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12/29

魔物の角が砕け散った——二十日で固めた壁は無傷、跡地に眠るのは二千年前の石化した手

巨躯が月明かりを裂いて、壁へと突っ込んでくる。


角の先端が松明の光を弾き、白く光った。


蹄ではなく太い爪が地面を抉り、土くれが宙に散っていく。


風に乗って、獣の吐息の熱さまで伝わってくるようだった。


「来るぞ、構えろ!」


「構えるって、こっちに武器なんかありません!」


「壁が武器だ、それだけを信じろ!」


「信じろって、今更そんな——」


「今更でも今しか言えねえだろうが!」


「分かりました、分かりましたから、伏せる準備を!」


「伏せる準備って、どこに伏せるんだ、この足場で!」


「足場の板の陰でもいい、とにかく低くしてください!」


閃光のような衝撃が、視界を一瞬だけ白く塗りつぶした。


「うわああっ!」


「伏せろ、目を開けるな!」


「開けてません、開けてませんから!」


「本当に開けてないだろうな、声だけじゃ分からんぞ!」


「開けてないって言ってるでしょう、信じてください!」


轟音が一度、腹の底まで突き抜ける。


耳の奥がじんと痺れ、鼓膜の向こうで何かが鳴り続けていた。


その後には、耳が痛くなるほどの静けさが残った。


木の焦げる匂いと、獣の血の匂いが風下から漂ってくる。


「……終わったのか」


「分からない、粉塵で何も——」


「風だ、風向きを見ろ!」


「待てません、確かめないと!」


「待てと言ってるのは俺だ、勝手に動くな!」


「勝手にって、じっとしてる方が怖いんです!」


「怖くても待て、崩れた壁の下敷きになりたいのか!」


風が斜面から吹き下ろし、白い霧を横へ流していく。


砕ける音が、粉塵の向こうから小さく響いた。


パキッ。


「今の音、なんです」


「見ろ、あそこだ!」


「見えました、見えましたけど、あれは——」


「はっきり言え、何が見える!」


「頭です、魔物の頭が見えます!」


粉塵の切れ間に、魔物の頭部が浮かび上がる。


その角の先端が、根元近くから欠け落ちていた。


黒い体液が、断面から糸を引いて滴り落ちている。


生々しい断面の白さが、月光の下でやけに際立って見えた。


「角が……折れてる?」


「壁じゃない、あっちが砕けたのか!」


「砕けたって、まさか本当に?」


「壁を見ろ、壁を!」


「壁のどこを見ればいいんですか!」


「隅から隅までだ、ひび一本見逃すな!」


緑の印を刻んだ壁面には、ひびの一本も走っていない。


粉塵をかぶって白くなった表面が、月光の下で滑らかに濡れて見えた。


魔物はよろめき、角の断面から黒い体液を垂らしながら後ずさっていった。


「勝った……!」


「本当か、本当に持ちこたえたのか!」


「持ちこたえたなんてもんじゃない、あっちの角が負けたんだ!」


「角が負けるなんてこと、あるんですか」


「今この目で見ただろうが!」


「見ましたけど、信じていいのか分からなくて」


「信じろ、目の前にあるのが答えだ!」


「俺たちの壁が、勝ったのか」


「勝ったんだ! 俺たちの壁だ!」


村人たちの声が、堰を切ったように壁の上へ広がっていく。


誰かが松明を振り回し、誰かが隣の肩を叩いた。


拳を突き上げる者、へたり込んで笑う者、声にならない声を上げる者——反応はまちまちに弾けていく。


老いた見張りが子供のように泣きじゃくり、隣の若者に何度も同じ言葉を繰り返している。


朝日が火口の稜線を薄く染め始め、群れはゆっくりと山肌へ引いていく。


「ケンジさん、これで……」


「まだ油断はできません。でも、今の一撃には勝ちました」


「勝因は、魔法でも触媒でもないんですよね」


「水と砂利の量を守って、突き固めて、二十日待っただけです」


「それだけで、あの図体を止められるんですか」


「それだけだから、誰にでもできるんです」


「誰にでもって、簡単に言いますけど」


「簡単じゃないから、二十日かかったんです」


「二十日かけずに済ませる方法は、なかったんですか」


「あります。触媒を使えばいい。でも結果はさっき見た通りです」


村人の一人が、リリアーナの前に進み出た。


日焼けした顔に、ためらいと決意が半分ずつ浮かんでいる。


「あんたの腕、まだ石のままか」


リリアーナが、石化した右腕をとっさに袖の下へ隠そうとする。


「……すみません、気持ち悪いですよね」


「気持ち悪いなんて言ってねえよ。触っていいか」


「え……でも、触れたら」


「もう石なんだろう、これ以上進みようがねえ」


村人がためらいなく、石の腕にそっと触れた。


ごつごつとした指の感触を確かめるように、掌全体で包み込む。


冷たい石の表面に、村人の体温がじんわりと移っていく。


「あんたが触った壁は、割れちまったけどな」


「はい、それは、私のせいで——」


「最後まで聞け。あんたが四日で建てたあの区画があったから、比べられたんだ」


「比べられた、から……?」


「ケンジさんの二十日と、あんたの四日、両方あったから間に合ったんだよ」


「両方なかったら、どうなってたんですか」


「二十日だけじゃ工期が足りず、四日だけじゃ強度が足りなかった。どっちが欠けても今はねえ」


「私の手が、役に立ったんですか」


「役に立ったなんてもんじゃねえ。あんたの手のおかげで、間に合ったんだ」


リリアーナの目から、涙がこぼれ落ちた。


隠すこともせず、石の腕もそのままに、彼女は肩を震わせている。


「……はい」


短い声が、朝日の中に溶けていった。



崩落した触媒区画の残骸を、ケンジは瓦礫をどけながら調べていた。


土埃と焦げた臭いの中に、湿った岩の匂いが混じり始めている。


「ケンジさん、まだ何か気になるんですか」


「断面の奥、なんですけど」


「奥がどうかしたんですか」


「古い岩盤が露出してます。石灰岩みたいな」


「石灰岩がここに埋まってるのは、珍しいことなんですか」


「珍しいのはそこじゃないんです、バルガスさん」


「じゃあどこだ、勿体ぶらずに言え」


ケンジが瓦礫を一つ、慎重に取り除く。


指先に触れた岩の表面は、周囲より妙に滑らかだった。


古い岩の露頭に、くぼみが刻まれているのが見えた。


「これ……手の形じゃないですか」


「手形だ、確かに人間の手だ」


「指の数も、大きさも」


「けど、様子がおかしくないか。色が違う」


「色って、言われてみれば——」


「手のひらの部分だけ、周りの岩と質感が違うだろう」


「本当だ、そこだけつるっとしてます」


手首から先だけが、周囲の岩と同じ石になっていた。


「手首から先だけ、石になってます」


「石になってるって、どういうことだ」


「これ、リリアーナさんの腕と同じです」


「まさか、二千年前にも——」


「二千年前って、なんでそんな数字が出てくるんですか」


「この岩の層、それくらい古いはずなんです」


「古い層に人の手が埋まってるなんて、あり得るんですか」


「あり得ないはずです。でも、目の前にあります」


ケンジは露頭の手形を見つめたまま、低くつぶやいた。


「二千年前にも、あなたと同じ人がいた」

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