「綺麗すぎるのが怖い」――技士の直感と、記録庫が暴く魔法依存防壁の絶望的な末路
王都の外壁が見えた瞬間、ケンジは足を止めた。
継ぎ目がほとんど無い。
石を積んだ跡が、まるで一枚岩のように滑らかに連なっている。
「……多すぎる」
「先生、何がです」
「継ぎ目の数だ、トト。少なすぎる。村のより古いはずなのに、な」
トトが目を細めて壁を見上げる。
高さは村の防壁の三倍はあった。
「僕には、綺麗な壁にしか見えませんけど」
「綺麗すぎるのが、引っかかる」
「先生の目には、何が見えてるんですか」
「まだ分からない。だが、いい兆候には見えない」
案内の役人が振り返らずに歩調を速める。
「立ち止まらないでください。近衛隊長がお待ちです」
「壁を見ただけだ」
「壁は見るものではなく、通るものです」
石畳を踏む音が四人分、門の奥へ吸い込まれていく。
冷えた石の匂いが、狭い門道の奥から漂ってきた。
リリアーナが袖の中の右手をかばいながら、ケンジの隣に並んだ。
「先生、あの継ぎ目の少なさは、良いことなんですか」
「悪いことかもしれない」
「悪い……?」
「打ち継ぎを減らすには、一度に大量の材料を固める必要がある。魔力で強引に硬化を早めてる可能性がある」
「村のリリアーナさんのやり方と、同じ……」
「同じ理屈で、同じ弱点を抱えてるかもしれないってことだ」
「弱点、というと」
「急いで固めた分だけ、ひずみが中に溜まる。見た目が綺麗なほど、俺は怖い」
リリアーナが息を呑んだ。
袖口の布が、わずかに指の形を浮かび上がらせている。
「先生でも、怖いと思うことがあるんですね」
「石は嘘をつかない。急いだ分は、あとで必ず現れる」
「あとで、というのは」
「一年後か、十年後か。それはやってみないと分からない」
役人が扉を開けた。
広間の奥、鎧姿の男が机の書類から顔を上げる。
「ハタノ・ケンジだな。近衛隊長のヴォルフだ」
「はい」
「単刀直入に言う。陛下への上奏まで、あと七日しかない」
「七日……」
「防壁強化計画に不備ありとする報告が届いた。真偽を確かめる時間は、それだけだ」
「不備、というのは具体的に」
「それを確かめるための七日だ。先に答えを聞きたければ、自分の目で見ろ」
トトが記録板を抱えたまま、思わず声を上げた。
「七日で、王都全体の防壁を調べるんですか」
「調べるのではない。調べさせるかどうかを、七日で決める」
「同じことでは」
「違う。私が許可を出さねば、お前たちは記録庫にすら入れん」
ケンジは一歩前に出た。
「なぜ、そんなに急ぐんです」
「斥候から報告が入った」
ヴォルフが書類を机に叩きつける。
紙の束が跳ね、乾いた音が広間に響いた。
「魔王軍本隊、七日後に王都包囲圏へ到達見込み」
広間が、静まり返った。
灯りの芯が爆ぜる音だけが、やけに大きく聞こえる。
「同じ七日、ですか」
「そうだ。上奏の期限と、敵の到達が重なった。悠長な検証をしている暇はない」
「だったら尚更、時間を無駄にできない」
「わかっているなら聞こう。お前に何ができる」
ケンジは背負っていた布袋を机に置いた。
ドサッ、と鈍い音が響く。
「供試体です。村の防壁に使ったのと同じ配合の」
「石ころか」
「ただの石じゃない。この石は、鉄槌で叩いても割れなかった」
「鉄槌で、割れない……本当か」
「疑うなら、後で叩いてみればいい。俺の言葉より、それが証明します」
「言葉より証拠、か」
「言葉は誰でも言える。証拠は、同じ手順を踏んだ者にしか出せません」
バルガスの弟子が持たされていた記録板も、続けて机の上に並ぶ。
