筋肉、両方揃って初めて強い壁になるんです」


「骨と、筋肉……」


「石だけじゃ突進に崩れる。泥だけじゃ薄すぎて割れる。でも組み合わせれば、片方の弱点をもう片方が埋める」


「片方が崩れても、もう片方が支えるってことか」


「そうです。二つで一つの壁になる」


「本当にそれで、鉄槌に耐えたやつと同じ硬さになるのか」


「隙間の中身は同じ配合です。硬さは変わりません。変わるのは量だけだ」


バルガスが腕を組み、しばらく黙り込んだ。太い指が二の腕に食い込み、視線は石垣と板の数字を何度も往復した。誰も口を挟まず、風が広場の炭の粉をさらっていく音だけが響いた。


「つまり、壁を新しく打ち直すんじゃなく……俺が積んだ石垣を、型枠に使うってことか」


「その通りです。型枠を一から作る手間も、材料も要らない」


「必要な量は」


「隙間だけでいい。壁の体積で言えば、三分の一で足ります」


「三分の一……三百樽が、百樽になるのか」


「石灰石も同じ比率です。百五十樽が、五十樽まで落ちます」


「百樽なら、今の人手でも」


「延べ人日で言えば五十人日。村の大人が総出で当たれば」


「二十日もあれば運びきれる」


「灰の窯も、石灰石を砕く手も、今のままで足りるってことか」


「足ります。むしろ、余裕を持って焼き増しできる」


村人たちの間に、さっきとは違うどよめきが広がった。誰かが「間に合うのか」と呟き、隣の誰かがそれに頷いた。子供が母親の袖を引き、「間に合うって!」と繰り返した。


バルガスは自分の積んだ石垣に歩み寄り、ごつごつした表面を平手で叩いた。乾いた音が広場に響いた。彼はもう一度、拳の側面で石の継ぎ目を確かめるように叩いた。


「俺の石垣を、使うのか」


「使う。あんたの石垣は型枠として一級品だ」


「一級品、だと。俺の積み方の、何が一級品なんだ」


「継ぎ目が揃ってる。隙間の幅がほとんど均一だ。これなら流し込む量も読める」


「……そうか」


バルガスの声から、さっきまでの刺々しさが消えていた。石工は自分の作った壁を、もう一度端から端まで見渡した。継ぎ目の一つ一つに、指を這わせるように。


「なら、隙間の寸法を測り直す必要があるな。俺がやろう」


「助かります。板と縄を用意してもらえれば」


「お前が寸法出すんじゃないのか」


「石垣の癖は、積んだ本人が一番わかる。餅は餅屋です」


「餅は……なんだ、それは」


「得意な者に任せろって意味です」


バルガスが初めて、口の端をわずかに緩めた。


「妙な言い回しをする男だ」


その時、リリアーナが自分の両手を見つめたまま、動かなくなっていることにケンジは気づいた。フードの影の中で、彼女の指先はうっすらと灰色を帯びている。周りの喧騒から一人だけ切り離されたように、彼女はじっと自分の手のひらを見ていた。


「リリアーナさん、どうしました」


「……あの」


「はい」


リリアーナは自分の手のひらを、ゆっくりと開いて見せた。灰色の陰影が、指の関節に沿って薄く走っていた。朝の光の下でそれは、乾いた石の粉のようにも、皮膚そのものの色のようにも見えた。


「量が三分の一になっても、触媒は要るんですよね。急いで固めるところには」


「たぶん、何か所かは」


「何か所って、具体的には」


「まだわかりません。バルガスさんの寸法が出てから決めます」


「決まったら、教えてもらえますか。心の準備が要るので」


「必ず。あなたに無理はさせません」


リリアーナは小さく頷いたが、視線は自分の手のひらから離れなかった。指先をそっと握り、開き、また握った。


「私はどれだけ触れればいいのでしょう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