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第30章 ただひとつの願い

 窓際に飾ったダイヤモンドリリーが、朝日を浴びてキラキラと輝いている。愛する人から贈られた愛しい花。わたくしは指先で美しい花弁の縁をそっと撫でた。


「美しく上品な輝きを放つこの花は、貴女に相応しい」

 

 そう言って側に立つローデリクが、まるでガラス細工を抱くようにわたくしを抱きしめ、耳元に口を寄せる。


「私の生涯を賭けてお守りすると誓う。貴女は私の全てだ。――オレリア」


 名前を呼ぶ彼の低い声が心の隅々まで共鳴し、わたくしはその心地良さにうっとりと瞳を閉じる。

 このまま時が止まってしまえばいい。しかしそんな愚かな望みは、すぐさま儚く掻き消えた。

 遠くで鐘が低く鳴り、ローデリクの表情から笑みが消える。

 

 ――大聖堂の鐘の音は、戦争の始まりを告げる合図。


「私は行かねばなりませんが、これが最後の遠征になるでしょう。そう時間はかけませんので安心してください」

「けっして、無理はなさらないでください。あなたに何かあれば、わたくしは耐えられません」

「それは私もです、オレリア。このダイヤモンドリリーが散る前に、必ず私はここに戻ると誓います」


 お帰りをお待ちしておりますと彼に告げ、わたくしは離れ難いその身体の温もりを、手放した。


 

 窓のガラスに手のひらを当て、その冷たさに外の寒さを想う。吹き荒ぶ風に操られた細かな雪が、国境に向かうその一団に纏わりつく。

 どうか、どうかご無事でお帰りになりますようにと、わたくしは風に翻る総騎士団長の真紅のマントを見つめ、強く祈った。


 

 ***


 

 幼い頃から馴染みのある胸の強い痛み。

 胸を掻きむしりたくなる息苦しさ。

 最近は落ち着いていたのに――


「オレリア!」


 泣きそうな顔をしたお兄様が手を握っていた。

 大丈夫、わたくしはまだ生きている。

 だからあの人には伝えないで。

 お帰りなさいと笑顔で出迎えるのだから。

 あの人の邪魔などしたくないから。


 そう、思っていたけれど…………

 


 お父様とお母様がおつらい表情をなさっている。

 お兄様がわたくしの名を呼んでいる。

 セシリアが、泣いている。


 ローデリクは……

 ローデリクはどこ……



 ――わたくしは、欲張ってしまったのだ。

 

 諦めていたはずの幸せな夢を。

 心の奥底で渇望していた未来を。

 欲望に負けて手を伸ばしてしまった、わたくしの大きな過ち。


 どこからやり直せば良かったろう。

 あの夜、コンサバトリーへの誘いを断れば?

 彼を目で追わず、冷たくあしらえばよかった?

 そもそもあの人に出会わなければ、そうすれば……


 彼がそれを知ればどうなるかは分かっていた。何もかもを手放して、全てをわたくしのために捧げてしまうことなど分かりきっていた。

 将来を嘱望される逸材を、わたくしが奪うわけにはいかないと、だから今までそれを告げることはしなかったのに。


 

 誰よりも愛していた。

 誰よりも幸せになってほしかった。

 隣にいるのが、わたくしでなくてもいいから。


 お待ちしていますという言葉は守れそうになかった。

 何も告げずひとり残してしまう罪悪感に心が痛む。

 彼は嘆き悲しむだろうか。

 裏切られたと怒るだろうか。

 

 黙ったままいなくなるわたくしを許さなくていい。

 わたくしのことなど忘れて穏やかな日々を過ごしてほしい。


 ローデリクの不器用な笑顔を見ることだけが、わたくしの心からの願いだったのだ。


 

 ――だからお願い、ローデリク。

 

 ――どうか、あなたは幸せになって。


 


 *****



 

 その日、ベッドで夢から覚めたミレイユは、涙に濡れた瞳を開けた。


「オレリア、あなたはそんな願い方しか、できなかったのね……」


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