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14/30

「あなたじゃなくていい」と言われた令嬢、代わりに“伯爵家の名”で王室使者を迎え撃つ

「また数えてるだけですか、リリアーナ様」


「数えるくらいしか、今日の私にはできることがないので」


堰のほとりで、リリアーナは記録板を胸に抱えていた。


石を積む男たちの声が、川音に混じって響いてくる。


「型枠、もう一段いけるぞ!」


「砂利、こっち足りねえ、誰か運んでくれ!」


活気の中に、リリアーナの声だけが浮いていた。


濡れた石の匂いと、汗ばんだ男たちの声が入り混じる。


風は下流から吹き上げ、記録板の紙端をぱたぱたと鳴らした。


「数、合ってますか、リリアーナ様」


「今のところ、四十七個。石材は足りています」


「足りてるなら、良かったです」


「良かった、でしょうか。私が数えても数えなくても、結果は同じですよね」


「そんなことないですよ。誰かが数えなきゃ、型枠は組めません」


「誰かが、であって、私じゃなくてもいいんですよね」


「本当に、私は数を数えるだけでいいんでしょうか」


「今日は硬化の触媒、必要ないですからね」


ケンジが型枠の隙間を覗き込みながら答えた。


「必要ない、というのは」


「石灰石の配合だけで固まる分厚さです。急いで硬化させる必要がない」


「急ぐ必要がなければ、私の出番もないと」


「そういうことに、なりますね」


「私の手が、要らないということですよね」


「要らないというか、無理に触れなくていい、という意味です」


リリアーナは記録板の縁を指でなぞった。


布に包まれた右手首から先が、ひやりと冷たい。


木目のざらつきだけが、指先に確かな感触を残していく。


「無理に触れなくていい、って、慰めですか」


「慰めじゃなくて事実です。今日は数を数えるだけで、十分助かってます」


「十分、なんですか」


「十分です。石の数が合わなきゃ、型枠も組めませんから」


「数さえ合えば、誰の手でもいいってことですよね」


「そう言われると、そうなりますけど」


「やっぱり、慰めじゃないですか」


「違いますよ。あなたじゃなきゃ数えられない、とは言いませんが」


「言わないんですね、はっきり」


「嘘をついても、あなたには見抜かれる気がしますから」


「見抜かれるのが分かってて、なぜ言わないんですか」


「言えば、あなたが無理をする気がするからです」


「無理をする、って、そんなに信用ないですか、私」


「信用はしてます。でも、あなたは触れなくていい場面でも触れようとする人です」


「触れようとして、何が悪いんですか」


「悪くはないです。ただ、今日はその必要がないだけです」


リリアーナは小さく笑おうとして、うまくいかなかった。


視線だけが、堰の水面を滑るように動く。


「石の数を合わせるのが、私の役目」


「今日はそうです。明日は違うかもしれません」


「明日になれば、また触媒が必要になると」


「そこは、僕にも分かりません」


「分からないのに、無理に触れなくていいと言うんですか」


「分からないからこそ、です。無理する理由がまだないだけです」


「理由がないなら、一生このままかもしれませんね」


「一生とは、言い切れません。今日はまだ、一日目です」


正直な答えに、リリアーナは小さく息を吐いた。


胸に抱えた記録板の木目を、指先がなぞり続けている。


数える声だけが、川音の下で静かに続いていった。



村長の家では、一枚の書状が机の上に広げられていた。


村長とケンジが、揃って眉を寄せている。


羊皮紙の端が反り返り、蝋の封印が赤く光っていた。


「王室の使者だと? どう迎えたらいいんだ、こんなもん」


「僕に聞かれても困ります。王都の礼儀なんて知りません」


「知らねえのはお互い様だ。バルガス、お前は知ってるか」


「知るわけねえだろ。石工に社交なんぞ縁がねえ」


「誰か一人くらい、心当たりがあってもいいでしょう」


「ないから困ってるんだろうが、ケンジさん」


三人の視線が、書状の上で行き場を失っていた。


「視察団って、いつ来るんですか」


「日付を見る限り、十日と経ってねえな」


「十日って、準備なんて何もできてないですよ」


「準備も何も、誰が応対するかも決まってねえ」


「言葉遣い一つとっても、僕らじゃ通じないかもしれません」


「通じないどころか、粗相して睨まれるのが関の山だ」


「粗相した後、村がどうなるかも分からないと」


「悪くすりゃ、援助の話も立ち消えだ」


「立ち消えって、堰の話までですか」


「堰どころか、壁の後ろ盾まで危うくなるかもしれねえ」


「村長がやるしかないんじゃ」


「俺は畑の話ならできる。だが王室の言葉遣いなんぞ知らねえよ」


