【猶予二日】「水を増やして早く固めよう」焦る職人を制し、俺は品質を落とさず工期を半減させる
斥候の兵士が息を切らして駆け込んできたのは、資材を運び込む荷車の列が広場を埋め尽くした直後だった。
土埃を巻き上げながら、荷車の車輪が石畳の上で軋む。
積まれた魔晶石が触れ合って、硬く乾いた音を立てる。
「魔王軍本隊、到達まで五日と判明しました」
「七日じゃなかったのか」
「進軍速度が予想より速いと……申し訳ありません」
兵士の声が震え、報告板を持つ指先が白くなっている。
「その数字、確かか」
クラインが兵士に詰め寄る。
「斥候三人が、別々に同じ数字を出しました。見間違いではありません」
「三人が同じなら、疑う余地はないな」
「では隊長には、どうご報告を」
「五日と伝えろ。誤魔化しても、後で困るのはこっちだ」
「承知しました」
ケンジは荷車の縁を掴んだまま、頭の中で数字を組み替える。
認可が下りたのが昨日。残る猶予は、実質二日しかない。
「認可はいつ下りた」
「昨日の午後です」
「なら実質、二日か」
「二日で終わらせる」
短く言い切ると、職人たちの手が一斉に止まった。
砂を運ぶ手押し車が、途中で止まったまま傾いている。
「二日って……村じゃ養生だけで七日はかけてたでしょう」
「かけてた。でもここは二日しかない」
「無茶ですよ」
「無茶でも、五日後には本隊が来る」
「本当に二日でできるんですか、旦那」
「できるかじゃない。やるしかない」
「なら配合を薄めましょう。水を多くすりゃ、その分早く固まる」
年嵩の職人が、桶を指差しながら言う。
自信ありげな笑み。だがケンジは即座に首を振った。
「薄めるな」
「なんでです。早く固まった方が得でしょう」
「水を増やせば固まりは早いが、強さが落ちる。ここは村と違って、最初から重い負荷がかかる場所だ」
「じゃあどうしろって言うんです、猶予はないんですよ」
「後ろから石でも積みますか」
「積んでも間に合わない。積む前に固まってなきゃ意味がない」
職人が桶を地面に置き、腕を組んで詰め寄る。
クラインが横から口を挟む。
「配合を変えずに、時間だけ縮める方法があるのか」
「配合じゃない。順序を変える」
ケンジは地面に線を引き、区画を二つに割った。
土の上に引かれた線が、二つの区画をくっきりと分ける。
木の枝を握る手に、乾いた土の感触が伝わってくる。
「奥から固める。手前は最後まで型枠で支え続ける」
「それで、何が変わる」
「奥は負荷がかからない場所だ。早く型枠を外しても崩れない。手前は負荷が来る場所だから、型枠が支えてる間に強度を稼がせる」
リリアーナが首をかしげた。
「型枠を外すタイミングを変えるだけ、ということですか」
「そう。配合はそのまま、時間の使い方だけ変える」
「それだけで、間に合うんですか」
「間に合わせる。他に手がない」
「もし間に合わなかったら」
「そのときは、俺の見立てが甘かったってことだ」
「見立てが外れたことは」
「ない。だから今回も外さない」
バルガス仕込みの型枠工がうなずく。
「理屈は分かった。腕は俺たちが動かす」
「頼む」
「奥から先にやりゃいいんだな」
「ああ。手前は最後まで木を外すな」
「わかった」
「打ち込みの順番、間違えるなよ」
型枠工が仲間たちに向かって声を張る。
「間違えたら、二日じゃ済まねえぞ」
◇
一日目、奥の型枠が外された。
木材を外す職人の手つきに、迷いがない。
釘を引き抜くたび、乾いた木片が地面に転がっていく。
「旦那、端が欠けてます」
型枠工の声に、ケンジは駆け寄った。
角の一部が、指の幅ほど崩れている。
「気温のせいか……昨夜、急に冷えた」
「じゃあ他の場所も、遅れてるってことですか」
「いや、待て」
ケンジは崩れた断面に指を這わせる。
砂利の粒が、思ったより粗く不揃いに並んでいる。
「冷えだけじゃない。ここだけ骨材が偏ってる」
「偏ってる、って」
「隅の楔が緩んでた。締めが甘いと、圧が逃げて粗い骨材が下に沈む」
「他の隅は」
「確かめる。全部叩いて回れ」
型枠工たちが一斉に楔を叩き、締まり具合を確かめていく。
木槌の音が、区画の端から端まで響いた。
「……ここも緩んでます」
