間章 何も知らない彼女
<side キルシュ・ラーデン>
「ねぇーキルシュお姉ちゃん!」
孤児院で子供たちと遊んでいると、ふいに名前を呼ばれた。
声のした方向へと振り返ると、茶色のおさげ髪の女の子――アンジュちゃんが笑顔で立っていた。
手を後ろにして、体で何かを隠すようにしている。
「なにかな? アンジュちゃん」
「これ、読んで!」
アンジュちゃんが後ろに隠していた何かを、両手で差し出してきた。
それは1冊の古びた絵本だった。
差し出された絵本を見て、つい笑みがこぼれてしまう。
……ふふっ。懐かしい。
アンジュちゃんから絵本を受け取る。
絵本のカバーは薄汚れており、至る所が破れてしまっていた。このままでは中のページが取れてしまうのではないかと思えてくる。
でも、これは仕方ない。
だってこの絵本は、私が子供の時からこの孤児院にあるものだから。
表紙の文字を指で優しくなぞる。
「『魔女アリアンヌの大冒険』……アンジュちゃんはこの絵本が好きなの?」
「うん!」
アンジュちゃんが満面の笑みで元気よく頷いた。
絵本の薄汚れた表紙には、黒の帽子に黒いローブを身にまとい、1本の杖を持った1人の魔女が描かれている。
この魔女が、この物語の主人公である魔女アリアンヌ。
強くて、優しくて、どこか子供のような女性だ。
「わかった。じゃあ、読んであげるね」
「やったぁ! ありがとう! キルシュお姉ちゃん!」
そう言うとアンジュちゃんは、私の横にちょこんと座った。
彼女にも見えるように絵本を開く。
「じゃあ、読むね」
「うん!」
「昔、昔、ある所に元気いっぱいの1人の女の子が――」
◇◇◇
この絵本の話は、昔あった実話だと言い伝えられている。
昔、邪悪な竜に困り果てていた村に魔女アリアンヌがやって来た。
彼女は村の暗い雰囲気を見てこう言った。
『この世界最高峰の魔女の私が竜を倒してあげるよ!』と。
もちろん村人たちは、彼女を見て引き留めた。
まだ成人していない16の女の子に竜が倒せるわけがないと思ったからだ。
だが、魔女アリアンヌは果敢にも、邪悪な竜が住む山のねぐらへと向かった。
あくる日、魔女アリアンヌが肩を落としつつ、とぼとぼと村に帰ってきた。
村人たちは、とうに魔女が死んでしまったと思っていたので驚いた。
慌てて駆け寄り尋ねる。
『怪我はないか?』『竜は倒したのか?』と。
しかし、魔女アリアンヌは首を横に振った。
彼女の話としては、特別な結界に守られていて魔法が効かなかったのだと。
すると、その話を聞いた村の長老が何かを思い出したように言った。
『結界ならあれで何とか出来るかもしれない』と。
そう言うと、長老は自宅へと戻って行き、ある物を手に持ってきた。
それは手のひらサイズの小さな水晶玉。
長老の話では、これはこの村に代々受け継がれてきた物。
代々口伝に、『この水晶玉には何ものも打ち破る力が備わっている』と言い伝えられていたそうだ。
魔女アリアンヌは水晶玉を受け取ると、じっくりと観察した。
そして気付いた。
この水晶玉には、あらゆる魔法を打ち消す魔法が施されていたのだった。
魔女アリアンヌは、長老に感謝して再び竜のねぐらへと向かった。
そして寝ている竜に彼女は水晶玉を投げつけた。
竜に当たり水晶玉が砕ける。
そして竜を守っていた結界が消えさった。
これは好機と魔女アリアンヌは意気揚々に竜へと叫んだ。
『これでもう私の魔法は防げないわね! この魔女アリアンヌが今度こそあなたを成敗してあげる!』と。
そして魔法を放ち、彼女は竜を倒したのだった。
◇◇◇
「めでたしめでたし」
「やっぱり、魔女アリアンヌはかっこいいね!」
絵本を読み終えると、アンジュちゃんはどこか興奮した様子で言う。
子供とは不思議な生き物だ。
何度も読んでいる本だと言うのに、何度でもこうしてワクワクドキドキできる。
この絵本は好きだが、大人になってしまった私には、アンジュちゃんのように興奮することはできない。
「私ね! 将来魔女さんになりたいの!」
アンジュちゃんが立ち上がり、手で何かを握りしめる素振りを見せる。
そして、絵本に描かれていた魔女アリアンヌのようにポーズをとった。
きっと手には、杖を握りしめているつもりなのだろう。
「魔女さんかー。いいね! 私も魔女さんに憧れたよー」
「ほんと!」
アンジュちゃんが勢いよく振り向いた。
その目はキラキラと輝いているように見える。
「ええ、本当よ。お姉ちゃんもいっぱい夢があって……魔女さんもその内の1つだったの」
子供の頃は、色んなものになりたかったな。
魔女や騎士、服屋さんにお菓子屋さん、そしてお花屋さん。
夢がいっぱいあったことを思い出す。
「じゃあ、お花屋さんもそうなの?」
「そうだよ。お花屋さんもなりたかったものの1つだよ」
「じゃあ、キルシュお姉ちゃんは夢を叶えたんだね!」
アンジュちゃんは、まるで自分のことのように嬉しそうに笑った。
つられて私も笑顔になってしまう。
……孤児院の子供たちにも、夢を叶えてほしいな……
周囲で遊んでいる子供たちに目を向ける。
きっと他のみんなもアンジュちゃんのように夢を心に抱いているのだろう。
それはとても素晴らしいこと。
でも、夢を叶えるのは物凄く難しい。
