きばと布団
千賀が風呂を洗い、俺が皿を片付けるのも日課になってきた。
俺はいつぞやの古本屋で買った本を読んでいたら、風呂を洗い終わった千賀がひょこひょことやってきた。
「それは何の本?」
「お前の取説」
千賀は本の内容をチラ見して、「成程」と納得した。
「山村、そろそろ風呂に入っても大丈夫だろう」
何をどう観察したらその結論に至るのかは謎だが、俺の体調を管理している千賀が言うのならばそうなのだろう。
俺は何も言わずに風呂に入り、その後千賀は烏の行水をした。
「山村」
千賀は自分の布団の上でスタンバイしているが、俺は固い布団の上で足を伸ばすのが嫌だったので、ベッドの上に千賀を置き直した。
ベッドにはまだ千賀の掛け布団が残っていたので、千賀も納得してくれたようだ。
俺が千賀を椅子として座ると、千賀は俺を回して自分と対面する形で置いた。
俺は少し照れと抵抗があったので、股で千賀を挟む形から、足を横に出して体を捻るスタイルに変えた。
「山村がよく見える」
千賀はふわりと微笑んだ。
だが俺は絆されてはならないと気を引き締めて、千賀に「ほら、なんて言うんだ」と囁いた。
「俺は君がいないと生きていけない」
「ダウト」
普通に店に予約を入れまくれば生きていけるため、俺は却下した。
「山村、それは本当だよ。俺はもう、君なしで生きていくビジョンが見られない」
「千賀、それを世間は依存って呼ぶんだ。それは健全な関係性じゃないんだよ」
千賀は珍しく更に言い募るが、俺はつれない態度でダメだと言い続けた。
「俺は千賀を支えたい訳じゃない。一緒に歩いて行きたいんだ。せめて、支え合う関係くらいでないと受け入れられない」
「山村は、何と言うかすごく独立している感じがするね」
「そうだな」
俺は千賀の言葉に首肯した。
これまで付き合ってきた女性からも、別れの言葉でそう言われたことがあったからだ。
「山村。俺は君の血が飲みたい」
「だったら何か言うことは?」
俺がそう言うと、千賀はあれと思ったみたいだった。
「お願い……します?」
「よくできました」
俺は少し首を傾けて顎を上げ、千賀が首元に口をつけやすくしてやった。
「本当にいいのか?」
いつも何度も却下されるのに、今日は比較的スムーズに済んだから理解が追いついていないようだ。
「毎度言わせるなよ、恥ずかしいからすぐ終わらせてくれ」
千賀は俺の言葉に頷き、ゆっくりと頭を俺に沈めていった。
まずは、痛くないようにと千賀はせっせと舐める。何が楽しいのかは分からないが、大分興奮するような出来事らしい。
「ゆっくりだ。落ち着いて」
千賀の牙が肌を滑り、痛みと肉が裂けて空気を感じたと思ったら、すぐに吸いつかれた。
いつも思うのだが、こんな小さな傷口でどうしてちゃんと血が吸えるのだろうか。
血液の凝固を妨げる物質はあるのだろうが、傷口を塞ぐ効果と矛盾しているようでよく分からない。
安定して血が滲み出すようになったのだろう。
千賀は夢中でそれを舐め取っている。
千賀はこうは言うが、では他の千賀の依存先としてはどこがいいのだろうか。
海堂女史は千賀と話さない方がいいという結論となったし、会田の血は好みでないという。
狩人二人はその関係までは断るだろうし、星はそもそも同族だ。
俺は様々な人間関係があることで千賀のことをそれぞれの面で相談できるが、千賀の気持ちは全て俺……いや、教授に会いたいとも言っていたか。
そこにしか集まっていない。
教授は敵ではないが、味方かは分からない。
会いに行って何をされるかは分からないし、恐ろしくもある。
そもそもちゃんと会えるかも分からない。
千賀にも、同じような程度の同族の話し相手や、俺も同じような餌者という立場の人間がいれば、もっと交友関係として安定するのだろうが……。
千賀の中には得体のしれないマリアがいる。
