080 わかさと温もり
そして早めに上がり、千賀に風呂を譲ってから、一本電話をかける。
「もしもし、山村です。お久しぶりです、星さん」
「久しぶりだね山村君。元気かい?」
「お陰様で、お店教えてもらってから千賀は元気になりました。俺はぼちぼちです」
そう、俺が連絡を取っていたのは星だった。
ここで千賀が自分の性質に振り回されつつある中、他の連中がどう対策を取っているのか先達に聞いてみることとしたのだ。
俺は星に、千賀が飢餓から脱してからの話をした。
星は笑っていた。
俺は星についても聞いてみた。
「プライベートなことですが……星さんは、そういう欲求はどうしているとかありますか?」
「オレ? オレは自分の山とか北海道とかで忍び猟やったり、釣りしてたりするね。もちろん、怪しまれない様に道具を使ってだよ。そっちの方が獲物を苦しませずに済むしね」
「なるほど……」
俺は机の上の紙に[銃猟、釣り]とメモをした。
「それにしても千賀君はまだ若いね。歳食ったらもう少し落ち着くとは思うけど、しばらくはそんな感じかもね」
「暫くってどれくらいでしょうか」
「20年くらいかなぁ。人にもよるけど」
やはり、それまで俺の体力は持たなそうである。
どうにかしなければ。
「その間に、ひょんなことで人間を襲ったり事件を起こしたりして始末される同族は多いからね。日本ではオレらの数って結構少ないんじゃないかな」
「ほぇー」
確かに言われてみればそうなのかもしれない。
ついでに俺は、犬の玩具のことも相談してみた。
「え、何それ。ヒャッヒャッヒャ、超面白いんだけど。グフフフフ、夜の貴族とかとも呼ばれてるオレらを犬扱いとか、山村君って超面白いね。ここ半世紀で一番笑えるわ」
「そうなんですが、よく考えていくとここに行き着いたんですよ」
「確かにオレらにはそんな面がある。人を襲いたくないって時にそういうの使ってもいいのかもね。ま、普通はそんな時ないけど」
そりゃそうである。
この人の多い現代、少し催眠か暗示か何とかすれば食糧は簡単に手に入るのに、何を我慢するって話なのだろう。
しかも、公営の施設まである。
まず飢えるなんてことはない環境であるのだろう。
「千賀君には山村君がいて良かったよ、ホント。君の力で〆切れない時は俺を呼んでね」
「ありがとうございます。心強いです」
そう言って「またね」と電話は切れた。
一先ずは自分の方針が強ち間違いではなかったことを確認できた俺は安堵のため息を吐いた。
「山村」
千賀が風呂を出たようだ。
俺は「明日の用意が終わってからだ」と待てをし、一番大きなザックに服などを詰め始めた。
「明日は何時ごろから行くんだ?」
「昼飯からという話なので、11時には向こうに着きたい。家は8時頃に出発しようか」
「分かった」
俺はスマホの充電器や歯ブラシなどの明日も使うもの以外を鞄に詰めた。
「そういえば何かお土産を持ってかなくてもいいのか?」
俺がそう言うと、千賀は「買って行かなくてもいい」と言う。
「そんな訳ないだろ、明日道の駅寄ってから行こう」
千賀は俺の言葉に何も反応しなかった。
「千賀。言ってくれないと分からない」
「……持って行く事で期待を裏切るのも怖いし、持って行かない事で文句を言われる方がマシだと思っていたんだ」
「どんな環境だよそれ」
千賀はそれ以上何も言わない。
言いたくないのだろう。
俺はこれ以上の追求はプライバシーの侵害だろうと勝手に判断して、ソファに座って休憩し始めた。
「山村」
荷物を詰め終わった千賀に声をかけられた。
「どうしたいんだ?」
千賀が何を言いたいのかは分かるが、俺は千賀のために黙って何か言われるのを待っていた。
「実家に行く前に、俺に山村の温かさを分けてほしい」
「具体的にはどうしてほしいんだ?」
「俺の膝の上で少しだけ君の首を齧りたい」
「齧るな、やり直し」
