「片方は石、片方はまだ泥だ」――ごまかしの利かない公開比較実験が、王室の威を借る使者の不正を白日に晒す
広場に、二つの型枠が並んだ。
朝の陽が斜めに差し込み、木枠の縁を白く縁取っている。
土を踏み固めた地面には、村人と視察団の足跡が幾重にも重なっていた。
集まった村人のざわめきが、朝の冷えた空気を揺らす。
木枠の木肌はまだ湿り気を帯び、削りたての匂いを漂わせていた。
同じ水、同じ骨材、同じ時間——その条件を、ケンジは村人と視察団の前で読み上げる。
「村の配合と、王室特製の配合。この場で並べて打ちます」
「今さら、そんなことをして何になる」
クラインの声が、随員たちの背後から飛んだ。
「証明になる。言葉より、目の前で固まる石のほうが早い」
「言葉遊びはよせ。何を証明したいと言うんだ」
「あんたが持ち込んだ樽の中身が、本当に王室の名に値するかどうかだ」
「いいだろう、受けて立とう。だが結果が出るまで、余計な口出しは無用だ」
「望むところだ」
「言っておくが、これで王室の面子を潰したとなれば、只では済まん。支援は打ち切り、人も資材も明日には引き上げる」
「それは、脅しか」
「忠告だ。次の襲撃まで、もう四十日もないのだろう。今から作り直す猶予が、この村にあるのか」
村長の顔から、血の気が引いた。
「先生……もし本当に、支援を引き上げられたら」
「そのときは、自分たちの手だけで残り四十日をやり切るしかない」
「それでも、やるのか」
「やる。誤魔化された配合のまま堰を作れば、どのみち次の襲撃で村は呑まれる」
「先生、なんで同じ条件じゃなきゃ駄目なんだ。片方が勝てばそれでいいだろう」
輪の後ろから、若い村人が首を傾げた。
「片方にだけ甘い蜜を混ぜて硬さを比べたら、公平な勝負にならない。条件を揃えるのは、勝ち負けを誤魔化さないためだ」
「甘い蜜って、砂糖のことか」
「詳しくはあとで話す。今は目の前の結果を見てくれ」
「結果が出るまで、どれくらい待たされるんだ。俺たちは暇じゃないぞ」
「半刻もあれば、差は見えてくる。それだけ待つ価値はある」
「本当に同じ条件でやるんだろうな、先生」
バルガスが木枠を運びながら念を押す。
「水の量も、練る時間も、記録板で二重に確認した。誤魔化しは利かない」
「二重に、というのは」
「俺が量って、トトがもう一度量る。二人分の数字が合わなければやり直す」
「なら、わしはただ流し込むだけだ」
バルガスが二つの木枠に、練り上げた配合を流し込んでいく。
左が村の灰と砂、右がクラインの持ち込んだ樽の中身だ。
とろりとした灰色の練り物が、木枠の隅々まで広がっていく。
流し込むたびに、木枠の縁からわずかに水気が滲み出た。
「先生、どれくらい待てば差が出るんですか」
トトが手元の記録板から顔を上げて尋ねた。
「早ければ半刻もかからない。焦らず、変化を数えろ」
「数えるって、何を数えればいいんですか」
「表面の艶と、押したときの硬さだ。両方、逃さず見ておけ」
「艶と硬さ……メモしておきます」
「記録は多いに越したことはない。時間も忘れずにな」
「先生、こっちの村の配合、もう表面が艶を失ってきてます」
トトが型枠の縁に指を這わせながら報告した。
「早いな。硬化が進んでる証拠だ」
「じゃあ、王室の方はどうなんですか」
「見た目はまだ、互角に見える」
「互角……本当に、そう言い切れるんですか」
リリアーナが型枠の縁に顔を寄せ、静かに問うた。
「今はまだ、な。だが時間が経てば、差が出るはずだ」
「もし差が出なかったら」
「そのときは、俺の見立てが間違っていたということだ」
「間違っていたら、どうするんですか」
「頭を下げて、やり方から見直す。それだけだ」
「時間が経てば、差が出る。焦らず見ていてくれ」
輪の中で、誰かが小さく足を踏み替える音がした。
待つだけの時間に、村人たちの視線がじりじりと型枠へ集まっていく。
「なあ……もしこの実験で王室の心証を損ねたら、本当に人も物も、明日には来なくなるのか」
輪の中の誰かが、隣の者へ小声で漏らした。
