2話 大切な貴方に送るいちごのケーキ
数日前――
『ケーキを作ってほしい、ですか?』
営業時間を終え、静まり返った店内で、私はカウンターの向こう側に立つ人物を見上げて小首をかしげていた。
そこには、長旅から帰ってきた勇者パーティーの1人、聖女アルミナリア様が立っていた。
けれど、その瞳は、どこか切実だった。
『はい。今度、一緒に戦ってきた……戦場しか知らないあのお方に、この世で一番甘くて、優しいものを贈りたいんです』
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥がじんわりと温かくなった。
アルミナリア様が誰のことを言っているのか、私には分かってしまったから。
戦いという過酷な日々を終えて、いま必死に「普通の日常」に戻ろうとしている、どこかの誰か。
『わかりました。でも、私のお店で注文して大丈夫でしょうか? 王都の有名な高級店でなくて、本当にここで……?』
思わずそう問い返した私に、アルミナリア様はふんわりと、だけど確かな意志の宿った笑みを浮かべて首を振った。
『ええ。あのお方がね、王都での凱旋式の間も、ずっと言っていたんです。「故郷の妹が作るお菓子が、世界で一番美味くて優しいんだ」って。だから、あのお方を心から救えるのは、ニナさん、あなたの作るおやつだけなんです』
その言葉に、私は驚きで目を見張ると同時に、なんだか無性にくすぐったくて、胸がいっぱいになってしまった。
お兄ちゃん、王都の偉い人たちの前で私の自慢ばっかりしてたんだ……
でも、それなら絶対に期待に応えなくちゃ。
世界を救った不器用な英雄のために、とびきりのケーキを作ろう。
『――はい! 腕によりをかけて、特別なケーキを用意しておきますね』
そう約束を交わしたのが、数日前の夜のこと。
そして現在――
***
「お兄ちゃん、そこはもっと優しく! 魔法の力じゃなくて、自分の手の感覚で混ぜるの!」
私の声が、小麦粉の甘い香りが舞う厨房に響く。
世界を救った最強の勇者アレクは今、伝説の聖剣をまな板の横にぽつんと置き、必死の形相でボウルと泡立て器を握りしめていた。
大魔王と対峙した時だって、こんなに悲壮感のある顔はしていなかったはずだ。
額にはじっとりと汗まで浮かんでいる。
「難しいなぁ……魔力を極限まで抑えているつもりなんだが、どうしても卵白が弾け飛んでしまう。ドラゴンを素手で引き裂くより力加減が繊細すぎる……!」
「当たり前でしょ。お菓子作りは目分量駄目だからね? ほら、貸して。私が魔法で少し手伝うから」
私はお兄ちゃんの手元にそっと指先を向け、小さくパチリと音を立てる。
『調理魔法・温度最適化』
ボウルの中の温度を、メレンゲが最も美しく、きめ細やかに泡立つ完璧な状態へと固定する。
すると、それまで分離しかけていた卵白が、まるで意思を持ったかのようにみるみるうちにツヤを帯び、真っ白でふんわりとした理想的な山を作り上げた。
「すごいね、ニナは! 俺の戦闘魔法とは真逆だ。ニナの魔法は、いつも何かを新しく生み出して、人を笑顔にする」
お兄ちゃんは、自分の大きな掌を見つめながら、しみじみと呟いた。
その手には、幾多の戦いを潜り抜けてきた証である、無数の固いタコや小さな傷跡が刻まれている。
世界を救うために、ずっと血と泥にまみれて戦ってきた手だ。
その手が今、妹のわがままに付き合って、甘いケーキの生地を一生懸命に混ぜようとしてくれている。
私は胸の奥が少しだけきゅっとなって、それから、お兄ちゃんに余計な心配をかけないように、いつものように意地悪く笑ってみせた。
「ふふん、私の魔法を甘く見ないでね。さあ、次はさっきお兄ちゃんが買ってきてくれた『幻のイチゴ』を飾るよ。……あ、聖剣は使っちゃダメだからね?」
「わ、わかってるよ。さすがにニナに二度も怒られるほど、俺は愚かではないからね。」
お兄ちゃんは、私の家庭用の小さなペティナイフを、まるで壊れ物を扱うかのように指先で慎重に握った。
朝露を弾く真っ赤なイチゴに刃を当てる。
世界最強の集中力が、たった一粒の果実に注がれる。
サクッ、サクッ。
驚くほど綺麗に、均等な厚さでスライスされたイチゴが、白いお皿の上に並んでいく。
戦闘技術を調理に応用するなんて、本当にこの兄はどこかズレているけれど、その器用さには素直に感心してしまう。
「よし、じゃあ仕上げだね」
焼き上がったスポンジ生地に、私が魔法で究極に滑らかに仕立てた生クリームを塗り、お兄ちゃんが等間隔にイチゴを敷き詰めていく。
最後に、仕上げの粉砂糖をふわりと雪のように降らせれば、第一号の『幻イチゴのショートケーキ』の完成だ。
「できた……! 完璧な仕上がりだね、ニナ!」
「うん、美味しそう! 早速、二人で試食してみよっか」
私たちはカウンターの席に並んで座り、切り分けたケーキをフォークですくった。
一口、口に入れた瞬間。
イチゴの鮮烈な甘酸っぱさと、生クリームのコク、配置にこだわったからこそ生まれるスポンジのしっとりとした食感が、お互いを引き立て合うようにして口いっぱいに広がった。
「うん……! 美味しい! 身体の芯から幸せが湧き上がってくるようだ……!」
「本当……! 想像以上の出来栄えかも。イチゴの酸味がクリームとぴったり!」
お兄ちゃんは、子どものように目を輝かせて、大きな口でケーキを頬張っている。
その幸せそうな顔を見て、私は心の底から満たされるのを感じていた。
自分の為のケーキだと知らずに、こんなに喜んで食べているお兄ちゃんを見て、私はちょっとだけ可笑しくなってしまう。
アルミナリア様が取りに来る当日の、お兄ちゃんのびっくりする顔が今から楽しみだ。
私はもう一口、ケーキを口に運んだ。
「よし! このケーキを明日の看板メニューにしよう。お兄ちゃん、明日も朝から手伝ってくれる?」
「もちろんだよ。明日は店の前の路地をピカピカに掃除しておこう!」
「うん、よろしくね」
カランコロン、と外の風がドアのベルを小さく鳴らした。
窓の向こうには、穏やかな夕暮れの街並みが広がっている。
私たちの愛しい日常のページは、明日もまた、甘い香りと一緒にめくられていく




