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6話 心も温まるホカホカアップルパイ

 深夜。お月様が空の一番高いところで冷たく輝く時間。

私はふと喉の渇きを覚えて、ベッドの中で目を覚ました。


いつもなら隣の枕元で小さく寝息を立てているリーフィも、今日は植木鉢の木イチゴの葉のベッドが心地よかったのか、窓辺から戻ってきていない。

パジャマの上に薄手のカーディガンを羽織り、私は静まり返った廊下へと出た。

ギィ……と床板が小さく鳴る。

昼間の賑やかさが嘘のように、夜のカフェはしんと静まり返っていて、窓から差し込む青い月光が床に細長い影を落としていた。


トントン、と階段を降りて、1階のキッチンへと向かう。

冷たいお水でも飲んで早く寝直そう。そう思いながらキッチンの扉に手をかけた、その時だった。


すりガラスの向こう側、薄暗いキッチンの床に、ゆらゆらと蠢く『奇妙な大きな影』が見えた。

一瞬、心臓が跳ね上がる。魔王軍の残党? それとも、泥棒?

私は息を殺し、いつでも生活魔法の目潰しを発動できるように指先に小さな光の魔力を集めながら、思い切って扉をバッと開け放った。


「誰……っ!?」


月明かりに照らされたその影は、驚いたように肩を大きく跳ね上げさせた。

そこにいたのは、魔物でも泥棒でもなかった。


「……あ、ニナ。起こしちゃったか? すまん」


大きな身体を縮こまらせ、キッチンの丸椅子に腰掛けていたのは、お兄ちゃんだった。

手元には小さな魔導ランプの灯り。

そしてなぜか、膝の上には私のピンクのフリルエプロンを大切そうに抱きしめ、毛布代わりにしている。

よく見ると、お兄ちゃんの目の前には、昼間に私が買い出しを頼んだリンゴの籠が置かれていた。


「お兄ちゃん……? こんな夜中に、一体何をしてるの?」

「いや……その」


お兄ちゃんは決まり悪そうに視線を彷徨わせた。

世界を救った最強の勇者が、今はまるで、夜中に悪戯を見つかった子どものように小さくなっている。


「……ちょっと、目が冴えてしまってな。昼間、ニナが『久しぶりにお兄ちゃんの料理を食べたい』って言っていただろう? だから、明日の為に作ろうと思って」


はにかむように、だけど少し照れくさそうに溢されたお兄ちゃんの本音に、私は集めていた魔法の光をそっと消した。

胸の奥が、甘い砂糖を溶かしたみたいにじゅわっと温かくなっていく。

私が何気なく溢した一言を、お兄ちゃんはずっと覚えてくれていたのだ。

戦場では生きるための燃料でしかなかったはずの料理を、今度は「私のために」美味しく作ろうと、静かな夜に一人でこっそり練習してくれていた――

その不器用な優しさが愛おしくて、私は小さくため息をつきながら、お兄ちゃんの隣の椅子を引いた。


「もう。それならそうと、私を起こしてくれればよかったのに」

「すまん……ニナを驚かせるサプライズにしたかったんだが……」

「いいよ。せっかくだから、今から一緒に作っちゃおっか。夜中だけど、特別に私が特訓してあげる」


私が袖をまくると、お兄ちゃんの瞳がぱあっと明るくなった。

「よし、まずはリンゴの皮剥きからだよ」と頼むと、流石の器用さ。

お兄ちゃんの手によって、あっという間に1ミリの狂いもない綺麗な螺旋状の皮が剥かれていく。

私はそれを受け取り、バターと砂糖、そしてほんの少しのシナモンと一緒にコトコトと煮詰めていった。

キッチンの冷たい空気の中に、じゅわじゅわと甘くて温かい、焦がしバターとリンゴの至福の香りが立ち上る。

サクッとしたパイ生地をお兄ちゃんが丁寧にのばし、二人で網目状の生地を被せる。共同作業で形作られたそれは、不格好だけどどこか温かみがあった。

オーブンに入れ、仕上げに私の『調理魔法・温度最適化』を発動した。


数十分後、焼き上がったのは、キツネ色にこんがりと膨らんだ、ホカホカのアップルパイだ。


「よし、熱いうちに試食しちゃおう!」


切り分けたパイから、白い湯気がふわりと立ち上る。

お兄ちゃんはフォークでそれを口に運ぶと、サクッ、と素晴らしい音を響かせた。


「……すごく、美味い。自分で作ったとは思えないくらいだ」


そう言って幸せそうに微笑むお兄ちゃんの顔からは、夜の闇が持つ寂しさなんてすっかり消え去っていた。

私の調理魔法は、ただ美味しいだけじゃない。

お兄ちゃんが込めてくれた「ニナに喜んでほしい」という優しい気持ちを、何倍にも膨らませて、食べた人の心を芯から温める効果があるのだ。


「ニナの特訓のおかげだな。これで明日は、最高に美味い料理をニナに食べさせられる」

「楽しみにしてるね。……なんだか、すごく眠くなってきちゃった」

「魔法がよく効いたみたいだな。じゃあ、明日の朝はゆっくり起きておいで。お店の準備も、お前への朝食の準備も、俺が全部完璧にやっておくから」


半分寝ぼけ眼になった私の頭を、お兄ちゃんは大きな手で優しく、愛おしそうに撫でてくれた。


「夜中に食べたことは内緒だな」

「うん」


しーっと口に人差し指を当てる

ちょっと心配性で、私のことが大好きすぎる、世界で一番優しい私のお兄ちゃん。

甘い香りとホカホカの余韻に包まれながら、私たちの愛しい日常の夜は、優しく更けていくのだった。

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