だが最近、マリアはこのまま放置してもどうにもならないのではとも思ったりもする。
千賀が突然、震え出した。
さっさと傷口を舐めて塞ごうとしてくる。
普段であればもう少し食事を楽しむだろうに、どうしたのだろう。
「私はなんて罪深い行いを」
千賀は指で上品に涙を拭うような仕草を見せた。
マリアだ。
指先は次第に口元に行き、自身の牙に触れて「あぁ」と声を漏らす。
「俺の千賀から出ていけよ」
俺は自分が思ったよりも冷たい声でマリアに言った。
「約束がある」
千賀は唇の血をせっせと舐めている。
やはり欲求までは誤魔化せないらしい。
俺はものは試しと、千賀の頭を俺の首にもう一度寄せてみた。
「いっ」
普通にガリっと噛みつかれた。
その後、慌てたように忙しく舐められた。
「ごめん、山村、ごめん」
「許す」
牙の傷跡はなかなか治らないから好きじゃない。
千賀は血を舐めるためではなく、俺を気遣ってか、長い間首を舐め続けた。
なかなか傷口が塞がらなかったので、普通に流水で洗ってから絆創膏で塞いだ。
「お前の唾液には殺菌作用もありそうだが、一応な」
千賀は自分の役割を一部水に取られたことを少し気にしていた。
「で、お前はどうして俺を噛みついたんだ?」
「ごめんなさい」
千賀は俺に謝ったが、俺は「そうじゃない」と謝罪を受け入れない。
「さっき謝罪は受け入れたから。今はどうしてそうなったのかを説明してほしい」
俺の言葉に千賀は考え始めた。
そして、ゆっくりと、言葉を選びながら語り始めた。
「最初、山村は多分俺のことを考えていた。その次に、山村は他の人のことを考え始めたように感じて嫉妬した。最後に、山村は俺ではない、俺の中にいる存在について考えたと思ったら、勝手に口が動いていた」
「そうか」
「その後、山村を噛みついたことで俺だけになった」
「お前の主観ではそうなのか。なるほどな。どうにもならんな」
千賀は俺の言葉に頷いた。
「というか、お前俺が何考えてるのかまで分かるの怖いな」
「確証はないが、山村はよく色々なことを考えているから、匂いとか、心拍とかも合わせて予想している」
「嘘つけないじゃん」
「そうだが、何か問題でもあるのか?」
千賀はこてんと首を傾げた。
「まぁ、俺は詭弁を使っても嘘は吐かない主義だから問題はないな」
「知っているよ」
山村は俺の手に触れようとしたので、俺も千賀の手に触れて、手を取り合う形となった。
「じゃあ、お前はいつも俺に口で許可取っても躊躇うのは何でなんだよ」
「それは……山村がいつもどこかで俺のことを受け入れてくれている感じがするから、俺からするといつでもいけそうな気がするんだ。だがいざその場になると拒否されるから、確認しないと不安なんだ」
「そ、そうか……」
俺は、俺が思っている以上に千賀に甘々なのかもしれない。
まぁ、飯も作ってくれているし、これくらいはいいだろう。
いいよな?
俺が寝ようとすると、千賀はまた掛け布団の交換をした。
「結局俺の布団に収まるのならやる必要なくないか?」
「山村は素人だな」
「あ、はい」
千賀は何か講釈垂れるような態度になり始めたので、俺は素直に自分の無知を認めた。
さすがに布団交換の意味は全く分からない。
「俺の布団に、山村のものがあるということが堪らなく興奮する」
千賀は何だか誇らしそうにそんなことを言うので、俺は残酷な事実を突きつけてやった。
「千賀さ……いつも思うんだが、それ犬と同じだぞ」
千賀は固まった。
俺は、俺の布団に千賀のものがある現状の気持ちを考え始めた。
少し安心するかな? 程度であった。
よって、共感はできなかった。
千賀はそれでもめげなかったらしく、結局俺の掛け布団は一日ぶりに俺の元に帰ってきた。
俺は何だかなぁと思いながら、電気を消して寝た。
さすがに布団交換の意味は私も分からないわ。




