視察、合格。だが王室の贈り物は「甘すぎた」
「本当に、王都から人が来るのか……」
村の入り口で、村人たちが遠巻きに囁いていた。
土煙の向こうに、白い旗が見えてくる。
紋章は王家の紋、金糸の縁取りが陽に光っていた。
荷馬車の車輪が土をきしませ、村の静けさを崩していく。
「見ろよ、あの馬車の数」
「三台もあるぞ。護衛まで連れてきてやがる」
「護衛って、俺たちを疑ってるってことか」
「疑うっていうより、格式ってやつじゃねえのか」
「格式でも護衛でも、粗相したら同じだろうが」
「粗相したら、どうなるんだろうな」
「考えたくもねえよ」
「考えたくなくても、もう来ちまってるぞ」
「せめて、村長が挨拶くらいちゃんとしてくれりゃな」
「村長だって、震えてるじゃねえか、見ろよ」
「震えてなきゃ、おかしいだろうよ、相手は王室だぞ」
「来た……本当に来やがった」
バルガスが低く唸る。
その太い腕が、無意識に槌の柄を握り締めていた。
指の節が、白くなるほど強く。
馬車の扉が開き、白い外套の男が降り立った。
物腰は柔らかく、笑みを絶やさない。
歩くたびに外套の裾が土埃を払い、白さだけが際立って見えた。
靴音すら立てず、男は村の泥道を進んでくる。
泥に汚れることを恐れるふうもなく、それでいて汚れる素振りも見せない。
村人たちの視線が、その白さに吸い寄せられていった。
「宮廷錬金術師、クラインと申します。此度は視察役を仰せつかりました」
「よ、ようこそいらっしゃいました。村長のドノバンです」
「これはご丁寧に。……して、噂の『泥のダム』は、こちらで?」
「泥ではありません。コンクリートです」
ケンジが前に出た。
「ほう。理論の裏付けもなく、よくぞここまで組み上げられましたね」
「裏付けはあります。理屈より先に、見ていただいた方が早いです」
「見せていただけると?」
「はい。手を汚す気はありますか」
「私が、汚れ仕事をと」
「嫌なら見ているだけでも構いません。結果は同じです」
「結果が同じなら、なぜわざわざ手を汚す方を勧めるんですか」
「触れた方が早く納得できるからです。見るだけより」
クラインの眉が、わずかに動いた。
「面白い。私が、ですか」
「僕が握って崩す方が早いですけど、見るだけでも分かります」
「では、拝見しましょう」
ケンジは足元の練り土を手に取った。
丸めて、握って、開く。
崩れずに、指の形だけが土に刻まれている。
湿った土の匂いが、風に混じって流れた。
クラインの視線が、崩れなかった土玉の表面に注がれる。
指先でつついてみようか迷うように、その手が一瞬浮いた。
「これが、水と骨材の『ちょうどいい一点』です。多すぎればスカスカに、少なすぎればゴツゴツに。理屈は後からでも付きます」
「……感覚だけで、その一点を掴んでいると?」
「感覚じゃありません。数えています」
「数えている、とは」
「配合を変えるたびに、結果を記録しているという意味です」
「記録、ですか。口で仰るのは容易いですが」
「口だけでは、信じていただけませんよね」
リリアーナが記録板の束を差し出した。
紙の重なりが、思いのほか厚い音を立てる。
「配合ごとの強度、乾燥日数、割れの有無。全部記録してあります」
クラインが束を受け取り、ゆっくりと繰る。
紙をめくる音だけが、しばらく続いた。
風が止み、村人たちも息を潜めて見守っている。
「……随分な量ですね」
「毎日、欠かさず数えていますので」
「毎日、ですか」
「石の数一つでも、合わなければ次の型枠は組めません」
「一つでも、と仰いましたか」
「はい。一つ違えば、水と骨材の比率も狂います」
「たかが石の数一つで、比率まで狂うと」
「たかがではありません。積み重なれば大きな誤差になります」
クラインの視線が、記録板の隅で止まった。
「これほどの記録を、誰が」
「私です。伯爵家の娘として、恥じないようにと思っています」
「……伯爵令嬢が、記録係を」
「記録係で十分役に立てるなら、それでいいんです」
「十分、どころではないと思いますが」
「そう仰っていただけるなら、光栄です」
クラインは束を閉じ、静かに息を吐いた。
「理論の裏付けがない、と申し上げましたが」
「はい」
「訂正しましょう。記録の量だけは、認めます」
村長が、詰めていた息を吐き出す。
バルガスの肩から、力が抜けていった。
