第16章 夢の記録
ロアンはクローゼットの書類の山から目的のものを引っ張り出す。資料を束ねたファイルと詳細な記録のノート。それは以前、自分の夢を論文にしようとしたリディアが溜め込んだ調査資料だった。自分の中での『夢』は自身を悩ませる不快な現象でしかなかったから、彼女の聴き取りにもあまり真剣に答えてこなかったが――
テーブルに資料を広げて睨んでいると、リディアがやって来て目を丸くした。
「あら、とうとう論文を出す決心を?」
「……違う。少し真面目に検証してみようと思っただけだ」
「なら手伝うわ。これは私が集めた資料だもの」
うきうきと椅子を引きずり対面に陣取る彼女を見て、口をへの字に曲げる。
「こっちはあなたの日常と夢に関係性があるか記録した資料なのよね。そしてこれは気象状況を記したもの。それでこれが……」
こうなった彼女はもはや自分には止められない。長く息を吐き出して腹を括り、その資料に無いもの――意図的に明かさなかった日常の情景を追加していった。
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「こうやって書き出してみると、あなたに強烈な感情を与える夢は何度も見るようね。あとは夢と現実の何かが一致する日もそう。例えば雪の日ね」
「ああ……」
それに同意し、渋い顔をしてコーヒーを啜った。
「何かおかしいわよね。こんなに整合性のある夢を長年見るものかしら」
彼女は神妙に呟き、そして真剣な眼差しで訴える。
「ねえロアン……これは願望だとか無意識の深層心理だとか、そういう類とは全く違うと、あなたは確信しているのではなくて?」
これらの事象から導き出されるものは何か。
見えそうな結論に当然の如く浮かぶ疑問と戸惑い。
「しかし仮説を立てるにしても決め手がない」
そう言って眼鏡を外し、眉間を押さえて唸る。
「……あなたが最近、様子がおかしくなった原因を聞いても?」
いつかまた聞かれるだろうと想定していた質問。
眼鏡をかけ直して咳払いをし、小さく呟く。
「……白昼夢を見たんだ」
「白昼夢?」
詳しく、と彼女が促す。
「……つまり、起きているのに夢の情景が見えた」
「…………」
「一度目は僕だけが。二度目は相手も同じものを見た」
「2回もあったの……? いえ、待って。相手というのは?」
「……ある人物に手が触れた。……そうしたら見えたんだ」
「はっ? 手? 手が触れたら見えたですって?」
素っ頓狂な声でどういうこと? と聞き返すリディアに、こっちが知りたい。とぶっきらぼうに答えた。
「ちょっと、それ本当に? 回答を誘導したとかではなく?」
色めき立つリディアに無言で頷く。二度目は誤解されかけたが。
「二度目は僕も信じられなかったんだ。検証したくてお願いして……同意が得られて別の日にふたたび、手に触れてもらった」
「……そして互いに同じものが見えたのを確認したってこと?」
唖然として聞き返す彼女に、しっかりと頷いてみせた。
ふたりの間に、しばし静寂の時間が流れる。
やがて気を取り直した彼女が慎重に口を開く。
「つまり、また触れれば再現できる可能性があるのね」
「そういうことになる」
カッと鋭い目つきで彼女が乗り出してきた。
「この際だもの、その人に協力をお願いしましょうよ! きっと、もっと何かが分かる気がするわ」
「……いやそれが……それはもう難しいかもしれない」
「……何かやらかしたの?」
ぐう、と唸り顔を背けた。リディアの目が据わっている。
「……同じものを見たという確認作業の時に、説明しすぎて……その、怖がらせた……」
「…………」
「あれは失敗だった。分かってほしくて、焦ってやりすぎてしまったんだ」
無言の圧に耐えかねて、身を縮めて言い募る。
「怖がらせたというと、相手は女性?」
しかたない人ねという表情で確認してくる彼女に頭が上がらない。
「それはもう、どうしようもないわね。残念だけど、諦めましょう。あなたも会いに行くのは辞めた方がいいわ」
「しかし、謝った方がいいのでは……」
「会おうとしても逃げられるだけよ。とにかく時間は置かなきゃ。気持ちが落ち着いたら会ってくれるかも、そのくらいの期待値ね」
その言葉にやはりそうかと項垂れる。それを横目にリディアはノートに今聞いたことを記録しようとペンを動かす。
「ねえ、白昼夢で見た光景って、どういうものだったの?」
彼女の何気ない質問。
一瞬のうちに、初めて司書の指先が触れた時の情景が脳裏になだれ込む。
「それ、は……」
聞かれることは想定していた。
しかし、それだけは言えないと身構えてもいた。
何故か。
あの情景だけでは理解できなかったからだ。
いや、違う。深層心理が理解を拒否した。
だから、よく分からないままに感情だけが襲ってきたのだ。
――どうして……!
血潮が逆流する。
呼吸ができない。
喉元を締め付けられたように必死に喘ぐ。
真っ逆さまに暗い底なしの沼へと引きずり込まれる――
異変を感じたリディアが慌てて飛んできた。
大丈夫、言わなくていい。大丈夫。そう言って背をさする細い手。彼女が纏ういつものヴァーベナの香りを感じ取り、溺れた人間が縋り付くように抱きついた。
リディアの香りを吸い込むうち、徐々に平静を取り戻して身体の力が抜けていく。彼女は柔らかな手を背中に回したまま、何も言わずにいてくれた。
彼女を抱きしめていながら、少しの後ろめたさを感じてもいた。あとひとつ、明かしていないことがある。
ダイヤモンドリリーの花束。
あの夜のことだけは、どうしてもリディアに話すことができなかった。