「かもしれん。だが、黙って偽物の堰を受け取るよりはましだ」
村長が、押し殺した声でそれに応えた。
村人の一人が輪の外から声を張った。
「先生、こっちの配合、指で押しても跡がつかなくなってきたぞ」
「良い兆候だ。もう少し待て」
「なあ、あっちの方はどうなんだ。まだ触っちゃいけないのか」
「触っていい。だが指を離す前に、跡が消えるかどうか見てくれ」
村人が右の型枠に指を押し込む。
指先が沈み込み、灰色の表面に丸い窪みを作った。
跡は、消えなかった。
「先生……こっち、へこんだままだ」
「もう一度、押してみてくれ」
「押すたびに、指の形がそのまま残る。これ、本当に固まってるのか」
「他の場所でも試してくれ。一箇所だけの偶然かもしれない」
村人が型枠の別の場所を押す。
そこも、同じように沈んだ。
「三箇所、全部同じだ。偶然にしちゃ、揃いすぎてる」
「四箇所目も試してくれ。数が多いほど、言い逃れはできなくなる」
「もう十分だろう。これ以上押しても、結果は変わらんよ」
随員の一人が、慌てて型枠に近づいた。
「馬鹿な、王室が用意した配合だぞ。粗悪であるはずがない」
「では、あなたの指で確かめてみてください」
ケンジが型枠を随員のほうへ差し出す。
随員が指を押し込むと、表面は柔らかく沈んだ。
指の腹に、ぬるりとした感触が残る。
「これは……確かに、柔らかいままだ」
随員が呟き、隣に立つ別の随員へ型枠を押し付けるように示した。
「なぜ……こちらだけ、こんなに柔らかいままなんだ」
「同じ水、同じ骨材、同じ時間。差があるとすれば、配合そのものにしかない」
「他に条件を変えた箇所は」
「ない。記録板に、全て書いてある。見たいなら渡す」
「見せてもらおう。それで納得できるならな」
「クライン殿、これはどういうことですか」
随員がクラインへ向き直った。
「気温や湿り方は、日によって違う。今日はたまたま、条件が合わなかっただけだ」
「たまたま、で片づけるにしては差が大きすぎませんか」
村長も、輪の中から声を上げた。
「もう少し時間をやれば、こちらも固まる。焦って結論を出す話ではない」
「時間はもう十分あった。皆、この目で見ています」
「わしの目にも、はっきり見えたぞ。片方は石、片方はまだ泥だ」
バルガスが型枠を指差し、随員たちへ言い放った。
「泥のままの物を、王室の名で村に押し付けたのか」
別の村人が、低い声で唸るように言った。
随員たちの間に、押し殺したざわめきが広がっていく。
誰かが小さく「本当に王室の品なのか」と漏らし、隣の者がそれに頷いた。
別の随員が、腕を組んだまま呟く。
「クライン殿、正直に答えていただけますか。これは本当に王室の発注品なのですか」
「発注書なら、伯爵家のどこにもありませんでした」
リリアーナが、静かにそれを継いだ。
「三度確かめました。減水剤という品目は、記録のどこにも出てきません」
クラインの視線が、型枠と随員たちの間を素早く往復する。
額に、うっすらと汗が浮かんでいた。
握った拳の中で、指先だけがかすかに震えている。
「……これ以上、王室を愚弄する気か。今すぐこの茶番をやめなければ、この場で支援の打ち切りを言い渡す」
「言い渡すがいい。だが、その前に型枠の中身を、皆に見せてからにしてもらおう」
クラインの喉が、小さく鳴った。
その手が、村の配合の型枠へと伸びた。
「クライン殿、何を」
「いや、これは……型枠の歪みを直そうとしただけだ」
「歪みなど、どこにもありません」
「証拠を、すり替える気か」
「言葉が過ぎるぞ。わしは、ただ」
指先が型枠の縁に触れた、その瞬間だった。
リリアーナの手が、横からクラインの手首を強くつかんだ。
灰色を帯びた指先が、白い手首に食い込む。
「王室の使者が、王室の名のもとで、不正を働くのですか」
広場の音が、一斉に消えた。
風が止み、砂埃だけがゆっくりと地面に落ちていく。
村人も随員も、動けなくなったクラインへ視線を集めている。
誰も、声を出さなかった。




