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大和型3番艦の船底板?なにそれもういらないよね、から起こるバタフライエフェクト

大和型建造中止が惹き起こすエフェクトやからバタフライやなくてモスラエフェクトでええんちゃうか

 大和型戦艦3番艦4番艦の建造計画が早期に取りやめとなったことで予算や造船スケジュールに余裕ができたことから、➃計画計画以降の建艦計画は本来構想されていたものから色々と変更が生じることになった。

 その中の最大のものは富士型戦艦2隻の建造であるが、それ以外で大きく変わったものと言えば大鳳型装甲空母の建造が2隻に増勢されたことが上げられる。

 1番艦の大鳳は三菱造船所長崎工場に於いて戦艦武蔵進水の後を受け昭和15年11月に起工され、2番艦天鳳は神戸川崎造船所で昭和16年7月に起工されている。

 先行して建造された大鳳に対し神戸川崎で建造された天鳳は、一部工程の簡略化を含めた工期の短縮化が進められ大鳳の竣工に遅れること4ヶ月の昭和19年3月に竣工した。


 昭和15年6月、敷設艦津軽の進水により空になった横須賀海軍工廠第2船台では次に建造される軍艦の起工準備に追われていた。

 ➃計画が大幅に変更された結果本来この船台で行われる予定だった大和型戦艦3番艦の船底板の製作は中止となり、その代わりに同船台のタイムテーブル上では翌昭和16年に入ってから建造される予定だった新型水雷戦隊旗艦用軽巡洋艦が同月中に起工されることになったためである。

 能代と命名された軽巡洋艦が進水した次にこの船台にキールが据えられたのは、マル臨計画で唯一計画された大型艦である改飛龍型中型空母雲龍で、昭和16年7月に起工され2年後の昭和18年9月に竣工する。

 

 ➃計画で計画され建造が急がれていた乙型駆逐艦のうち4隻は、呉と横須賀で建造される富士型戦艦の船渠において戦艦の隣で並行で建造するという新工法が採用される。

 昭和17年4月、ドーリットル率いる米軍爆撃機隊による日本本土発空襲の際、乙型駆逐艦と戦艦富士が建造されていた横須賀の造船船渠が爆撃を受け、富士が被弾損傷するというアクシデントこそあったものの、乙型駆逐艦の建造工程に大きな影響はなく昭和17年と18年にそれぞれ2隻が竣工した。

 富士と阿蘇が進水した後も乙型駆逐艦の並行建造は続けられ、昭和19年から20年にかけて両船渠においてさらに4隻が竣工することになる。


 昭和16年、日本軍の南部仏印進駐により日本と英米蘭との対立が激化し、米国との軍事衝突が現実のものとなる可能性が高まったことにより、日本海軍は新たな艦艇の建造計画を立ち上げる。

 同年8月に始まったマル急計画である。

 同計画では戦時の消耗補充が主眼とされ、同時に防備用小艦艇の充実が図られることになる。

 その中でも戦闘による損耗の可能性が高い駆逐艦や潜水艦の建造に特に注力されたのであるが、工程が多く建造費用が高い甲型駆逐艦と乙型駆逐艦の2種類だけでは必要十分な隻数を満たせないとして、新たに工程が少なく安価で建造できる新設計の駆逐艦が計画される。

 従来艦に較べ低速弱武装ではあるが対空対潜戦闘力を向上させ低コストでの量産を可能とするよう工程を簡易化、さらにシフト式機関配置によって生残性を高めた松型駆逐艦である。

 昭和17年9月までに基本設計を終えた松型駆逐艦はマル急計画で20隻が計画され同年12月より順次起工、一番艦松は翌年6月進水同年9月に約10か月の建造期間を経て竣工している。


 海軍艦政が各工廠や民間造船所で艦艇の増産を図る間にも日米関係は悪化の一途を辿り、昭和16年12月日本陸海軍はマレー半島とハワイ諸島において対英米戦争の戦端を切る。

 開戦以降順調に南方攻略を進め支配域を大きく広げた日本軍だったが、アメリカ海軍機動部隊から発艦したB-25による本土奇襲爆撃以降風向きが変わりはじめる。

 ポートモレスビー攻略は珊瑚海海戦の結果を受け中止となり、翌6月に行われたミッドウエイ攻略戦において起こった日米空母戦に於いて日本海軍は3隻の空母を喪失、残る飛龍も防空駆逐艦秋月型2隻の奮戦空しく直撃弾2発を受け大破戦闘不能になった。

 ミッドウエイ海戦での敗北に続き、米軍の反攻作戦がソロモン諸島ガタルカナル島で開始され、周辺海域で起こった相次ぐ激戦により日本海軍は戦艦2隻を始めとする多数の艦船を喪い太平洋の戦いの主導権は米国に移ってしまう。

 昭和18年に入り物量に勝る米軍の反攻はさらに激しくなり、ソロモンニューギニア方面に加え中部太平洋に於いても日本軍は劣勢を余儀なくされ、ギルバート・マーシャル諸島方面の拠点を次々と失陥する。

 昭和19年4月には海軍の一大拠点であったトラック島が米機動部隊により奇襲攻撃を受け、日本軍は戦線を大幅に下げマリアナ諸島から西部ニューギニア、ビルマに至る絶対国防圏に拠り米軍を待ち受ける戦略を取らざる得なくなった。

 昭和19年8月、マリアナ諸島に来寇する米海軍に対し日本海軍は”あ号作戦”を発動、山口多聞中将率いる第一機動艦隊は持てる艦隊戦力の総力を結集して米海軍第5艦隊との決戦に挑む。

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