第31章 帰還
――このダイヤモンドリリーが散る前に、必ず私はここに戻ると誓います。
想い人に誓いの言葉を贈り、王宮に残してきた。
あの花は日持ちがよく、一ヶ月はその姿を保つ。それまでには、絶対に決着をつけねばならない。
馬上で寒さを防ぐ口当てを外すと、白い息が視界を横切る。冷たく乾いた風に長く当てられた目元の肌は、ピリリと軽い悲鳴を上げていた。
粉雪がちらつくその向こうに黒々とした砦が姿を現す。国境警備隊と合流し、しつこく粘る賊軍を鎮圧するのが俺の任務だ。ようやく合意まで漕ぎ着けた講和を台無しにされてたまるものか。これが終われば平和な時代が訪れるはずだ。国を守ることが、ひいては愛する人を守ることになる。そう信じて、ここまで来た。
これが最後の仕上げだ。
俺は気合いを入れ直し、愛馬の手綱を握りしめた。
***
目算通り3週間でカタをつけ、我々は堂々と王都へ帰還した。大通りでは大衆が歓喜の歓声を上げて出迎える。王宮へ向かう足取りは軽かった。格式張った謁見の儀式は面倒だが、これが終われば彼女に会いに行ける。浮き足立つ気持ちを押さえつけて臨んだ謁見の間で、俺は奇妙な感覚に首を傾げた。
普段と変わらぬ儀式のはずだが、陛下の視線に違和感がある。何だろう。俺は何かをやらかしたのか。
原因が分からず落ち着かぬまま、しかしつつがなく儀式が終わるやいなや、王太子殿下が俺を呼んだ。
「お呼びでしょうか」
王太子殿下の執務室では人払いがされ、レオンハルトひとりしか居なかった。
「お帰り、ローデリク」
先ほどの陛下といい、なぜそんな目で俺を見るのか。
外向きの穏やかな笑みの仮面を脱いだ、無表情のレオンハルトがソファに深く座ってこちらを見ている。
「帰って早々に悪いんだけどね、ローデリク。おまえに言わなければいけないことがある」
何を言われるのか皆目見当がつかず、背筋を伸ばしたまま次の言葉を待つ。
「ねえ、ローデリク。私のかわいいオレリアは死んだよ」
呼吸が止まる。
ざあと音を立てて血の気が引く。
「な、にを……」
冗談にしたってタチが悪すぎる。
こいつは何を言っているのか。
「おまえが遠征に出て2週間後くらいかな。オレリアが倒れたんだ。おまえを呼び戻すと言ったが、知らせないでほしいと頼まれた。おまえを動揺させたくないと。……その2日後に、息を引き取った」
「うそ、だ……嘘だろう? なぜそんな嘘を……」
声が震える。耳に届くそれは自分の声とは思えない。レオンハルトは硬い表情で首を振る。
「なんで……どうして……」
「本当はおまえが帰るのを待ちたかったけどね、葬儀はもう済ませたよ」
耐えきれず俺は執務室を飛び出した。無我夢中で王宮の奥へと走る。途中で何かにぶつかったが構っていられない。
そこに居るはずだ。
いつもの笑顔で迎えてくれるはずだ。
ノックもせずに俺は彼女の部屋に飛び込んだ。
「オレリア! オレリア!!!」
暖炉に火は無く、ランプの灯りもない。
底冷えのする空気が重々しく纏わりつく。
彼女の部屋のどこにも、オレリアの姿は無かった。
嘘だ……これはひどい悪夢をみているんだ……目を覚ませば、そうすれば……
亡霊のように彼女の部屋をふらふらと彷徨う。
ふと薄暗い部屋にきらりと光るものが視界に映る。
窓辺のそこにあるのは、ダイヤモンドリリー。
その花だけはあの時のまま、変わらぬ輝きを放っていた。
「オレリア……どうして……」
俺は仄かに光るその花へと腕を伸ばし、震える手でくしゃりと握り締めた。
微かな光がはらはらと滑り落ちる。
視界が歪み、耳鳴りがする。
臓腑がもんどり打ってえずくのを俺は必死に堪えていた。
すぐに戻ると言ったじゃないか。
きみは待っていると言ったじゃないか。
国を守ったとて、オレリアが居ないのなら意味がないではないか。
病弱な彼女の側についていればよかった。
出立する時には体調を崩していたのではないのか?
俺はそれに気が付かなかったのではないか?
最期に何を思い、何を言ったのだろうか。
彼女は苦しんだのだろうか。
俺を、呼んだのだろうか。
オレリアを愛していた。
ずっと昔から、彼女しか見えなかった。
生涯をかけて守ると誓った。
なのに、ひとりで逝かせてしまった。
戦地になど行かなければ……
せめてもっと早く戻っていれば……
オレリア……
*****
夢から覚めたロアンは再びゆっくりと瞼を閉じ、ひとつの光景を思い返した。
誰もいない薄暗い部屋。
そして窓辺でひそやかに輝いていたダイヤモンドリリーを。




