第32章 境界
オレリア王女の最期を夢に見てから2日が経つ。私は何度も夢の情景を思い返していた。あの時も、あの情景も。王女様が胸に秘めた言葉と願いは、私の中でひたすらに存在感を主張する。私とは別の、もうひとりが生きた人生。その記憶。いま私が抱えるこの感情は、いったい誰のものなのだろうか。
仕事を終えて公園の遊歩道を力なく歩いていたそこに、見慣れた人影を見つけた。
今日は約束の日では無いのに、彼は背中を丸めてベンチに座っていた。
そこに居るのは確かに彼のはずなのに、私の目には別の人物が映っていた。だから、そう呼んでしまったのだ。
ローデリク、と。
びくりと彼が振り返る。
「あ……違う。ごめんなさい、ベルナールさん」
何を言っているのだ、私は。
「いえ、分かる気がします。実を言うと僕もミレイユさんに王女の姿が重なる時があったのです。……自分の中に他人が居る気分です。どこまでが自我なのか、日に日に曖昧になっていく」
彼は頼りないため息をついた。
「……1度目の白昼夢は僕だけが見たという話を覚えていますか」
私は頷いた。初めて会った時の、本を手渡した時の話だ。
「あの時以来の、同じ場面を夢に見ました。あの時は視界が曇り、強いひとつの感情だけが流れ込んできたので、その時の僕には理解不能だったのです。けれど、いまは感情の意味が分かった。そして理解しました。なぜ僕だけが白昼夢を見たのかを」
「……それは、なぜですか」
彼は口元を歪めて吐き出すように言った。
「あの夢の時、王女はもう生きていなかったからです」
その時、彼女の視点は存在しない。だから――
彼の悲壮な表情は、王女様を失ったローデリクのものに思えた。信頼を得られていなかったという先日の嘆きを否定したくて、私は前のめりに話し出した。
「あの、私……私、王女様の最期を夢に見ました」
「さいご……」
「王女様は、ローデリクを信頼していなかったわけじゃないです。彼を愛していました。彼には笑顔でいてほしかった。病を打ち明けることで、あなたが思い悩むのを見たくなかったんです!」
――オレリアは彼を苦しめたかったわけじゃない。
「何も伝えずにローデリクを遺して死ぬことを謝っていました! 病気のことを黙っていたから、裏切られたと思うんじゃないかって後悔していて!」
「裏切られたなど……そんなこと思うわけがありません。彼女の体調の悪さに気がつけなかった愚かさに、あの男は自分を殴りつけたいくらいでした」
彼は顔を手で覆い、後悔の言葉を繰り返す。
「彼はオレリアのそばに居れば良かったんです。彼女を置いて遠征なんぞに行ったのが間違いだった」
――違う。違う。
「生涯をお守りすると誓ったのに。そばに居ればできたこともあったはずなのに。それなのに幸せにするどころか、ひとりで逝かせるなど……」
――あなたは悪くない。
「ローデリクはすべきことをしたんです! オレリアはその足を引っ張りたくなかった。立派な騎士の一生を、ひとりの女のお守りで終わらせたくなかった!」
感情が抑えられない。
言葉が私の意思を飛び越えていく。
「あなたの愛を受けてこの上なく幸せだった。あなたと一緒になるという夢を見せてくれた。それは長く生きられないと知ったわたくしが手放したはずの、甘美な夢だったのですから!」
勢いに任せて放った、その言葉。
耳の奥で蘇る、残酷な宣告。
幼い自分は扉越しに聞いてしまったのだ。それを。
――手立てがありません。王女殿下は長くは生きられないでしょう――
「オレリア……?」
私はその声ではっと我に返る。目の前の彼は顔から手を離し、そこに現れた瞳は驚愕で大きく見開かれていた。
「私……私は……」
「長くは生きられないというのは本当ですか? オレリアはそれを知っていたのですか?」
呆然としたまま、その問いに頷く。
「彼女は不治の病を患っていました……誰にも、どうしようもなかったの……」
「そんな……オレリア……」
オレリア……?
その名前は、ひどく遠くから聞こえる。
思考は曇り、水の中を潜るような朦朧とする脳内に、突如鮮明な声が響いた。
――夢の中には迎えに行けない。俺のところに、ちゃんと戻ってきてくれよ――
トビアス。
その瞬間、思わず叫んだ。
「わたしは、私は、オレリアじゃない!!!」