「僕も無理です。宮廷じゃ泥水遊びって笑われた身ですし」


「笑われた男が出ていって、また笑われたらどうする」


「それは、僕も避けたいところです」


「じゃあ誰がやるんだよ、ケンジさん」


「バルガスさんは」


「俺が出てったら、槌で殴りかねねえから黙ってろ」


沈黙の中に、扉の開く音が響いた。


リリアーナが、記録板を置いて立っていた。


背筋を伸ばしたその姿に、部屋の空気がわずかに変わる。


「私がやります」


「リリアーナ様が、ですか」


「手が要らないなら、身分を使います」


「身分って、あなた」


「伯爵家の娘です。王室の使者の応対くらい、慣れています」


「慣れてるって、簡単に言いますけど」


「簡単じゃないから、私がやると言っているんです」


フードを外したリリアーナの目は、まっすぐ書状に向いていた。


「私の手のひらが要らないなら、私の名前を使えばいい」


「名前を使うって、危なくないですか」


「危ないのは、誰も応対しないまま使者を迎えることの方です」


「それは、そうかもしれませんが」


「迷っている暇はありません。十日しかないんです」


「十日で、礼儀作法まで教え込めと」


「教え込まれるまでもなく、知っています。生まれたときから叩き込まれた作法です」


「叩き込まれたって、辛くなかったんですか、それ」


「辛いかどうかより、今それが役に立つかどうかです」


村長が、ゆっくりと頷いた。


「……頼めるか、リリアーナ様」


「頼まれるまでもなく、決めていました」


「決めていた、って、いつからです」


「書状を読んだ、その瞬間からです」


「だが、頼むと言っても、返事はどう書くんだ。こっちにゃ書き方一つ分からねえ」


「返事なら、私がここで書きます」


「今すぐにか。王室への返事だぞ」


「今すぐです。十日のうち、一日も無駄にできません」


バルガスが腕を組んだ。


「言葉一つで村の後ろ盾が決まるんだろう。本当に書けるのか」


「書けます。今、証明します」


村長が紙とインクを差し出す。


リリアーナはそれを受け取り、椅子に座った。


羽根ペンを取ろうとした指が、思うように動かない。


布に包まれた右手が、こわばったまま震えている。


「大丈夫です。利き手が駄目なら、左手で書きます」


ペン先が紙に触れ、ぎこちない線を刻んでいく。


「まず、名乗りから間違えられません」


「名乗りって、村長の名前じゃ駄目なのか」


「村長のお名前では、格が足りません。王室宛てには、相応の格式が要ります」


「格式って、具体的にはどうするんだ」


「辺境伯代理と、父の名の下に名乗ります。勝手にではなく、伯爵家の娘の権限です」


インクの匂いが部屋に満ちていく。


左手の線は歪みながらも、確かに文字の形を保っていた。


「できました。あとは封をするだけです」


リリアーナは懐から小さな指輪を取り出した。


紋章の彫られた面を、蝋の上にゆっくりと押し当てる。


「それは」


「私の家の印です。これがなければ、ただの紙切れです」


バルガスが、押された紋を覗き込んだ。


「……様になってるじゃねえか、お嬢様」


「様になってる、で終わらせません。届いて、初めて意味があります」


「使いは誰が走る」


「足の速い子を借ります。今すぐ、街道の使者番まで」


村の少年が書状を受け取り、駆け出していく。


砂埃を巻き上げながら、その背が丘の向こうへ消えていった。


「……行ったな」


「行きました。あとは向こうの返事待ちです」


村長が、詰めていた息を吐き出した。


ケンジが、机の上の書状の控えに目を落とした。


「差出人の名前、確認しておきます」


書状の末尾に、署名が記されていた。


「宮廷錬金術師 クライン」


指がその文字に触れかけたところで、止まった。


「……クライン様」


「知り合いですか」


「知り合いというか」


リリアーナの声が、わずかに震えを帯びた。


「父の代から、王室に出入りしている方です」


「父の代からって、随分古い付き合いなんですね」


「古いだけなら、いいんですけど」


丘の向こうでは、使いの少年の姿がまだ小さく見えていた。


返事はもう、村の手を離れている。


「よくない理由でも、あるんですか」


「理由というより、印象です。うまく言葉にできません」


「印象だけで、そんなに顔色が変わりますか」


「変わりますよ、あの方の名前を見たら」


「どんな人なんです、そのクラインという方は」


「……今は、うまく説明できません」


リリアーナは書状の控えを握ったまま、口を開かなかった。


窓の外では、堰を組む槌の音が、変わらず響き続けていた。

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