第3話 緑の革命
この一夜の革命は、王宮の他の「名家」たちをも静かに塗り替えていった。
回廊の影で、宰相ドミナント(属音:G)は、自らに起きた異変に言葉を失っていた。
「……なんたることか。完璧な解決の法が、こうもあっさりと歪んでいくというのか」
かつてのドミナントは、王へ力強く進行する、最も頼りがいのある「属音」だった。
しかし王自体が不純な「C7」に変質し、解決先の「F」が帝国の中心に据えられたことで、彼は宰相としての存在意義を完全に失ったのだ。構成音「ソ・シ・レ」の中心たる「シ」が、帝国の波動によって「シ♭」へと書き換えられていく。
「これが……理論の敗北か。私の『導音』が、こうも容易く……」
彼は「導音」という、未来を指し示す光を失った。残されたのは、湿り気を帯びた「ソ・シ♭・レ(Gm)」の響き。
彼はドミナントとしての栄光の職を失い、ただの二度マイナー――「Gm」、その名も「ジマ」へと格下げされ、没落したのだった。
「私は……私は、ただの『脇役』になってしまったのか……」
ジマは錆びついた盾を抱え、王宮の勝手口から闇へと這い出していった。
*
一方、その混乱を、王宮のさらに奥深く、静まり返った瞑想の間から見つめている者がいた。
聖女エマ。
彼女の和音は「Em」。トニック王の構成音「ミ・ソ」を抱きながらも、王国が最も神聖視してきた「シ」――主音へ解決したがる『導音』を、その身に宿していた。
エマは、エメラルドグリーンに染まっていく夜空を見上げ、自らの胸元にそっと手を当てる。
(……この国は、もう私が知っていた場所ではないわ。完璧な『白』に閉じ込められていた私たちは、ほんの一滴の♭によって、これほど容易く崩壊してしまう……)
彼女の中で変異してゆく響きが、まだ見ぬ未知の調べを求めて脈打っていた。単なる王の『鏡』ではなく、自らの足で立ちたいという渇望を、エマは初めて自覚したのだ。
「エマ様……! 早く逃げなければ、あなたの高貴な響きまでフラット5にされてしまいます!」
数少ない従者たちが縋り付いたが、エマの表情に怯えはなかった。
「恐れることはありません。……私はもう、この檻のような聖域には戻りませんわ」
エマ(Em♭5)は、月の光を浴びて立ち上がった。その瞳には、かつての儚げな聖女には無かった、気高く能動的な輝きが宿っている。
「白亜の王国の嘘も、新しい帝国の冷酷さも、私は自分の目で見極めたいのです。……行きましょう。私たちが響き合える場所が、きっとどこかにあるはずです」
彼女は聖女の衣を脱ぎ捨て、旅人の簡素なマントを羽織った。
没落したジマが失意の中で国を去る一方、エマは自らの意志で檻の扉を開き、広大な五度圏の旅へと歩みを進めたのだった。
**♪ 今日の音楽理論ひとくちメモ**
ドミナント(G)が失った「導音」とは、次に来る主音へと強く引っ張られる、不安定で重要な音。今回のように解決先の主音そのものが変わってしまうと、それまで頼りにされてきた音の役割ごと失われてしまうのです。