「締め直せ。奥はまだ、間に合う」
「気温のせいだと思ってました」
「俺も最初はそう思った。だが欠けたのは、冷えた場所じゃなく緩んだ場所だけだ」
締め直した隅に、型枠を当て直して一晩置く。
夜のうちに気温が下がり、翌朝は白い息が上がった。
「寒いと固まりが遅れませんか」
「多少はな。だが楔さえ締まってれば、型枠を外す判断は変えない」
「変えなくて、大丈夫なんですか」
「数字通りに進んでる。昨日欠けたのは気温じゃなく、締めの甘さだ」
二日目の朝、手前の型枠も外れた。
朝日が新しい壁面を照らし、湿った表面がまだ光を弾いている。
冷えた朝の空気に、コンクリートの匂いが混じっている。
近衛の官僚が壁に手を当て、拳で軽く叩いた。
乾いた音が、思いのほか高く響く。
「……硬い」
「まだ二日ですよ。信じられますか」
「これが、二日で?」
官僚の声が上ずる。
「配合を変えたわけじゃない。順序を変えただけです」
「順序だけで、こうも違うのか」
「違います。同じ材料でも、使い方次第で結果は変わる」
「他の区画も、この手で?」
「同じ理屈は使えます。負荷の来る場所を先に見極めればいい」
「見極めを誤ったら」
「誤れば、崩れます。だから見極めが要る」
「誰にでも見極められるものなのか」
「順序を守って記録をつければ、誰にでも」
「才能がなくても、ということか」
「才能はいりません。手順があれば十分です」
「それが、お前の哲学か」
「哲学じゃない。ただの事実だ」
その場に居合わせた別の官僚が、記録板に何かを走り書きしている。
ペン先が紙の上を、忙しなく滑っていく。
「隊長にご報告します。これは……悪くない」
「報告は、それで足りますか」
「十分だ。数字は嘘をつかない」
「田舎の技術と侮っていました。詫びます」
「侮られるのには慣れてます。結果が全部です」
◇
夕刻、簡素な祝杯が並んだ。
粗末な杯に、薄い酒が注がれていく。
ケンジは杯を受け取りながらも、称賛を淡々と受け流す。
「まだ十メートルだ。喜ぶのは早い」
「謙遜が過ぎるぞ」
クラインが苦笑する。
「謙遜じゃない。次は百メートルだろ」
「気の早い話だな、それは」
「早いくらいでちょうどいい。本隊は待ってくれない」
バルガス仕込みの型枠工が杯を掲げる。
「棟梁が見たら、何て言うだろうな」
「腰を抜かすだろうよ、あの石頭が」
小さな笑いが、輪の中に広がった。
その輪の端に、埃まみれの伝令が駆け込んできた。
息を切らし、膝に手をついて呼吸を整えている。
「バルガス様より伝言です。備蓄、あと三十日ぶん」
祝いの声が一瞬止まり、また戻る。
「……三十日、か」
「短いな」
「短い。でも、まだ数えられる」
「数えられるうちは、まだ手が打てる」
リリアーナが懐の包みにそっと手を伸ばしかけ、途中で止めた。
指先が布地に触れた瞬間、迷いが動きを止める。
「……今は、まだ」
小さく呟いて、手を下ろす。
「どうした」
「いえ、なんでもありません」
「無理に話さなくていい」
「……ありがとうございます」
◇
祝いが一段落した頃、クラインが人目を避けてケンジの袖を引いた。
「少し、いいか」
「今か。祝いの最中だぞ」
「今しかない」
裏手の暗がりに連れていかれる。
灯りの届かない路地に、酒宴の喧騒がかすかに漏れ聞こえてくる。
クラインが懐から折れ曲がった紙片を取り出した。
指先がわずかに震え、紙の端を強く握りしめている。
「……これを見てくれ。筆頭様の署名だ」
紙には数字が並び、一部が別の筆跡で上書きされている。
「発注数が、書き換えられてる……?」
「ああ。しかも、増えた方にだ」
ケンジは紙片を受け取り、灯りに透かした。
インクの色が、二重に重なって見える。
「これが本物なら」
「ガレンは、不足に気づいてる。気づいた上で、隠してる」
「なぜ、隠す必要がある」
「それを、これから調べるんだろう」
「一人で調べるつもりか」
「一人じゃ危ない。だから、お前に見せた」
「巻き込むってことか」
「巻き込む。嫌なら今のうちに忘れろ」
「忘れられるわけ、ないだろう」
「なら、明日から動くぞ」
「望むところだ」
沈黙が、二人の間に落ちた。




