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「証拠隠滅のつもりか?」筆頭魔導師による記録庫封鎖。だが品質管理の基本『記録の二重化』は怠らない

記録庫の扉に、真新しい貼り紙が貼られていた。


墨がまだ乾いていない。「立入禁止」の四文字だけが、やけに大きい。


朝の光が扉板を斜めに照らし、貼り紙の白さだけが浮き上がっている。


紙の端から、糊の匂いがかすかに漂ってきた。


「……これは」


クラインが貼り紙に触れる。指先に墨がわずかに移った。


「筆頭様の勅令です。部外者の立ち入りを禁ずる、と」


役人が書類を掲げながら告げる。声は硬く、目はケンジと合わせようとしない。


「破ったら、どうなる」


「投獄されます。例外はございません」


「例外なし、か。ずいぶん徹底してるな」


「証拠を隠すために閉めたのか」


「私は、命令を伝えるだけです」


「筆頭様の名で出された勅令に、異議は唱えられないのか」


クラインが役人に食い下がる。


「規定にございません」


「規定にないなら、前例を作ればいい」


「前例は、私の一存では作れません」


「命令を出した本人に聞きたいところだな」


「それは……私の立場では、お答えできません」


「答えられないってことは、答えを知ってるんだろう」


「……失礼します」


役人が逃げるように去っていく。残されたのは、閉ざされた扉だけ。


木戸の隙間から、記録庫特有の紙とインクの匂いがかすかに漏れている。


「これで終わりか」


クラインの声が沈む。


「終わってない。斥候の話は聞いたか」


「聞いた。本隊到達、五日からさらに縮んだそうだな」


「三日だ」


「三日……冗談だろう」


「冗談で三十日を削られてたまるか」


「打つ手はないのか」


クラインの声に苛立ちが滲む。


「今、考えてる」


「考えてる暇が、あとどれだけある」


「じゃあ、俺たちに残された猶予は」


「記録庫の扉一枚分だけ縮んだ、ってところだ」


「笑えない冗談だな、それも」


「笑わせるつもりはない」


沈黙が落ちる。誰も次の言葉を出せない。


風が路地を吹き抜け、貼り紙の端がかすかに鳴った。


「待て」


ケンジが顔を上げる。


「どうした」


「記録庫に入れなくても、写しがあるはずだ」


「写し、だと」


「灌漑水路の記録も、供試体の結果も、伯爵領の公式文書として副本を提出してる。慣例だ」


「提出先は」


「伯爵家だ。記録庫が閉まってても、副本まで封じたわけじゃない」


「本当に、そんな慣例があるのか」


「第4話からずっとそうしてきた。記録は俺が死んでも残るようにって、二重に付けてきたんだ」


「村の帳面だけじゃなく、王都とのやり取りもか」


「王都に出す書類は、写しを取らないと通らない。決まりだ」


「お前がそこまで徹底してたとは、正直知らなかった」


「知らなくていい。使う時に思い出せば十分だ」


クラインの目に光が戻る。


「それは、誰が確かめられる」


「リリアーナ様なら、伯爵家の文書に触れる権利がある」


「なるほどな……閉じられた扉じゃなく、別の扉を探すわけか」


「扉が一つ閉まっただけで、道が全部消えたわけじゃない」


「その通りだ。行こう、時間がない」



「伯爵家の副本を根拠に、異議を申し立てます」


リリアーナが書類を掲げる。手が震えているが、声は震えていない。


「異議、だと」


役人が眉をひそめる。


「記録庫が閉鎖されていても、伯爵領の公式副本は別の管理下にあります。閲覧を拒む理由がありません」


「筆頭様は、部外者の立ち入りをと」


「私は部外者ではありません。伯爵家の当主代理です」


「その主張、根拠となる書面はお持ちですか」


「ここに。父の代理権を示す印章付きの書状です」


役人が書状を受け取り、印章に目を近づける。指先が紙の端をなぞる。


印影の縁を、爪先でなぞるように確かめている。


「……確認いたします」


