第7章 ダイヤモンドリリー
多くの人が手に取り、繰り返し読まれる図書館の本。紙で出来た本はどうしても傷んでくる。そんなときは修繕をしなければいけない。
私はこの作業が割と好きだった。
抜け落ちた箇所を確認するため、ぱらぱらとページをめくっていた手をふと止めた。
植物の図鑑。
様々な花の絵が描かれている、その中のひとつ。
細長い花弁。その縁はゆるく波打ち、外側に向かってくるりと優雅な曲線を描く。
いくつもの小さな花が集まり、淡い色の手毬のような姿を形作っている。
――私はこの花を知っている。
『ダイヤモンドリリー』
華やかだけれど繊細な印象を与え、花びらに光が落ちるとキラキラと輝きを放つ。名前といい、見た目といい、まるで物語の中に出てくるようなその姿。宝石を散りばめたように輝く美しいあの花は、夢特有の、幻の花ではなかったのか。夢に現れる見知らぬ花が、確かに現実に存在するという事実。そこに得体のしれぬ薄気味悪さを覚え、心がひやりとした。
――低く、優しい声が聞こえる。
わたくしは感激に打ち震えている。
思い描いては諦めていた。
あんなにも渇望していた願いがいま、花束と共に差し出されている。
――だめよ。不誠実だわ! 受け取ってはだめ……!
――だってわたくしは……!
わたくしは……?
その後に何を思ったの……?
不意に目の前で浮かんだ情景に、しばし茫然とする。
「白昼夢……?」
手は完全に止まり、口はぽかんと空いたまま、もはや何も見えぬ空間を視線がうろうろと彷徨った。
我に返った後も、よほど呆けていたのだろう。何もない床につまずいて抱えていた本をばら撒いてしまった。
「ああ! 大事な本が……!」
慌てて屈んだその横で、お手伝いしますと一緒に拾い集めてくれるほっそりとした女性の手が見えた。
「あっ、ありがとうございます!」
拾った本を抱えて立ち上がる。
そこにはダークブロンドの髪をきっちりとアップにした、都会的な女性が居た。
――わあ、綺麗な人……
アッシュグレーの意志の強そうな瞳が、知的な雰囲気を醸し出している。ほぅと見惚れてしまった私に、心配そうな表情で本を差し出す。
「はい、どうぞ。お怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫です! すみません……」
恥ずかしくなって俯き、本を受け取る。お礼を言って戻ろうと振り返ると、「あ、待って」と呼び止められた。
「ちょっと失礼。服が乱れてしまってるわ。……はい、これで大丈夫よ」
私よりもやや背が高いその女性は、肩からずり落ちていたカーディガンをさっと直し、柔和な笑顔を見せた。
「かっ、重ね重ねすみません! ありがとうございます……」
顔を真っ赤にした私に、気をつけてねと声をかけて去ってゆく。
「綺麗な人だったなあ……しかも優しいし」
そのまま後ろ姿を見つめていて、あれと思った。あの女性がキャレルに座っている男性に声を掛けている。黒のフロックコートに後ろで括った長い髪。
――ベルナールさんだ。
何か言葉を交わし、ベルナールさんが立ち上がる。テーブルに積んでいた本を手分けして抱え、ふたり連れ立って歩いていった。
知り合いだったんだ。
並んで歩く長身のふたりは人はとても絵になるな。そんなことを考えて、ぼんやりと見送る。
不思議と後ろ姿から目が離せない。
なぜだか胸の奥がざわりとした。
けれどその意味は、分からなかった。




