078 ねおきと罠
今日から七月、二回更新になります。
前話もあるのでご注意を。
「山村、山村」
千賀は興奮覚めやらぬようで、俺に構え構えとあの牛革の玩具を渡そうとしてくる。
だが俺はそれをペシっと弾き、
「お前も明日仕事だろうが」
と言って布団の中に潜り込んだ。
千賀はそのまま布団に入ろうとしてきたので、
「口臭くなるから歯を磨け」
と布団から叩き出した。
大人しく歯を磨く千賀を見ながら、俺はこれから千賀に何をどう伝えていけばいいのかについて考えていた。
「お前さ、以前棺桶で寝れたらいいなとか言ってたよな」
「あぁ、そうだな」
「寝袋とかじゃダメなのか?」
「試してみても良いな」
布団の塊はそう答えた。
「俺さ。今日のお前、結構怖かったよ」
「私が?」
「いいや千賀がな」
俺はマリアの言葉を即座に訂正した。
マリアはマリアで怖いが、それは得体が知れないからだからな。
「お前、軽々とシカを殺したんだろ。あれが俺だったらと思うと背筋が冷たくなるわ」
「山村は俺の大事な人だからそんなことはしない」
布団の塊は心外だと怒ったような声を出した。
「分かってるよ、それくらい」
俺は自分が出した声の頼りなさに驚いた。
頭で分かっているのと、目の当たりにするのとでは、やはり話が違うのだ。
「俺は、どうしたら良い?」
千賀は不安そうな声を出した。
そうだよな、こいつ、俺を喜ばせようと思ってシカを持ってきたんだよな。
それで自分の捕食者としての側面を怖いと言われたら、何をしたらこの社会で認められるのかって思っても仕方がない。
「お前も知っているように、人間社会には法とルールがある。俺の基準なのが申し訳ないが、お前がそれに抵触しそうになったら警告してやるよ、今日みたいにな」
「そうか、そっか……俺には山村がいるんだね」
「そうだよ、俺には千賀がいるのと同じだよ」
千賀は俺の足をぎゅっと掴んだ。
「そろそろ寝るか、おやすみ千賀」
「おやすみ、山村。良い夢を」
次の朝。
アラームの音で起きた俺は、カーテンを開けずに部屋の電気をつけた。
「千賀離せ」
俺は千賀から足を引き抜こうとしたが失敗した。
だが、俺にはこの状況に対する策があった。
「忍法、変わり身の術!」
何てことはない。
単に寝巻きのズボンを脱いだだけだ。
しかし、千賀の拘束からは逃れられた。
突然腕の中のものがなくなった千賀は、もぞもぞと動き始めた。
「山村? ズボンを履かないと風邪を引くよ?」
「お前の! お前の腕の中を見ろ!」
千賀は抱きしめていた俺のズボンを見て首を傾げている。
「山村の抜け殻?」
「お前が毎朝抱きついたままの時を想定し、俺はズボンをパージすることでそこから抜け出す方法を編み出した」
「ふーん……」
千賀は捕食者の顔をしている。
これは、次からはこの方法は使えそうにないな。
「言っとくけど俺はお前の獲物じゃないからな」
「分かってるよ、俺の大事な人。健康のために朝ご飯を食べてね」
そう言って千賀は着替えている俺をよそに、朝ご飯をレンジで温めてくれた。
「山村は朝やる事が多くて大変だね」
「髪のセットとか化粧とかない分、女性よりはマシだよ、多分。あとお前のやることがなさすぎるだけ」
「それもそうか」
そんな他愛のない話をしながら、準備を終えた俺は千賀と共に車に乗り込んだ。
「そういえば、だ」
千賀は何かを言い辛そうに切り出した。
こいつよく言い辛くなるな。
「明日と明後日は休み、なんだが、俺は実家に泊まることとなった。実家には山村の説明はした。したんだが、話が通じなかった」
「そうか。まぁ俺はお前のベッドで寝るよ」
「へ?」
千賀は間の抜けた声を出した。
「お前、いつも俺のベッドで寝てるだろ。同じようなもんだ」
「い、いやいや、それは違う」
「何が違うんだ」
「何もかもが違う。いいか、俺のベッドで寝るということは、山村はお、俺のものッ……」
「いやお前のもんじゃねーよ」
俺は即座に訂正した。
「お前人のベッドに毎日寝といて何言ってんだよ。俺も寝かせろ、お前の方が睡眠とかいらないだろ」
「そ、そうなんだが、だが、その」
千賀はしどろもどろになっている。
一体何なんだ。
「じゃあお前の部屋のどっか寝れそうなとこで寝るわ」
「俺の部屋は階段下の物置なので、ベッドしかない」
「何なんだよ、お前はハ◯ー・ポッ◯ーかよ」
「誰かが迎えに来てくれたら良かったんだが」
俺はその言葉に千賀の顔を見た。
千賀は相変わらず運転中なので進行方向を見ているが、それよりもどこか先を見ているようにも思えた。
今日も山の罠の見回りに行ったが、何もかかっていなかった。
土日なので罠を閉め、カメラのデータ回収をするも、全然シカが寄りついていない。
「千賀先生。罠に全くシカが来てないんですがー」
「そ、そういう事もある」
「昨日までずっと毎日来てたんですがー、おかしいですよねー」
「そ、そういう事もあるんじゃないかな」
「あーあ、千賀先生、シカが捕まったらいつか星さんにお土産を持って行きたいとか、シカは罠にかけてカウントしたいとか言ってたのになー」
「ゔっ!」
俺は千賀に言葉のブーメランをお返ししてあげたら、クリティカルヒットしたようだ。
「あっ、今度シカが獲れたら、良かったら私もお肉のお裾分けもらってもいいですか? 一度自分で料理してみたくって」
海堂女史もそんなことを言い出した。
千賀は本当に申し訳なさそうな顔をしている。
俺は今回何かを新しく言った訳ではない。
できないことは言うものではないのだ。
「今度はあんたにしか分からない場所に、スコップとナイフでも隠してみたらどうなんだ?」
俺が実験室でそう言ってやると、千賀は少し悩んでから、
「意外と爪でやる方が早かったからいいかな」
とか言ってきた。
何だよ、人外がよ。
「で、今日はどうするんだ。採血か?」
一度店に行ってから間が開いたので、俺は千賀に食事をどうしたいのか聞いてみた。
「だが、まだ二日しか経っていない」
大体いつも三日おきで食事していたからな。
それに昨日は子ジカまで胃に収まっている。
「お前は今、満腹なのか?」
千賀は自分の腹に聞いてみてから、
「腹六、七分目くらいだな」
「なるほど。お前、最初の頃は本当に飢えていたんだな」
「恥ずかしながらその様だ」
恐らく、毎日のように食事はあった方がいい。
二日おきでも何とかなる。
だが、三日おきであの量となると、活動量に対して足りなくなるのだろう。
「今日中にあの店の予約入れておけよ」
俺はそう言い残して、自分の仕事が残る研究室に帰り、一通のメッセージを入れた。
読み返して寝袋の存在を思い出した作者がここにいる。




