5話 小さな給仕長と秘密の木イチゴクリスタルソーダ
森から『カフェ・ド・ベール』に戻った私たちは、さっそくお兄ちゃんが用意した最高級のテラコッタの鉢に、あの木イチゴの苗を植え替えた。
格子窓のすぐそば、一番お日様の光が差し込む特等席に置かれた苗は、私の生活魔法とあたたかな木漏れ日を浴びて、とても居心地よさそうに青々とした葉を広げている。
「きゅあ!」
そして、その苗の持ち主だった精霊は、すっかりこの店が気に入ったらしい。
いまも私の肩の上で、ちいさなお尻をフリフリと揺らしながら、焼き立てのスコーンの香ばしい匂いを、鼻をひくつかせて嬉しそうに嗅いでいる。
「ねえ、お兄ちゃん。この子、ずっと『精霊さん』って呼ぶのもなんだし、お名前をつけてあげたいんだけど……何かいい案ある?」
「ふむ。俺の可愛いニナの妹分だからな……よし、『超高速爆裂植物丸』というのはどうだ?」
「却下。絶対に却下」
大真面目な顔で腕組みをした、世界を滅ぼしかけた魔王を倒した勇者のネーミングセンスは、絶望的なまでに壊滅していた。
こんなに可憐で、守ってあげたくなるような精霊の女の子に、そんな物騒な名前をつけられるわけがない。
私の冷ややかな視線に気づいたのか、肩の上の精霊さんもあからさまに嫌そうな顔をして、お兄ちゃんに向かって小さな木の実をポイッと投げつけている。
「うーん……緑の葉っぱがとっても綺麗だから、『リーフィ』なんてどうかな?」
「……きゅあ! きゅきゅあ!」
そう優しく呼びかけると、女の子は嬉しそうに私の頬に小さな手をすり寄せ、パタパタと薄緑色の羽を震わせた。
どうやら自分の名前として、一瞬で気に入ってくれたみたいだ。
胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、私は彼女の頭を指先でそっと撫でた。
「うん、よろしくね。リーフィ!」
「きゅあ!」
ちいさな胸を張り、片手を上げてやる気満々で返事をするリーフィ。
そんな微笑ましいやり取りをしているうちに、カランコロン、とドアのベルが鳴り、最初のお客さんがやってきた。
常連の老紳士のアルベールさんだ。
「やあ、ニーナちゃん。今日も良い香りにつられて来てしまったよ。……おや? カウンターのところに、なんだか可愛らしい先客がいるね」
アルベールさんが目を細めた先には、カウンターの止まり木のような場所にちょこんと座り、私が紙の切れ端で作ってあげた小さなメモ帳を一生懸命に抱えたリーフィがいた。
人間の前に出るのはこれが初めてだからか、その小さな身体は少しだけ緊張で強張っている。けれど、私の顔を見上げると、きゅっと気合を入れるように背筋を伸ばした。
「この子はリーフィです。リーフィ、アルベールさんにメニューをお渡しして?」
「きゅ、きゅあ……!」
リーフィは緊張でアゲハ蝶のような羽をシャカシャカと鳴らしながらも、自分の体ほどもある手書きのメニュー表を両手でぎゅっと握り、カウンターの上を一生懸命に引きずってアルベールさんの目の前へと差し出した。
途中で少しよろけそうになりながらも、やり遂げたというように見上げる健気な瞳に、アルベールさんは「ほう、これは手厚いおもてなしだ」と、たちまち目元を優しく綻ばせた。
「ありがとう、おチビな給仕長殿。では、ニーナちゃん。いつものハーブティを頼むよ」
「はい、かしこまりました!」
私がアルベールさんのお茶を淹れている間も、リーフィはカウンターでお客さんの様子をじっと観察したり、お皿の上のフォークの向きをちいさな手でちょこんと直したりと、大奮闘してくれた。
その一挙手一投足が可愛らしくて、お店の中の空気がいつもよりずっと柔らかくなっているのが分かる。
お茶を出し終え、最初のお仕事を立派にやり遂げたリーフィが私の元へパタパタと飛んできた。
私は手のひらで彼女を受け止め、たくさんたくさん褒めてあげる。