役人が引き下がる。しばらくして戻ってきた顔は、さっきより青ざめていた。


「四十八時間以内に、再審問の場を設けるとのことです」


「四十八時間か」


ケンジが呟く。


「短すぎますか」


「短い。でも、ゼロじゃない」


「ゼロじゃなければ」


「まだ手が打てる」


「本当に、それだけの時間で証拠を揃えられますか」


「揃える。揃えるしかない」


「もし揃わなかったら」


「そのときは、揃った分だけで殴り込む」


トトが伝令から受け取った紙を差し出す。息を切らし、頬が赤い。


「あと二十六日だそうです」


「減ってるな、着実に」


「減ってても、まだ数えられます」


「数えられるうちは、まだ戦える」


「四十八時間で、間に合いますか」


「間に合わせる。他に手がない」


「その言葉、もう何度目でしょうね」


「数えてるのか」


「数えてます。今のところ、外れたことはありません」


「なら、今回も外さない」



「指先だけ、三秒。それ以上は延ばすな」


ケンジが結晶を布の上に置く。淡い光を宿す欠片が、静かに横たわっている。


「三秒で、何がわかるんですか」


クラインが時計代わりの砂時計を構える。砂の落ちる音が、思いのほか大きく響く。


「反応するかどうかだけだ。今日は原因を探らない」


「触れる部位は」


「石化した指先。健常な指とは分けて試す」


「観察者は俺とクライン、それとトト。三人で見る」


「三人も要りますか」


「一人だと見落とす。三人なら、言うことが割れても平均が取れる」


「二種類、確かめるということですね」


「同じものが両方に反応するなら、それは呪いじゃなく物質の性質だ」


「もし片方だけ反応したら」


「それも、立派な事実だ」


「怖くないんですか、リリアーナ様は」


トトが小声で聞く。


「怖いです。でも、知らないままの方がもっと怖い」


リリアーナが石化した指先を近づける。指先だけが灰色に硬く、光を鈍く弾いている。


「……いきます」


砂が落ちきる。結晶が淡く光り、また静かに沈んだ。


「変わりません。反応するだけです」


「痛みは」


「ありません。ただ、光っただけです」


「健常な指の方は」


反対の指を近づける。何も起きない。


「……何も」


「石化した指にだけ反応する。それが今日わかったことだ」


「進行も、後退もしていません」


「変化なしってことは、悪化もしてないってことだ」


クラインが砂時計を見つめたまま言う。


「事実が一つ増えたな」


「事実が積み上がれば、いずれ原因に届く」


「届く前に、審問が来る」


「審問は審問だ。事実は事実として残る」


「残った事実を、審問でどう使う」


「使えるだけ使う。それだけだ」



扉が開いたのは、その直後だった。


ガレンが記録庫に足を踏み入れる。従者を引き連れ、表情は変わらない。


足音が石床に響き、その場の空気が一段冷たくなる。


「賑やかだな、ここは」


「筆頭様……」


役人が慌てて頭を下げる。


「異議申し立てが通ったそうだな」


「規定に従っただけです」


リリアーナが正面から答える。声に迷いはない。


「規定か。ならば規定通り、四十八時間後に会おう」


「その場で、証拠をお示しします」


「証拠、とやらをな」


ガレンの視線がケンジに移る。値踏みするような、冷たい一瞥。


「田舎の技術者風情が、何を証明できるか見物だ」


「見てから言え」


「証明できなければ、どうなる」


「その時は、大人しく処分を受ける」


「都合のいい話だ」


「言わせてもらう。四十八時間後、審問の場でお前たちの証拠とやらを見せてもらおう」


ガレンが踵を返す。従者が続き、足音が遠ざかっていく。


扉が静かに閉まった。残された三人の間に、重い沈黙が満ちる。


「……始まったな」


クラインが小さく息を吐く。


「始まったんじゃない。ここからが本番だ」

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