4話 森の落とし物
アルミナリア様が王都へと戻られた翌日。
私は開店前に、少し足を伸ばして『精霊の森』へとやってきていた。
お目当ては、昨日のお茶会で大好評だったハーブティーの茶葉。
そして、次なる魔法のスイーツのインスピレーションを得るためだ。
木々の隙間から差し込む朝の光が、湿った苔やシダの葉をきらきらと輝かせている。
一歩歩くたびに、足元からむせ返るような緑の濃厚な香りが立ち上り、胸いっぱいに吸い込むだけで身体が軽くなる気がした。
「よし! このあたりなら良い葉が採れそう」
私がしゃがみ込み、生活魔法を指先にまとわせる。
『調理魔法・目利き(サジェスト)』
私の魔法の一つ。
これを使うと、群生する野草の中から、今一番瑞々しくてお茶に適した最高の一枚が、淡い光を帯びて浮かび上がって見えるのだ。
「これに。それから、こっちも……」
サクサクと籠にハーブを摘み進めていた、その時だった。
背後の茂みから、シャララン、と風鈴を転がしたような、透き通った音が響いた。
「え……?」
振り返った私の目に飛び込んできたのは、奇妙な光景だった。
大きな大樹の根元に、淡いエメラルドグリーンに発光する、手のひらサイズの小さな女の子がぽつんと座り込んでいたのだ。
背中には、アゲハ蝶のような半透明の羽。
お兄ちゃんの冒険譚で何度も聞いたことがある。
この森の奥深くに棲むという、気まぐれで人間には決して姿を見せないはずの――『精霊』
「……きゅ、う……」
精霊の女の子は、小さな羽をきゅっと縮こまらせ、細い足を抱えて震えていた。
よく見ると、彼女の足元には、何かの魔獣に踏み荒らされてしまったのか、無惨に折れて枯れかけた一本の『木イチゴの苗』が転がっている。
――この苗を直してほしくて、私の前に出てきてくれたのかな……?
精霊の瞳には、人間への恐怖よりも、大切な植物を失うかもしれないという切実な悲しみが色濃く滲んでいた。
その必死な姿を見て、私の胸は放っておけなくなる。
私はそっと籠を置き、刺激しないようにゆっくりと地面に膝をついた。
「大丈夫だよ、怖がらないで。……ちょっと見せてね」
息を整え、指先をそっと折れた茎に近づける。
お兄ちゃんのような壮大な回復魔法は使えないけれど、植物に寄り添うことなら、私の生活魔法の得意分野だ。
――元気になって。また美味しい実を、たくさん実らせて……!
パチパチ、と優しく指先を鳴らす。
『生活魔法・植物活性』
じわじわと温かな緑の魔力が私の手から溢れ出し、枯れかけて茶色くなっていた苗を包み込んでいく。
すると、奇跡が起きるように茎の亀裂が綺麗に塞がり、しおれていた葉がシャキッと起き上がって、瑞々しい深緑色を取り戻した。
それどころか、一瞬にして小さな白い花までぽぽぽっと咲かせてみせたのだ。
「……きゅあ!」
精霊の女の子が、嬉しそうにパッと顔を輝かせた。
彼女は私の指先に飛び乗ると、小さな頭を私の爪にすりすりと擦り付け、お礼を言うように私の周りをシャラシャラと楽しそうに飛び回り始めた。
彼女の羽から落ちる光の粉が、まるで緑のワルツを踊っているかのように、周囲の空間を優しく彩っていく。
「ふふ、どういたしまして。元気になってよかったね」
「どこだーっ! ニナ! 俺の可愛い妹よーーーっ!!」
地響きのような大声が森の静寂をぶち破り、鳥たちが一斉に飛び立った。
その凄まじい覇気に驚いた精霊の女の子は、一瞬で光の粒となって、苗の陰へと隠れてしまう。
「あ、待って……! もう、お兄ちゃんったら!」
私が立ち上がると同時に、猛烈な勢いで草むらをかき分け、息を切らしたお兄ちゃんが突っ込んできた。
その手には、なぜか引き抜かれた大きな大根が握られている。
その凄まじい覇気と大根に驚いた精霊は、一瞬で光の粒となって、慌てて私のサイドにまとめた髪の毛の隙間へと滑り込んできた。
ちいさな手が私の耳の裏をきゅっと掴んでいるのが分かって、なんだか少しくすぐったい。
「ニナ! 無事か!? 朝起きたらお前がいなくて、もしや魔王軍の残党に誘拐されたのかと……っ!」
「お兄ちゃん、声が大きいよ! 私はただハーブを摘みに来ただけ。あと、お店の外では本名の『ニーナ』って呼んでって言ってるでしょ! 『ニナ』って呼ぶのは家の中だけ!」
「嫌だ! 幼い頃から俺がつけたお前だけの可愛いあだ名なんだから、俺は一生ニナと呼ぶ! それより本当に怪我はないか!?」
大真面目な顔で私の肩を掴み、ぐるぐると回して全身を点検し始めるお兄ちゃん。
その必死すぎる姿に、私は呆れつつも、やっぱりクスッと笑ってしまう。
お兄ちゃんが心配性なのは、それだけ私を大切に思ってくれている証拠だ。
「もう、大袈裟なんだから。ほら、見て。すごく綺麗なハーブと、元気になった木イチゴの苗だよ」
「おお、これは見事な苗だな……って、ニナ、髪の毛のところに何か……」
「あ、気づいちゃった? 私のことが気に入っちゃったみたいで」
私が優しく手招きすると、精霊は私の肩の上へぽんと飛び乗り、お兄ちゃんに向かって「きゅあ!」と小さく威嚇してみせた。
「……これは、精霊? 滅多に人に懐かないはずだが、さすが俺のニナだ。 よし、お前も今日から我が家の一員だ!」
「いつから私はお兄ちゃんのものになったの? さあ、ハーブも採れたし、お店に戻ってこの可愛い木イチゴを植え替えよ? お兄ちゃん、植木鉢の準備お願いね」
「任せておけ! 世界一水はけの良い最高級の鉢を用意しよう!」
ピンクのエプロンをつけたお兄ちゃんと、籠を抱えた私、そして私の肩の上でシャラランと嬉しそうに羽を揺らす小さな精霊。
賑やかな三人で、私たちは新緑のカフェへと歩き出す。
私たちの小さくて愛しいお店に、新しくて甘い季節を運んでくれる、特別なお友達が増えた朝だった。




