008 やきにくと駅
千賀は最近、車で通勤している。日の光を避けるには好都合なのだろう。
千賀の車は少し新しめの黒いジムニーだ。ジムニーは新しいデザインの方が角ばってきていると聞く。
助手席に乗り込むと、車内はほぼ無臭だった。キーホルダーの類などは一切なく、ただ静かに小さな塵が舞うばかりであった。
車が発進した。
だが、ニュースも音楽もかけない車内は、とにかく沈黙が辛かった。
「千賀先生は音楽とかかけないんですか」
「最近のものは好かん」
カッチッカッチッとウインカーの音ばかりが大きく聞こえる。
「……実は、こうなってから音も光も強く感じるから、更に聞かなくなった。そういう君は、何か聞きたいものはあるのか」
「いや、特にはないですね」
さすがに千賀の前で自分の趣味全開のアニソンなどを聴くつもりはなかったので、俺は適当に流すこととした。
「何か食べたいものはあるか」
千賀がそんなことを聞く。
「それって、奢りですか?」
「そうだ」
千賀は運転席からそう言ってきた。
なんで、と聞き返そうとして、すぐに理由に思い当たった。これも、採血の対価なのか、と。
「じゃあ焼肉」
「分かった」
千賀は運転を続け、とある駅ビルの駐車場に車を停めた。
駅ビルの中の少し良い焼肉屋の肉は、いつも食べているスーパーの豚肉とは種類も味も違った。
「うまいか?」
俺が食欲に任せてバンバン注文する横で、千賀はゆるく微笑みながらずっと俺を眺めていた。
俺は何となく不気味に思いながらも、肉がうまいのでそちらに集中していた。
だが、腹が満たされ始めるとさすがに気になって来たので、聞いてみた。
「なんでそんな見てくるんですか」
「あ、いや、羨ましいなと」
「羨ましい? 食べりゃいいじゃないですか」
俺は千賀の方に皿を寄せるも、千賀は箸すら持とうとしない。
「食べると吐く。それに、うまそうだと思えない」
トングで焼いた肉をひっくり返してはそんなことを言う。
「本当に人間じゃないんですね」
「残念ながら、そのようだな」
千賀はふぅとため息を吐くと、周囲の様子を素早く伺った。
そして、俺が頼んだではない生のレバーの欠片を、ひょいと摘んで口の中に入れたではないか。
「あっ」
千賀はそのまま咀嚼して嚥下してしまった。
「食中毒になったらどうするんですか」
「なるならなって欲しいものだ」
千賀はそう嘯き、残ったレバーを焼いて俺の皿に勝手に置いた。
レバーは生臭くて好きじゃないんだが、千賀のいる手前、仕方なく食べることとした。
やはりおいしくはなかったが、文句も言えなかった。
お会計は3000円を優に超えていたが、千賀は何も言わずに本当に奢ってくれた。
二人で焼肉の香りを漂わせながら、適当に駅ビルをぶらつく。
「山村。君はこの前このカードの履歴が見れると言っていたな」
「はい、見れますね」
「丁度良い。確認に行こう」
「そうですね」
話がまとまったので、エスカレーターで一階ずつ駅ビルを降っていく。
エスカレーターの二段下に立つ千賀からは、やはり甘い匂いがする。服の洗剤や芳香剤の類ではない。これは、他の人間にあまり感じたことのない匂いだ。
これが人を拐かす吸血鬼の匂いなのかな、とふと思った。
夜だというのに、駅には多くの人がいた。
「実は、最近人酔いをする」
「俺も、人混みは得意じゃないです」
慣れたとはいえ、多くの人がいると、その分様々な匂いが混じって気持ち悪くなってしまう。
千賀と俺は覚悟を決めると、人の流れに従って券売機まで歩いて行った。
千賀がカードを差し出すので、内心俺がやるのかと思いつつも、カードの履歴を調べる。
履歴がずらっと出て来た。
「この日だ」
千賀が指し示す日のは、職場の最寄駅から、「◯◯前駅」までの記録。
「この駅って何かあるんですか?」
「私の……母校の最寄駅だ」