私は、運良くあの場所を見つけて花屋を開くことが出来た。
だけど、それは本当に運が良かっただけ。
普通は夢なんて叶えることが出来ない。
……みんなどうしてるのかな。
同じ時期に孤児院にいたみんなのことを考える。
みんなとは孤児院を出てから会えていない。
一番仲が良かった子なんかは、この街からいなくなってしまった。
他の子たちも似たようなものだった。
「――キルシュお姉ちゃん?」
「え?」
気がつくと、アンジュちゃんが私の顔を覗き込んでいた。
眉尻をさげて心配そうな表情を浮かべている。
「どうしたの? 暗い顔して。あ! もしかしてお腹が痛いの?」
どうやら昔の友人たちのことを考えていて、ぼーっとしてしまっていたようだった。
アンジュちゃんの問いに、慌てて首を横に振る。
そして笑みを浮かべる。
「ううん。何でも無いよ! ちょっと魔女さんのことを考えててね。どうやったら魔女になれるかなーって。アンジュちゃんはどうすればなれると思う?」
「うーん……どうすればいいんだろう」
アンジュちゃんは、腕を組んで一生懸命に考えている。
そんな彼女を見て、心が痛む。
……マリア先生もこうだったのかな。
大人とは、大変で残酷な生き物だと思う。
子供が願う夢に対しては、頑張ってと言うしかない。
叶ってほしいと願うしかない。
たとえ、叶わない可能性があること知っていながらも。
「うーん……わかんないよ……」
考えていたアンジュちゃんが肩を落とす。
「だって、魔女さんに会ったことないし……」
「そうだね……」
魔法を使える人は、この街にも大勢いる。
だが、魔女は見かけたことはない。
「お姉ちゃんは、魔女さんがどこにいるか知らないの?」
「一応は知っているかな……」
私の言葉にアンジュちゃんが再び目をキラキラと輝かせる。
「ほんと! どこ! どこにいるの!」
私の肩に手をおいて力強くゆすってくる。
よほど会いたいのだろう。
「たしか……魔法都市ヘクサフェルって街に沢山の魔女がいると聞いたことがあるよ」
「まほうとし? 魔法の街なの?」
「それはわかんないよ。お姉ちゃんも行ったことないからね。……でもきっと、街の中は魔女さんでいっぱいで、みんな魔法を使っているんじゃないかな?」
間違っていたらどうしようと思うが、ここは我慢。
アンジュちゃんをがっかりさせたくない。
「魔女さんでいっぱいか……行ってみたいなー……」
アンジュちゃんが窓の外へと視線を向ける。
きっと、今すぐにでも行きたいのだろう。
でも、
「そうだね。でも、物凄く遠い場所だからちょっと行くのは大変だね……」
「うん……」
アンジュちゃんが顔を俯かせる。
この街から魔法都市ヘクサフェルまでは、相当離れていると聞いている。
それにヘクサフェルには、馬車を使ってはいけないともお客さんから聞いたことがあった。
……せめて、身近に魔法を使える人がいれば……あれ?
ふと、先日のことを思い出した。
そう言えば、ソーバちゃんが転移魔法を使えると言っていた。
……だったら、魔法都市にも簡単に行けるかもしれない。
今度お出掛けする場所も海の近くだって言っていたから、結構な距離の街だろう。
であれば、魔法都市にも行けるのではないか。
アンジュちゃんに伝えようと口を開こうとするが、咄嗟に言うのを止める。
……アンジュちゃんだけを連れて行くのは、他の子供たちが可哀想。かと言って、みんなを連れていくのは、ソーバちゃんたちに申し訳ない……。
それにだ。
友人であるソーバちゃんを利用しているようで心が痛む。
だが、思いついた。
……そうだわ! 今度のお出掛けの行き先を魔法都市にしてもらえばいいんだ!
妙案だと思った。
ソーバちゃんは私の行きたい場所に行くと言ってくれている。
であれば、目的地を変更できるかも知れないし、お出掛け先が変更になるだけだから迷惑もかけない。
あくまで私が行きたい場所に行ってもらうだけ。
流石にアンジュちゃんたちを連れてはいけないけど、私が魔女に会って話を聞いてくればいい。
……よし! これで行こう!
今度ソーバちゃんがお店に来たらお願いしてみよう。
「アンジュちゃん!」
俯くアンジュちゃんに声をかける。
ゆっくりと彼女は、私の方へと振り向く。
「お姉ちゃんが頑張って、魔女さんに話を聞いてくるよ!」
そう言うと、アンジュちゃんの表情がパァっと明るくなった。
「ほんとに!」
「うん! キルシュお姉ちゃんに任せて!」
「キルシュお姉ちゃんありがとう!」
アンジュちゃんががばっ、と抱きついてくる。
抱きついてきた彼女の背に手を回して、優しく包み込んだ。
この子たちの為なら何だってする。
それが私を育ててくれた孤児院への恩返しだから。
アンジュちゃんが私から離れる。
「じゃあ、お姉ちゃんが頑張って聞いてくるから。それまでアンジュちゃんは良い子にしてるんだよ?」
「うん! 良い子にしてるよ!」
アンジュちゃんは満面の笑みを浮かべて頷いた。
「よし! じゃあ、そろそろお勉強の時間だから、絵本を片付けようね」
「うん!」
そう言うと、アンジュちゃんは絵本を持って私の元から離れていった。
……絶対にお姉ちゃんが話を聞いてくるからね!
彼女の後ろ姿を見送りつつ、私は心に決めた。
物凄く身近に魔女がいることなんて気づきもせずに。




