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王室の不正を暴き、ついに『不壊の堰』が開通する。だが、歓喜に沸く水路の底から“光るはずのない石”が見つかる

広場に、堰の完成よりも先に沈黙が満ちた。


朝の陽はまだ低く、乾いた土の匂いが風に混じっている。


集まった村人たちの息づかいさえ、いつもより固く縮こまっていた。


随員たちの中から、初老の男が一歩前へ出る。


肩章の数は、他の誰よりも多い。


迷いのない足取りで、革靴の音だけが広場に響いた。


「クライン殿。もう一度だけ聞く。この配合表は、王室発注のものか」


「……何度も言った通り、王室のためを思っての判断だ」


「思っての、ではない。事実を聞いている」


「なぜそう何度も同じことを聞く。答えは変わらん」


「答えが同じなら、証拠も同じように出せるはずだ。出せるか」


クラインの目が、隊長格の男から村人たちへ、そしてケンジへと素早く動く。


肩の力が、ふっと抜けた。


「……出す義理はない」


「義理がない、とは」


「わしは伯爵領監督の任にある王室の使者だ。随員風情の詰問に付き合ういわれはない」


「王命による査問だ。付き合ういわれがない、では済まされない」


「王命と言うなら、わしも王命でここにいる。優劣をつけられる立場か、お前ごときに」


村人たちの間に、動揺が波紋のように広がった。


「先生、あいつ、まだ何か企んでるぞ」


バルガスが低く唸る。


「見ての通りだ。まだ終わってない」


「者ども、支度をしろ。今日中にここを発つ」


クラインが、随員たちへ声を張り上げた。


「発つ、ですと」


「これ以上この茶番に付き合えば、王室の沽券に関わる。人も物も、今夜のうちに引き上げる」


村長の顔から、みるみる血の気が引いていく。


「先生……本当に、今夜引き上げられたら」


「動くな。まだ決まったわけじゃない」


「動くなと言われても、次の襲撃まで四十日もないんだぞ」


「隊長殿。伯爵領監督の指図に、あなたが従う義理はあるか」


ケンジが、随員の隊長格へ静かに問いを投げた。


「ない。私はより上位の王命でここにいる」


「なら、答えてもらおう。今夜発つ発たないを決めるのは、クライン殿ではなくあなただ」


「……口の減らん男だ」


隊長格の視線が、クラインへ戻る。


「クライン殿。今一度だけ聞く。発注書はどこにある」


「発注書なら……村の者たちが、勝手に騒いでいるだけだ」


「勝手に、とは。三つの物証は我々もこの目で確認したはずだが」


クラインの喉が、小さく動いた。


「発注書がどこにもないと、令嬢が申しております」


リリアーナが、クラインの手首を掴んだままそれを継いだ。


「私が三度確かめました。減水剤という品目は、伯爵家の記録に一つも出てきません」


「令嬢の記録違いということもあるだろう」


「三度、別々の日に、別々の帳簿で確かめました。それでも記録違いだと仰るのですか」


「帳簿を、この場に出せと言うのか」


「出せないなら、無いのと同じことです」


「では今この場で、王都に確認の早馬を出しますか」


「……それは」


「答えられませんか」


隊長格の視線が、クラインの手首とリリアーナの指先へ落ちる。


沈黙だけが、そこに残った。


隊長格の男が、クラインの肩を掴んだ。


「王室の名を騙った不正は、陛下への不敬だ。連れて行け」


「待て、これは……この程度の田舎技術に、王室が屈するわけにはいかんのだ!」


「屈するのではない。不正を正すだけだ」


「わしは、王室のために……」


「王室のためと言うなら、なぜ発注書一枚出せない」


「……それは」


「王室の名を、私物のために使った。それだけのことだ」


「離せ、わしは伯爵家への監督権を持つ身だぞ!」


「その監督権も、今日限りで王室が預かる」


随員二人が、クラインの両腕を取った。


抵抗する足が土を擦り、白い跡を残す。


「先生、連れて行かれるぞ」


バルガスが小声でケンジに耳打ちした。


「見ての通りだ。あとは王都が決めることだ」


「わしらは、ただ見てるだけでいいのか」


「これ以上は俺たちの領分じゃない。裁くのは俺たちじゃなく、王室自身だ」