「リーフィ、お手伝いありがとう。すごく助かっちゃった。これはがんばったリーフィへの、特別なご褒美だよ」
「きゅ……?」
不思議そうに小首をかしげるリーフィを見つめながら、私は厨房に入り、さっそく小さな小さなご褒美の準備を始める。
使うのは、昨日お兄ちゃんが採ってきてくれた、あの瑞々しい幻の木イチゴ。
それを贅沢にすり潰して作った特製シロップに、冷たい炭酸水を静かに注ぎ込む。
仕上げに指先をパチリと鳴らした。
『調理魔法・炭酸固定』
炭酸のシュワシュワとした心地よい刺激と、もぎたてのイチゴのフレッシュな甘酸っぱい香りが、人形サイズのちいさなガラスのコップの中に、完璧に閉じ込められる。
「はいどうぞ。『木イチゴのクリスタルソーダ』リーフィ特製サイズだよ」
カウンターに置かれた、宝石のルビーのように真っ赤に輝く綺麗な飲み物を見て、リーフィは嬉しさのあまり「きゅあーーっ!」と歓声をあげた。
彼女は小さな両手でコップを大事そうに持ち、細いストローをちゅーっと吸い込む。
ひとくち飲んだ瞬間、リーフィの瞳がこれ以上ないほどキラキラと輝いた。
初めて体験する炭酸が喉の奥でシュワシュワと弾けるたびに、彼女の羽からシャラランと幸せそうな鈴の音が店内に響き渡る。
それと同時に、淡い緑色の光の粒が、まるで星のようにきらめきながら周囲に舞い散っていった。
「ふふ、お気に召したようだね。ニーナちゃんの魔法のソーダを美味しそうに飲む姿は、見ているこちらまで心が洗われるような、幸せな気持ちになるよ」
カウンターの隣の席でその光景を眺めていたアルベールさんも、自分のハーブティを味わいながら、白い髭を揺らして本当に嬉しそうに目を細めている。
誰かを笑顔にしたいと思って始めたお店に、こうしてまた一つ、優しい笑顔が増えていくのが、私は嬉しくてたまらなかった。
「いいなぁ……俺もニナの作った料理食べたいなぁ……」
厨房の奥から、あからさまに肩を落としたお兄ちゃんが、恨めしげな声を漏らしながらトボトボと這い出てきた。
世界を救った最強の勇者様は今、リーフィが美味しそうにソーダをちゅーちゅーと吸い込んでいる姿を、羨ましそうに見つめている。
「お兄ちゃん、さっき朝ご飯のサンドイッチ作るって言ったでしょ? 贅沢言わないの」
「それはそれ、これはこれだ! そもそもリーフィばかりニナに『がんばったね』って撫でてもらって、ご褒美をもらえるなんて不公平だ! 俺だって、俺だって毎日こんなにフリフリのエプロンをつけて皿洗いをがんばっているというのに……っ!」
大真面目な顔で、ピンクのフリルエプロンをきゅっと握りしめて訴えるお兄ちゃん。
カウンターの隣でアルベールさんが「ははは、勇者様も形なしだね」と、お腹を抱えて笑い出してしまった。
リーフィにまで、ストローをくわえたまま「きゅあ……」と、ちょっと冷ややかな目で見られている。
「もう、お兄ちゃんは大袈裟なんだから。……はい、これ」
「おっ、これは……!?」
私が苦笑いしながら差し出したのは、リーフィのよりも少し大きめのグラスに入った、シュワシュワとルビー色に輝く木イチゴのソーダ。
もちろん、中身はお揃いの特製ドリンクだ。
「お兄ちゃんにも、毎日お店を手伝ってくれるお礼。いつもありがとう、お兄ちゃん」
「ニナ……っ! あやっぱりお前は世界一可愛い俺の自慢の妹だ!」
グラスを受け取ったお兄ちゃんは、弾かれたように顔を輝かせると、まるで聖杯を掲げるかのような神聖な手つきでソーダを一口飲み干した。
「美味い……! 炭酸の刺激の奥にあるニナの優しさが、俺に染み渡っていくようだ…!」
「じゃあ、今度、お兄ちゃんの料理食べさせてね」
「きゅきゅあーっ!」
まかないの約束を取り付けたリーフィも一緒になって、お兄ちゃんと親指サイズの手でパチンとハイタッチを交わしている。いつの間にか、元勇者とちいさな精霊の間には、不思議な『ニーナの助手仲間』としての絆が芽生え始めているようだった。




