第5章 降り積もる記憶
長い時間、窓の外を見ている。
はらはらと舞う粉雪が冬の到来を告げる。
ただひたすらに、祈る。
強く、切実に、願う。
お願いします。どうか――
自分が、自分を、ひどく責めていた。
*****
今朝はやけに冷えていた。
近づいた春が嘘のように姿を隠し、未練を残した冬がこぼす名残り雪のように、見知らぬ感情が心にほろほろと降り続く。
あの夢の中で、一体、何をそんなに願っていたのか。夢の中の強い想いが、私自身をじわじわと侵食する。
「ミレイユ?」
心配の色をのせた声に、どきりとして我に返る。楽しみにしていたカフェでのデートなのに、うわの空だったのが申し訳ない。膝の上でこわばっていた私の手に、並んでソファーに座っているトビアスが優しく手を重ねてくれた。
「どうしたの? 最近様子が変だよ?」
「ごめんなさい、なんでもないの……大丈夫よ」
「なに言ってるんだよ、全然大丈夫そうじゃないよ。何か気になることがあるんじゃないの?」
相談に乗るから話してみてよ、と穏やかに問い掛けられたが、毎日見る夢に悩まされているなんて子供っぽい悩みが恥ずかしい。辛抱強く話し出すのを待っていてくれる彼に後ろめたさを感じ、知らず知らずのうちにうなだれる。
「ほら、一度これを飲んで落ち着いて」
紅茶のティーカップをそばに寄せてくれた。勧められるままに、こくりと喉に流し込み、すっきりした柑橘系の香りを感じて瞼を閉じる。深く息を吐く私の耳に、自信なさげなトビアスの声がぽそりと届いた。
「……もしかして、俺と居るのが嫌になった?」
思ってもいないことを聞かれ、弾かれたように顔を上げて勢いよく首を振る。
「それとも誰か好きなやつができたとか? 別れ話を切り出そうとしてたとか?」
そう言って唇を噛むトビアスに、違うの、そういうのじゃないのと慌てて否定した。ティーカップをテーブルに戻し、焦っておろおろと言い訳を探す。
「あの、自分でもよく分からないの。意味のわからない気持ちに押しつぶされそうっていうか……」
これだとなおさら誤解されそうだと、私は頭を抱えてついに観念した。
「最近、夢見が悪いのよ。……すごく余韻の残る夢でね、それに引きずられているのかもしれないわ」
「夢? どんな夢なのか聞いても?」
私は視線を泳がせ、たじろいだ。一番良く見るのは愛の告白のような場面だ。けれどそれをトビアスに話すのは気が引ける。だからといって今日の夢は何かを祈るばかりで意味が分からない。
「ええと、人物とかはあやふやなのよね。花に囲まれていたりして、綺麗な情景は覚えているの。だけど、夢の中ではすっごく何かを後悔しているの。……そう、何か……何か大事なことを言わなきゃいけないはずなのに、出来なくて苦しんでるっていうか……」
「綺麗なのに、苦しい夢なの?」
「そうなの。胸が痛くて涙が出そうになったり、何かを強く願って心が軋んだり……でもどうしてそんな感情に襲われているのか、自分でもよく分からないのよ」
トビアスは、私の目をじっと覗き込む。
「……ねえ、俺との関係を悩んだりしてる? それとも仕事だとか、ほかの、別のなにかとか」
私は安心させるように、口角を上げてみせた。
「ううん、深刻な悩みは抱えてないわ。大丈夫よ」
しかしトビアスはいつもの柔和な笑みを消していて、その表情には男っぽい無骨な硬さが垣間見える。やがて、彼はおもむろに口を開く。
「ミレイユ、俺はきみとの将来は真剣に考えている。こんな時に言うのは雰囲気がなくて嫌かもしれないけれど、俺はきみが大切なんだ。きみを放っておけない。絶対に、失いたくないんだ」
予期せぬ告白を受けて、熱い血が一気に首筋から頬へと駆け上がるのを感じた。心臓がせわしなく音を立てて飛び跳ねる。
「ねえ、ミレイユ。俺はきみの笑顔が見られるなら何だってするし、きみが苦しんでいるなら一緒に苦しんで、きみの痛みが少しでも和らぐように努力を惜しまない」
驚きと緊張で冷たく震えた手が、再びトビアスの両手に力強く握られた。
「きみと一緒に、未来を歩きたい。だから、辛いと思ったことを、ひとりで抱え込まないでほしい」
ふわふわとした甘い綿あめに包まれた気分だった。彼の真摯な色を帯びた瞳を、私は歓喜のままに受け入れた。
「ありがとう、トビアス。私も、あなたと一緒に未来を歩いていきたい」
愛する人が未来を約束してくれる心地よさにとっぷりと浸る。私もこの人を失いたくない。ずっと一緒にいたい。
今度は間違えたくない。
――今度は……?




