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印を見ながらリリィに尋ねる。
「転移の印は消えることはあるのか?」
「自然に消えるのは3日程でしょうか。印自体が魔力で描かれているので直接的な方法では消せませんが、相応の解呪能力があれば消すことも出来るでしょう」
「消えたらどうなるんだ?」
「転移する際の目標となる魔力をその場に留めるためのものなので、消えてしまえばその場所には転移出来なくなります」
「幾つも設置することは出来るのか?」
リリィがやや考える素振りを見せる。
「可能です。ただ、今の私では全ての魔力を費やしても日に10が限度でしょうか」
それだけあれば困ることはないだろう。全ての魔力と言ってもどのくらいのものなのか見当もつかないが。
「魔力の消費が少ない魔法であればどのくらい使えるんだ?」
「先程使った火球が私にとっては最も消耗の少ないものですが、100は使えると思います」
100。相当な威力だったように思えるが、あれが100も使えるのか。
リリィが笑みを浮かべる。
「ヒロは魔法に興味があるのですか?」
当然、ある。可能であれば使いたいくらいだ。深く頷く。
「それでは、帰りながら魔法についてお話ししましょう」
満足気に頷いたリリィに続いて迷宮を出る。
思っていたよりも長い時間迷宮に居たようで、日は傾いていた。
「無事に帰ってきたな」
入った時と同じ、若く親切な番兵が笑みを浮かべて声を掛けてきた。リリィが慌てたように隠れる。
「巨鼠を何体か討伐できました」
手に提げた袋を目線で示す。
「確認させてもらおう」
袋を手渡す。身も心も軽くなった。
中を覗き込んだ番兵が声を上げる。
「冒険者になったばかりでこれ程の成果とは。大したものだ」
その袋を覗いて平気でいられる方が余程凄いと思うが。
「冒険者ギルドへは報告しておく。報酬は明日以降受け取ってくれ」
「よろしくお願いします」
軽く頭を下げる俺に、番兵は破顔した。
「冒険者にしては珍しく丁寧な奴だな。それとも東方の人間は皆そうなのか?」
苦笑を返す。知らないよ。
番兵は含み笑いを漏らした。
「何にせよ、期待の新人ってところだな。最近は期待できそうな冒険者が現れなかったからな」
楽しみを見つけたような口振りだ。この番兵は迷宮が好きなのだろうか。
「今はどのくらいまで進んでいる冒険者がいるんですか?」
よくぞ聞いてくれた、というような表情を見せる。
「最も進んでいるのが赫髪の獅子バーンのパーティで、俺の知る限りでは唯一、3階層まで進んでいるな」
やはり、バーンは相当な実力者だったようだ。それにしても、名前の前のなんとか言うのは通り名だろうか。この世界の感覚は知らないが、そのように呼ばれるのは御免蒙りたい。
「他には2階層に進んでいるのが数組ある程度だな」
2階層で数組とは、想像以上に困難な場所らしい。踏破など本当に出来るのだろうか。
「まあ、今はそんなところだ」
「ありがとうございます」
「ともあれ、今日はお疲れさん。これからも頑張ってくれ」
微笑む番兵に会釈を返し、その場を後にした。
街に続く道を歩きながら、横に並んだリリィが咳払いをした。
「それでは、魔法についてお話します」
妙に誇らしげだ。散漫な拍手を贈ってやる。革手袋のぶつかるくぐもった音が上がった。
「この国で汎く使われている魔法は2種類あります」
リリィが人差し指を立てる。
「1つ目は古代語魔法で、単に魔術と呼ばれることもあります。迷宮で私が使っていたのがこれで、古の神々が使ったとされる言語の詠唱によるものです。術者の魔力に依存する部分が大きく、相応の修練が必要ですが、様々な効果を得ることが出来、強力な魔法も多くあります。また、相当な魔術師であれば魔法の改良や作成も可能で、私の母なども様々な魔法を考案しています」
古代語か。詠唱に対しては翻訳魔法が効かなかったのはそのせいなのだろう。
リリィが更に指を立てる。
「2つ目は精霊魔法です。四大と呼ばれる精霊、地のノーム、水のウンディーネ、火のサラマンダー、風のシルフのいずれかの力を用いる魔法です。古代語魔法に比べて要求される魔力は小さく、簡単なものであればそれほどの修練も必要ありません。ただし、術者との相性が重要で、更にその精霊の力の満ちた環境か、力の宿る道具を用いるかしないと戦闘に利用できるほどの効果は得ることが出来ません。迷宮では四大全ての力が僅かにしか存在しないため、道具を利用するしかありませんが、非常に希少です。極稀に、精霊そのものと契約し、その力を自由に使える者が現れるそうですが、事実かどうかは怪しいところです」
精霊とは、いかにもファンタジーらしい。
リリィが腕を下ろした。