「それでいいのか、先生」


「それでいい。俺たちがやるべきことは、もう終わってる」


引きずられながら、クラインが振り返る。


「……ハタノ殿」


「まだ何か」


「あなたの手順は、本物だ。だからこそ厄介だ」


「厄介、とは」


「王都の防壁も、そろそろ本物の技術に切り替えねば……本当は、皆わかっている」


その声を最後に、クラインは連行されていった。


広場に、風だけが残る。


土埃が薄く舞い上がり、誰の足元にも音もなく降りる。


「先生、あれは……どういう意味だ」


「さあな。今は、堰を仕上げることだけ考えよう」


「気にならないのか、王都の話」


「気にはなる。だが今日やることじゃない」


「打ち直しは、もう終わってるのか」


「型枠は外した。あとは水を通すだけだ」


「本当に、もう漏れる心配はないんだろうな」


「記録通りに固まってる。バルガスが叩いて確かめた」


「わしの鎚でも、傷一つ付かなかった。あれは石だ」


「今度こそ、本当に大丈夫なんですね」


「今度は本当に、だ。糖分も、混ぜ物もない」


トトが水路の取水口に走り寄る。


「先生、開けていいですか」


「頼む。ゆっくりでいい」


「ゆっくりって、どれくらいだ」


「一気に開けると水路が驚く。少しずつだ」


水門が軋みながら持ち上がった。


木と鉄がこすれる重い音が、広場の端まで届く。


濁りのない水が、まっすぐ水路へ流れ込んでいった。


サラサラと音を立てながら、水は畑の畝の隅々まで届いていく。


朝の光を受けて、水面が細かく揺れながら光った。


「見ろ、水が……端まで来てる!」


「今年は、腹いっぱい食えるぞ!」


「本当に、去年みたいに枯れたりしないんだよな」


「しない。記録した通りの配合が、記録した通りの強さで固まってる」


「先生、去年は種籾まで食っちまったんだ。今年は本当に、収穫祭ができるのか」


「できる。この水が涸れない限り、来年も再来年も」


村人たちの声が、次々と重なった。


「先生のおかげだ」


「先生じゃない。俺と、トトの目のおかげだ」


「先生が指図しなきゃ、こうはならなかった」


「指図しただけだ。数えたのはトト、量ったのはバルガス、記録を守ったのはリリアーナだ」


「先生はいつも、そうやって自分の手柄を人にやるんだな」


「手柄は、続けてくれる人間のものだ。俺一人の技術じゃ、来年は続かない」


「難しいことはわからんが、水は来た。それで十分だ」


村長が近づき、深く頭を下げた。


「先生、本当に……この礼は、いつか必ず」


「礼なら、来年も同じ水路を使えることでもらう」


夕方近く、祝いの支度が始まった。


篝火の準備をする村人の声が、あちこちで弾んでいる。


薪の爆ぜる匂いが、水路の湿った空気に混じり始めた。


水路の脇に、掘り出したばかりの土砂が積まれている。


その中に、白く光る塊が混じっていた。


「なんだこれ、水路の底からこんなものが」


村人の一人が、塊を持ち上げて広場の中央へ運んでくる。


拳二つ分ほどの大きさで、表面に細かい結晶が並んでいた。


篝火の光を受けて、結晶の粒がちらちらと不規則に瞬く。


「石にしちゃ、変わった艶だな」


「先生、これも記録しておくべきか」


「……見たことのない質感だ。少し調べさせてくれ」


「触っても平気なやつなのか」


「わからん。だから触る前に見せてくれと言ってる」


「重さは、そんなにないな」


「持ってみるとわかる。中が空洞みたいに軽い」


リリアーナが、片付けを手伝おうと手を伸ばす。


手袋の隙間から、指先がわずかに石の表面をかすめた。


その瞬間、結晶の内側がぼうっと淡く光る。


「え……光った?」


「動くな。そのまま、手を離すな」


「離した方がいいんじゃないのか、先生」


「まだわからない。動いて何が起きるかの方が怖い」


光は脈打つように強まり、また静かに沈んでいった。


誰も、声を出せずにいる。


ケンジがその石を見つめたまま、低く呟いた。


「……コンクリートが、光ることはない」

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