板の表紙には、細かい字がびっしりと書き込まれていた。
「打設した日、配合の比率、七日ごとの強度試験の結果。全部、ここに」
ヴォルフの目が、記録板の数字を追っていく。
指先がページをめくるたび、眉間の皺が深くなった。
「……毎日、記録を取っているのか」
「毎日です。思いつきじゃない」
「思いつきじゃない、というのは」
「昨日たまたま上手くいった話じゃなく、同じ手順を繰り返せば同じ結果が出るってことです。誰がやっても」
「誰がやっても、同じ結果……」
「魔力に頼らない。才能にも頼らない。手順さえ守れば、誰の手でも壁は固まる」
リリアーナが一歩、進み出た。
「隊長閣下。灌漑水路の記録もございます。涸れていた畑にまで水を届けました」
「水路と防壁に、何の関係が」
「同じ手順の応用です。壁を守る技術は、畑も守れます」
「畑まで守れる技術が、なぜ王都には伝わっていない」
「伝える機会を、与えられなかったからです」
ヴォルフがしばらく黙り込んだ。
指先が記録板の縁を、何度も往復する。
「ガレン様は、こう申された。『泥水遊びに構う暇があれば、魔力供給の増強に人手を割け』と」
「ガレン様が」
ケンジの声が、わずかに低くなった。
「その方は、以前も同じことを仰った。俺を王都から追い出したときにも」
「知っているのか」
「ええ。よく」
「だが、その男が追い出した人間が、なぜ辺境の村を魔物の被害から守れた」
「手順があったからです。才能じゃなく」
「才能じゃない、か。ずいぶん簡単に言う」
「簡単だから、誰にでも伝えられるんです」
ヴォルフが記録板を、机に置き直した。
金属の留め具が、小さく硬い音を立てる。
「七日間だけだ。記録庫の閲覧を許可する。防壁の調査もだ」
「ありがとうございます」
「礼はいらん。結果を見せろ。ガレン様への説明は私がする」
トトが小さくガッツポーズを見せ、リリアーナが安堵の息をついた。
袖の中の右手が、包みの結晶をそっと確かめている。
広間を出たところで、土埃にまみれた伝令が駆け込んできた。
「ケンジ様! バルガス様より言伝です」
「バルガスから、こんなに早く」
「村の備蓄、あと四十日ぶんは確保できたとのことです。あと三十五日、猶予がございます」
「三十五日……七日の調査と合わせても、まだ足りるか」
「ぎりぎりです、と師匠は」
「バルガスらしい言い方だ」
「はい。『足りるとは言わん、足りないとも言わん』と」
「変わらないな、あの人は」
「ぎりぎり、か」
トトが指を折りながら日数を数え直す。
「七日調べて、報告して、また村に戻って……間に合うんでしょうか」
「間に合わせる。他に道がない」
「先生がそう仰るなら」
「不安か」
「少しだけ。でも、先生が焦ってないなら、僕も焦りません」
案内された記録庫は、天井まで積まれた棚で埋まっていた。
紙の匂いが、埃と混じって鼻を刺す。
古い羊皮紙特有の、饐えたような匂いだった。
「先生、どこから見ます」
「一番新しいのから」
ケンジは棚の端から帳簿を一冊抜き取った。
表紙の革が、乾いてひび割れている。
魔晶石の消費量を示す数字の列に、目を走らせる。
「……これは」
指先が、ページの上で止まった。
血の気が引いていくのが、自分でもわかる。
トトも帳簿を横から覗き込み、息を止めた。
「これ……こんなに使ってるんですか」
「先生? どうしたんですか」
答える声が、出てこなかった。
リリアーナが横から覗き込もうとして、足を止める。
「先生の、そんな顔……初めて見ました」
「悪い夢でも見てるみたいだ」
「夢……?」
「夢ならいい。だが、これは記録だ」