「魔法とは別のものとされているのですが、神聖祈祷というものもあります。信仰する神に対する祈祷によりその力を顕現させるとされています。得られる効果も信仰する神により様々ですが、太陽と生命の神ソラルによる治癒、武神アルムスによる戦闘補助、魔神メグによる攻撃、あたりが多いでしょうか。精霊魔法と違い環境は選びませんが、それぞれの神に仕える神官や僧侶でなければ行使は不可能とされています。先程も言ったように、一般には魔法とは扱われていないのですが、母によるとその実態は魔法の一種だそうです」
なんとなく含むところがあるような口振りに感じる。俺が日本人だからか、神への信仰だのと聞いて身構えてしまっただけかも知れないが。
ともかく、俺にも魔法は使えるのだろうか。
「俺に使えそうなものはあるか?」
「そうですね。少し目を瞑っていてもらえますか?」
言われるまま、足を止めて目を閉じる。リリィが歩み寄ってくる気配がしたが、そのまま黙って待つ。
「ありがとうございます。もう目を開けて良いですよ」
期待を抱きながら、目を開ける。
「どうだった?」
リリィは首を振った。
「残念ながら、ヒロからは全く魔力を感じられません。これでは簡単な精霊魔法の行使も出来ないでしょう」
少し、いや、かなり残念だ。物理で殴る、もとい、斬ることしか出来ないのか。
「ですが、この世界の人間であれば誰でも僅かな魔力は持っているはずです。ヒロからは僅かすら感じられません。もしかしたら、瘴気の影響を受けないのもそのせいかも知れません」
気を遣っているのかも知れないが、そういうことにしておけば少しは前向きになれそうだ。
歩き続けて街を抜け、森を抜けて、リリィの家まで戻ってきた。
日は完全に沈み、森に囲まれていることもあって辺りは真っ暗だ。家に入ったリリィに続く。
家の中も同様の暗さだったが、リリィが天井に向かって手を伸ばすと、ランプのような物に火が灯り、家全体が照らされた。
「サラマンダーの力を利用した照明です」
これも精霊魔法なのだろうか。便利なものだな。
「燃料は必要ないのか?」
「必要ありません」
今更ながら、元の世界のあらゆる法則が通用しない世界のようだ。永久機関も作れるかも知れない、というか既にあるのではなかろうか。
リリィが穏やかな表情を見せる。
「今日はお疲れ様でした。ヒロの力があれば、遠からず迷宮の踏破も可能でしょう」
そう願いたい。が、とにかく今は全身の汚れを落としたい。
「体を洗える場所はあるか? それと着替えもしたいのだが」
「そこが浴室になっています。簡単に説明しましょう」
リリィは家の入口からすぐの扉を開いた。中を見ると簡素な棚の置かれた、脱衣場のようになっていて、奥に木製の引き戸がある。
「使用した衣服はそこに入れておいてください」
リリィが木製の樽のような物を指し示す。樽は曲面を上下にして、横の平面が鉄製の脚で保持され、回転できるように見える。催し物でよく見る、回すと色の付いた玉が出てくるくじ引きに似ている。曲面の一部に蓋が付いており、そこから衣服を投入できるようだ。
「まさか、洗濯機か?」
リリィが自慢げに頷く。
「母が長い時間を掛けて作成したもので、精霊魔法によって洗浄、脱水、乾燥を行います。これ程の物は恐らく他にないでしょう」
何という魔法の無駄遣い。いや、有効活用なのか。
「起動には魔力が必要なので、私が行います」
何となく気恥ずかしいが、任せるほかない。
気を取り直して、奥の引き戸を開ける。
中は板張りとなっていて、中央に木製の浴槽らしきものが埋められ、取っ手付きの小さな木桶が置かれている。異様に日本的だ。
「母が東方のものを参考にして作ったそうです。こちらも精霊魔法を利用するので、使いたくなったら言ってください」
もはや何も言うまい。
「そうか。すぐにでも使いたい」
「分かりました。すぐに準備するので、廊下の突き当りの部屋から着替えを持ってきてください。元は父の部屋ですが、今後はヒロの部屋として、中にある物も自由にして構いません」
リリィの言葉に頷いて浴室を離れ、さほど長くない廊下を歩いて突き当りの部屋の扉を開く。
中は長い間使用されていないようだが掃除はされているようだ。木製のタンスとベッド、小さなテーブルの置かれた質素な部屋だ。
タンスを開くと今着ているのと同じ物が何着かと、大きめの手拭い、革製のサンダルがあった。ありがたく使わせてもらおう。
装備を全て外し、サンダルに履き替えると、装備一式を部屋の隅にまとめる。
着替えと手拭いを手に浴室前まで戻ったところで、リリィが顔を出す。
「丁度準備が終わりました」
現代日本より湯の貯まるのが速い。
「今更だが、先に使わせてもらっていいのか?」
何故かリリィは首をかしげる。
「一緒に入れば良いでしょう? それ程狭くはないはずです」
「は!?」
不覚にも、想像していなかった返答に激しく動揺してしまった。
いかなる理由によってか、羞恥心というものが無いらしい。とにかく、実年齢が遥か上だろうと、一緒に入る訳にはいかない。
「俺は部屋で待っているから、先に使ってくれ」
一方的に言い放つと、不思議がるように首を傾げるリリィに背を向け自室に戻った。
壁を背に床に腰を下ろすと、一日の疲れが押し寄せたのか、すぐに微睡みが訪れた。




