3話 サプライズは甘い香りに乗せて
翌日、空はどこまでも透き通っていて、絶好の『ケーキお披露目日和』だった。
午前中の静かな時間。
私は厨房で、昨日試作した『幻イチゴのショートケーキ』の、本番用を丁寧に仕上げていた。
お兄ちゃんが等間隔に、真剣な顔で並べてくれた真っ赤なイチゴの上から、調理魔法でほんの少しだけ『鮮度保持』の魔法をかける。
果実の表面が露を帯びたように艶やかに輝き、甘酸っぱい香りがふわりと厨房を満たした。
「よし、これで完璧!」
箱に綺麗に収め終えたのと、ほぼ同時だった。
カランコロン、と入り口のベルが軽やかな音を立てる。
「いらっしゃいませ!」
私が笑顔で厨房から顔を出すと、そこには約束通り、白い聖衣に身を包んだ聖女アルミナリア様が立っていた。
今日も相変わらず、凛としていて、それでいてどこかおっとりとした美しさを放っている。
「こんにちは、ニナさん。……ふふっ、とっても良い香りが森の中まで漂っていましたよ」
「アルミナリア様、お待ちしておりました! ご注文のケーキ、最高の出来栄えです!」
私がカウンターに箱を置くと、アルミナリア様は嬉しそうに目を細めた。
――と、その時。
店の奥で大人しくモップがけをしていたお兄ちゃんが、アルミナリア様の声に気づいてバッと振り返った。
「アルミナリア……!? なぜここに?」
目を見開き、モップを握ったまま固まるお兄ちゃん。
ピンクのフリルエプロン姿のままの英雄を見て、アルミナリア様は一瞬だけ驚いたようにパチクリと瞬きをしたが、すぐに上品に袖で口元を隠してクスクスと笑い出した。
「お久しぶりです、アレク。凱旋式のあと、挨拶もなしに故郷へ帰ってしまったと思ったら……まさか、そんなに可愛い格好で妹さんのお手伝いをしていたなんて。相変わらずですね」
「うっ、これには深いわけが……。それより、王都の神殿にいるはずじゃなかったのか?」
「ええ。ですが、今日はどうしても外せない用事があって、転移陣を使って急いで飛んできたのです」
アルミナリア様はカウンターの上のケーキの箱に愛おしげに手を添えると、真っ直ぐにお兄ちゃんを見つめた。
「アレク。あなたが王都を去る時、私に言ってくれた言葉を覚えていますか? 『俺はもう、誰かのために剣を振るうことはない。これからはただの兄として、静かに生きていく』と」
「ああ、覚えているさ。それが俺の本心だからな」
お兄ちゃんは少しだけ真面目な顔になり、静かに頷いた。
その瞳には、戦いから解放された安堵と、少しの寂しさが混ざっているようだった。
「残された私たちは、世界を救ってくれたあなたに、何かお礼がしたかった。けれど、富も名誉も欲しがらないあなたに、何を贈ればいいのかずっと悩んでいたんです」
アルミナリア様は一歩、お兄ちゃんへと近づく。
「そんな時、あなたが凱旋式の最中に何度も口にしていた言葉を思い出しました。――『故郷の妹が作るお菓子が、世界で一番美味くて優しい』と」
「え……? あ、いや、それは……」
急に自分の過去の発言を暴露され、お兄ちゃんの頬がみるみるうちに赤くなっていく。
「ですから、私から戦場しか知らない『貴方』へ、世界で一番甘くて、優しい第二の人生の門出の祝いを贈ります。受け取ってください、アレク。私と……そして、世界中の人々からの感謝を込めて」
アルミナリア様がそっと箱を開けると、そこには、昨日お兄ちゃん自身が必死になって生地を混ぜ、イチゴをスライスした、あの完璧なショートケーキが鎮座していた。
「え……? これは、俺が昨日、ニナと一緒に作った……」
「そうだよ、お兄ちゃん」
私はお兄ちゃんの横に並び、その大きな手をぎゅっと握りしめた。
「アルミナリア様から注文を受けた時、すぐに分かっちゃった。お兄ちゃんのためのケーキだって。お兄ちゃんが美味しいって食べてくれたあのケーキは、お兄ちゃんのこれからの新しい毎日のための、お祝いなんだよ」
「ニナ……アルミナリア……」
お兄ちゃんは呆然とケーキを見つめ、それから、自分の大きな掌で目元を覆った。
肩がかすかに震えている。
世界を救った最強の勇者は今、妹と戦友の優しさに包まれて、ぽろぽろと、静かに嬉し涙を流していた。
「……ずるいなぁ、二人とも。こんなの、世界一美味いに決まっているじゃないか」
泣き笑いのような顔でそう言ったお兄ちゃんの表情は、魔王を倒した時のどの瞬間よりも、最高に輝いて見えたのだった。




