第11章 茜色の帰路
帰りがあまり遅くなっても良くない。人の名前だとか、新たな場面を見たとか、細かいことでも構わないので今後なにか判明したことがあれば教えてほしい。司書のミレイユさんにそう伝えて、その場は解散した。
研究室に戻るため足早に歩を進める。
いつもは電車を使うが、混乱した思考を整理するには歩く方がいい。
琥珀色の瞳の男性。
跪いて差し出す花束。
光を受けて輝くダイヤモンドリリー。
彼女が見たというそれは、あの日の夜――
脳裏に蘇る、ゆるく波打つプラチナブロンド。
自分を見つめる瞳は深い海のような青。
偶然なんかでは説明がつかない。
だが、それ以上の結論を出すには材料が足りない。
緩やかに足を止めて空を仰ぐ。
春先の夕暮れ。
まだ僅かに残る茜色が見える。
息を吐いて軽く首を振り、再び足を動かした。
*****
研究室の横に用意されているプライベートルーム。フロックコートのボタンを外し、襟元を緩めて重い身体をソファに深く沈める。
あの司書に触れると浮かぶ光景。
それは夢で見るよりもよほど鮮明だった。
そもそも、彼女を初めて目にした時からして異常であろう。何もかも違うのに。
なのに何故『彼女』が脳裏に――
「ロアン、また何も食べていないの?」
瞼を押し上げると目の前にリディアが居た。いつのまに部屋に入ってきたのか、全く気がつけなかった。
「それとも、外で済ませてきた?」
「いや、食べてない」
やっぱりね。そう言って彼女は手際よく、テーブルにワインボトルとチーズ、リエットの缶詰とバゲットを並べる。
「お腹に何も入れないのは良くないわ。食べましょう」
そう言ってグラスにワインを注いでくれた。
「ああ、ありがとう……」
身体を起こしてチーズを口に放り込み、ワインで喉に流し込む。リディアがリエットを塗りたくったバゲットを差し出した。
「今日は帰るのが遅かったのね。国立図書館に行っていたのではないの?」
「ああ、図書館には行ったよ」
何かあったでしょう。そう言いたげなじっとりした眼差しを感じつつ、受け取ったパンに噛り付いた。
「ある仮説を確かめていただけさ」
「……図書館で?」
図書館で何を確かめるというのか。そんな当然の疑問を黙殺する。
「まだ、判断材料が足りないんだ」
「……そう」
今は聞かないでおいてあげる。そんな声が聞こえてきそうだった。ソファに深く座り直しワインを傾ける彼女を見て、そういえばと、帰り道に買ったショコラ・ノワールをポケットから取り出した。
「あら、私の好きなショコラじゃない」
「ちょうど店の前を通りかかったから」
彼女はショコラを口に入れて相好を崩す。
「これ、このワインによく合うのよね」
そんな彼女をしげしげと眺める。ショコラを口にした時の笑顔は子供の頃から変わらないな、とぼんやり考えていた。
「ひとつ食べる?」
「いや、いま甘いものはいらない」
「じゃあ私が全部もらうわ」
そう言って機嫌良く笑うリディア。
その横でチーズをもそもそと食べながら、思考は夢に引き戻されていく。
ダイヤモンドリリーの花束を嬉しそうに抱えた彼女。確かにあの時は幸せそうな表情をしていたはずだった。
しかし。
――どうして俺は……!
耳の奥でこだまする、奈落の奥底から響くようなどす黒い叫び。
未だ理由の判明しないそれに、心は強く苛まれていた。