「認めていただけて、良かったです」
「良かった、で済ませるには惜しい量です。王都でも、ここまでの記録を残す工房は多くありません」
「多くない、というのは」
「大抵は感覚に頼り、記録を億劫がるものです。あなた方は違うようだ」
「感覚だけでは、いずれ限界が来ますから」
「限界を知っている者は、案外少ないものです」
「では、これを」
クラインが従者に合図すると、白い樽が運ばれてきた。
蓋には王家の封蝋が押されている。
樽の木肌は真新しく、傷一つ見当たらなかった。
日差しを受けて、封蝋の赤が鈍く光る。
村人たちの目が、一斉にその樽へと集まっていった。
「王室特製の減水剤です。工期の足しにどうぞ」
「げ、減水剤って、そんな貴重な物を」
「そんなに貴重なものを、いただいてよろしいんですか」
「視察を無事に終えられた記念です。どうぞお納めください」
「記念、ということは、また視察が」
「それは、次第です。今日のところは、お納めください」
「次第、というのは、今日の出来次第ということですか」
「そう捉えていただいて、構いません」
「次があるなら、今度は減水剤なしでも見せられるようにしておきます」
「減水剤なしで、ですか。それは頼もしい」
「頼もしいと思っていただけるなら、次も期待していただいて構いません」
村人たちの間から、歓声が上がった。
「王室から贈り物だってよ!」
「これで工期も縮むんじゃないか!」
「すげえ、本物の王家の封蝋だ!」
沸き立つ声の中で、クラインは一礼し、馬車へと戻っていく。
旗が土煙の向こうに消えていった。
「……終わった、な」
村長がへたり込むように呟いた。
「終わりましたね。粗相もなく」
「粗相どころか、褒められたようなもんだ」
「褒められた、というより、認められた、でしょうか」
「どっちでもいいさ。生きた心地がしなかったのは事実だ」
ケンジは樽に手を置き、白い粉に軽く触れた。
さらさらとした感触が、指先に残る。
冷たさの奥に、わずかな粒立ちがあった。
「ケンジさん、ちょっと」
樽に顔を寄せていたバルガスが、小声で呼んだ。
「どうしました」
「これ、嗅いでみろ」
「嗅ぐって、粉をですか」
「いいから」
ケンジは樽に顔を近づけた。
かすかな匂いが鼻をかすめる。
「……甘い?」
「だろう。俺たちが焼いた灰と、臭いが違う」
「違うって、成分がってことですか」
「灰は焼けた匂いがする。だがこいつは……甘ったるい」
「甘い減水剤なんて、聞いたことないですけど」
「だから言ってるんだよ。何か混ざってるんじゃねえかってな」
「混ざってるって、王室の贈り物にですか」
「王室の贈り物だからこそ、だ。ただの粉じゃねえ気がする」
「気がするだけで、決めつけるのは早くないですか」
「早くても、鼻が言ってるんだ。信じねえわけにいかねえだろ」
「鼻だけで判断するのは、ちょっと乱暴じゃないですか」
「乱暴でもいい。俺の鼻は石の粉じゃ何十年も嘘をついたことがねえ」
「何十年もって、そこまで自信があるなら聞くしかないですね」
「聞くしかねえだろう。この村で灰の匂いを一番知ってるのは俺だ」
「にしても、間の悪いときに気づきましたね」
「間が悪いって、どういうことだ」
「明日の本組み、配合表にもうこの減水剤を組み込んでます」
「組み込んでるって、いつの間にだ」
「今朝、リリアーナ様と急ぐ工程用に決めました。型枠を明日の朝一番で締める分です」
「じゃあ、今夜のうちに決めなきゃならねえってことか」
「決めないとです。組み込みを外すにしても、代わりの配合を今夜中に出さないと」
「代わりが間に合わなかったら、どうする」
「間に合わなければ、疑わしいまま明日の分に使うことになります」
「使ったあとで何か起きたら、遅えぞ」
「分かってます。だから今夜のうちなんです」
「なら突き返しちまえばいいだろうが、こんなもん」
「突き返すにも、クライン様はもう街道の先です」
「馬で追えねえのか」
「追いつけても、王室の贈り物を突き返すのが、粗相にならない保証はありません」
「粗相にならなくても、疑わしい粉を使う方がよっぽど危ねえだろうが」
「そこは、僕にも分かりません」
ケンジはもう一度、樽の中を覗き込んだ。
白い粉が、静かに陽を照り返している。
歓声の余韻がまだ村を包む中、二人の間にだけ、小さな沈黙が落ちた。




