第18章 託した言葉
ベルナールさんの前から逃げ帰った日から3週間が経ったが、図書館で彼の姿を見ることは一度もなかった。
彼も同じ状況であったことに気がついた私は少し落ち着きを取り戻し、なるべく夜は眠るように努めていた。それは、夢の中に解決の手掛かりがあるのではないかと考えたからだった。
最初はつらい感情しかもたらさなかった夢だったが、何度か見るうちに平穏であったり幸せな情景を見ることもできた。
――そう、今日の夢は随分と幼い頃の夢だった。
青いネモフィラが咲き乱れる広い庭園。
木陰に敷かれた厚い敷布の上に座る幼い少女が、お兄様と無邪気に笑い合っている。
そして側にはもうひとり、あまり表情の変わらない黒髪の男の子が控えめに立っている。
「ローデリク、少し屈んでちょうだい」
少女が振り返って男の子を呼び寄せ、その頭に小さな手で青い花の冠を載せてくすくすと楽しそうに笑う。
ローデリクは少し困った顔をしていたが、嫌がりもせず少女にぴたりと付き添っていた――
「あの口数の少ない男の子がローデリクか……騎士様と王女様が出てくる物語って山ほどあるけれど、あんな内容の本はあったかしら?」
ベルナールさんと同じ夢を見る理由は分からないが、私はどこかで読んだ物のひとつを見ているのかと考えていた。王女様と幼馴染の騎士。物語ならふたりを邪魔する敵がいたりして、困難を乗り越えて最後はハッピーエンド。
けれど……もしかしてこの夢は悲劇の物語なのかもしれないという一抹の不安がよぎる。最初に見た夢の、あの胸の痛みの理由がまだ分からないのだ。
「おはようございます」
朝の図書館に足を踏み入れ、同僚に挨拶をして館内を見回した。今日こそは彼が来てくれるかと、淡い期待を抱いて。
*****
私は来館したある人物を凝視した。
あの女性には見覚えがある。ダークブロンドの髪をきりりとアップスタイルにしている、背の高い都会的な女性。ベルナールさんと一緒にいたのを一度だけ見たのだ。あの人なら、彼に伝言を頼むこともできるのではないか。そんな願いを伝えるべく、私はドキドキしながら後ろ姿を追いかける。
「あの、突然お声がけしてすみません。少しお話しさせていただいても?」
緊張し、震える声にその人は振り向いた。
「……私?」
アッシュグレーの瞳を持つ、才女という雰囲気の彼女に気後れしてどぎまぎする。
「はい、あの、間違ってたらすみません。えっとロアン・ベルナールさんという方とお知り合いではないかと思って……」
彼女は表情を変えず首を傾げている。
「あの、以前に私が転んでばら撒いた本を拾う手助けをしていただいたと思うんです。その後、ベルナールさんと一緒にいらしたのをお見かけして……ち、違いましたか……?」
ああ、とその女性は思い当たったようだ。
「思い出したわ。あの時の司書さんね」
人違いでは無かったようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「良かった。私、ベルナールさんに会いたいんですけど最近いらっしゃらないので……あの、お話ししたいことがあるので伝言をお願いできないかなと……」
話しながらこれってもしかして誤解をさせてしまうのでは? と気がつき、ぶわりと汗が吹き出す。
「あっいえ、その、変な意味ではなく! えっと詳しくは話せないのですが! ええと、その……」
この女性と彼との関係がどういうものなのかも分からず、当然夢の話などができるはずもなく、頭が真っ白になり、わたわたと言葉を探す。耳を傾ける彼女は嫣然とした余裕のある表情を浮かべており、私は恥ずかしさに耐えきれず下を向いた。
「ふふっ。大丈夫よ」
その言葉におずおずと見上げると、興味深そうにこちらを見ていた瞳と目が合った。
「ロアンと話がしたいのね。お名前を伺ってもいいかしら? 私はリディアよ」
「あ、私、ミレイユと言います」
「ミレイユさんね。ロアンに近いうちにここに来るよう伝えるから安心して?」
「あっ、ありがとうございます!」
リディアと名乗った女性は優雅な微笑みを浮かべ、じゃあねとその場を去っていく。
綺麗な人の微笑みは迫力があるわ……
彼女の姿が見えなくなるまで見送り、私はようやく詰めていた息を吐き出した。