俺は容赦なく部分訂正を求めた。
程度によってはだが、俺はこいつに齧られたら死ぬから許可できない。
「……山村の命を分けてほしい」
「俺は悪魔とでも取引してんのか、もう一回」
強ち間違いではないのだが、俺とお前の関係はそうではないだろうとやり直しをさせる。
毎度よくポンポンと色々な言葉を使うのに、どうして素直に頼むのが一番難しくなっているのか。
それは恐らくだが、素直に願いごとを叶えてもらった経験が一番不足しているからなのだろう。
「俺の小腹を満たしてくれ」
「普通に失礼でダメ」
「ならば……俺の食事に付き合ってほしい」
これは判定を迷う返答である。
うーんうーんと唸る俺に、千賀はダメ押しで「頼む」と言ってきた。
「分かった。いいぞ」
俺は折れた。
俺も弱くなったものだ。
「ありがとう、嬉しいよ」
千賀は幸せそうに微笑んだ。
これは加点対象である。
素直に感謝の言葉を伝えられて偉い。
ここだけ切り取ると美しいのだが、如何せん今の奴の頭の中身はダニとかカとあまり変わらない。
千賀は俺のベッドに腰掛けて「おいで」と言ってくる。
俺は千賀の腕に収まるように、横向きで腰掛けた。
「明日は何もやらんからな」
天井を見上げながら俺が予めそう宣言すると、奴から表情が抜け落ちて瞳孔がどんどんと丸に近づいていく。
これは、まずい。
思い返せば、奴は自分のベッドに俺を入れて自分のものになったとか言っていた。
もしかしなくとも、それを思い出させてしまったらしい。
馬鹿か俺は、自分の命張って千賀の精神力耐久実験なんて洒落にならないぞ。
「落ち着け。息を吸って、吐いて」
千賀は俺の言う通りに深呼吸をするが、逆効果だったようでどんどんと顔が迫ってくる。
顔の圧がすごい。
俺は思わず千賀から顔を背けて、
「なるべく目立たないところにしてくれ」
そう、弱々しく言うことしかできなかった。
豚一頭では人間を数日しか養えないのに、その豚を殺さずに少しずつ搾取しながらという条件まで加えると、人間は餓死するだろう。
それはここ数日痛感していることであった。
千賀はただでさえ身体が大きい。
加えて、日中に動き回っている。
そんな状態で今までよく我慢できていたと思う。
特に最初の頃、俺が血を口に近づけても意地でも口にしなかった時もあり、こいつは本当に鋼のような自制心を持ち合わせているのだなと思い返しては感心している。
だが、と千賀を見る。
今はサラサラの髪の毛しか見えない愛しい奴であるが、最近、俺に対して理性が崩れがちではないか。
これは俺が舐められているのか?
いや、そうではない。
きっと、千賀がやっと俺に心を許してきたのかもしれない。
昔からずっと千賀の心の中には様々な欲求があったはずだが、それらはずっとラベルすら貼られずに部屋の隅でずっと瓶詰めにされてきたのだろう。
俺はそれを文句を言いながら、しつけをしながら、今、一つ一つラベルをつけて開封しているのだ。
その過程で、いくつかの不慣れな感情が小爆発をしてもおかしくはない。
こいつも人間から変質してしまっている訳だしな。
千賀が血を舐めるごとに、少しずつ頭が冷えていく感覚には覚えがある。
多血症気味で千賀を必要としていたのは、寧ろ俺だったのかもしれない。
星も言っていたが、俺は『食べ頃』だったのだろう。
千賀を煽るのは酷なことだったかもしれない。
「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした」
意外と早い終わりだったが、千賀は俺を離す気がないようだ。
「頼む、山村。暫く俺に身を預けて、明日からの充電をさせてくれないか」
「……仕方ないな」
千賀の一発合格により、俺は寝るまでの間、千賀の冷えた身体を温め続けた。
山村、だいたい千賀に頼むと言われれば許してくれる説、あります。
この男、意外と甘いぞ?!




