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「ヒロ。上がりました」

 リリィの声に目を覚ます。

 開かれた扉の向こうに立っているリリィは魔女の格好ではなく、質素な白のワンピースを着ていたため、一瞬混乱してしまった。風呂上がりのためか血色の良い肌と煌めく金髪が相まって、美少女度が向上している。あの長い髪は乾かすのが大変そうだが、やはりそれも魔法で解決しているのだろうか。

「分かった。すぐに行く」

 腰を上げながら、何とか返事を返す。

「私は食事の支度をするので、入浴が済んだら浴室正面の部屋に来てください」

 リリィの言葉に頷くと、改めて浴室に向かった。

 脱衣所で来ていた服を全て脱ぎ、洗濯機に放り込み、引き戸を開けて浴室に入る。

 立ち込める湯気が視界を覆い、檜のような良い香りが鼻孔をくすぐる。素晴らしい浴室だ。

 浴槽の透き通った湯を木桶に汲み、体を洗う。湯加減、感触ともに申し分ない。これも精霊の力によるのだろうか。

 一通り体を洗い流し、ゆったりと浴槽に体を沈めた。

 思わずため息が漏れる。ジジイに付き合って方々の温泉に行っているが、これ程の湯に出合ったことはない。一瞬この世界に来て良かったとすら思ってしまった。

「ヒロ、湯加減はいいでしょうか?」

 呆けかけていたところに、リリィの声が届いた。見ると、引き戸が半ばまで開けられ、顔を覗かせている。慌てて上体を起こし、正面を隠す。

「丁度いい。丁度いいから閉めてくれ」

「良かったです。ごゆっくり」

 リリィは微笑んで去っていった。どうにも人との距離感がおかしい。

 改めて、浴槽に全身を沈める。全身の力が抜けていき、夢見心地で浴槽に浸かり続けた。

 十数分も経っただろうか。食事の支度を終えたリリィがまた乱入してくるかも知れない。名残惜しいが、出るとしよう。

 体を拭き、着替えを済ませる。心なしか肌ツヤも良い。手ぬぐいを首にぶら下げ、脱衣所を後にする。

 リリィに言われた通り、浴室正面の扉を開き、中に入る。食欲をそそる香りが漂う部屋の中央にはやや大きな木の円卓があり、奥にキッチンらしき場所が見える。ダイニングキッチンらしい。

 キッチンに立って背中を向けていたリリィが振り返った。

「支度は出来ています。すぐに食事にしますか?」

「ああ、頼む。それと、この手拭いはどうすればいい?」

「これから洗濯をするので渡して下さい」

 向かってきたリリィに手拭いを渡す。

「洗濯機を動かすところを見せてもらっていいか?」

「構いません」

 微笑んで食堂を出たリリィに続く。

 リリィは脱衣所の洗濯機に手拭いを放り込んで蓋を閉めると、手をかざした。直後、洗濯機が回転し始めた。手拭いを入れた時には水は見えなかったが、水音がしている。一瞬にして水が生成されたらしい。

「後は待つだけです。母によると、これがない時はかなり面倒な作業だったそうです」

 魔法があればどうにでもなりそうなものだが、そうでもないのだろうか。

「それでは、食事にしましょう」

 リリィが脱衣所を出ていった。滑らかに回転する洗濯機を一瞥し、その後を追う。

 食堂に戻ると、リリィが手で円卓を示した。

「どうぞ座ってください」

 勧められるまま円卓に2脚だけある椅子の一方に座る。落ち着くと、一気に空腹が押し寄せた。

 リリィはキッチンからスープの入った器と数切れのパンの乗った皿、水の入ったグラスとスプーンを持ってきた。それを2セット食卓に揃えると、リリィも腰を下ろし、スプーンを手にとった。

「それでは、食べましょう」

「いただきます」

 数時間振りに日本語を発した。独り言のようなものだから変換されなかったのだろうか。

 合掌している俺に、リリィが不思議そうな目を向ける。

「これが俺の国の流儀だ」

「イタダキマスとはどういう意味ですか?」

 正直良く分からないし、説明も面倒なので適当に答えておこう。何より、早く食事を摂りたい。

「食べます、の丁寧な言い方で、まぁ食事に対する感謝の言葉のようなものだ」

「そうですか。では私も倣いましょう。イタダキマス」

 律儀に合掌したリリィを横目にスプーンを手に取り、改めてスープを眺める。部屋に入った時の良い香りの源はこれのようだが、見た目はほぼ透明で、元の世界でも見覚えのある野菜と豆が大量に入っているのみで、肉の類も入っていない。食べても問題はなさそうだが、見るからに味気なさそうだ。

 スープを掬って口に運ぶ。まるで想像していなかった豊かな味わいが広がる。野菜の甘みと香りが全て溶け出したかのような味で、それでいて僅かの青臭さすらない。更には肉がないにも関わらず、充分な旨味を感じる。

「このスープはどうやって作ったんだ?」

「畑で採れた野菜を煮込んだだけです」

 馬鹿な。それだけでこんな味になるわけがない。ジジイによって一通りの家事を叩き込まれたので分かるが、そんな簡単な味ではない。

 もしや、外見こそ見覚えのある野菜だが、味は全くの別物なのでは。

 姿勢を正し、スープの野菜のみを掬う。ジャガイモ、ニンジン、キャベツ、玉ねぎ、大豆らしきものを順に口に運ぶ。見た目通り、元の世界のものと変わらぬ風味ではあるが、スープの具材になって尚、歯応え、香り、味の全てが極上だった。

 続いてグラスの水を含む。純水かと思うほど軟らかいが、それでいて不思議と美味い。

「水は何を使っているんだ?」

「ウンディーネの力で生成したものを使っています。この家の周りには四大全てが満ちているので、精霊魔法が容易に使えるのです」

 水の味も精霊の力によるのか。であれば。

「畑にはノームの力を利用していると」

「その通りです」

 精霊が関わったお陰で単純極まりない調理方法でもこれだけの味が出せるのだろうか。精霊魔法の正しい使い方は知らないが、少なくともリリィとその両親は卑近な目的にまで軽々しく使っているらしい。まぁ、生活水準が向上する分には、こちらとしては言うことはない。

 その後は黙って食事を続けた。四大の全てが関わっていそうなパンも、やはり尋常ならざる味であった。スープとパンをそれぞれ2回おかわりしてしまったが、リリィと俺の食事が終わるのはほぼ同時だった。

「ごちそうさまでした」

「ゴチソウサマデシタ」

 合掌した俺に、リリィも続く。微笑ましく思えないこともない。

「食器はどうすればいい?」

「私が片付けるので、そのままで構いません」

 お言葉に甘えるとしよう。

「そうか。それじゃ、俺は部屋で休ませてもらう」

「明日は朝に冒険者ギルドに行って、それからは本格的に迷宮の探索を始めましょう」

 頷きを返す。気は進まないが、幾ら困難だろうと踏破を目指して進むしかない。

「それでは、おやすみなさい」

「ああ。おやすみ」

 自室に戻る。部屋は明るいままだったが、今からリリィに言うのも面倒だ。明日にでも言っておこう。

 倒れ込むようにベッドに横たわると、すぐに眠りに落ちた。

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