077 シカと捕食者
千賀「山村、喜んでくれるかな?」
山村(ドン引き)
「おかえり、千賀」
「ただいま、山村」
千賀は何やらこそこそと家の中に入ってきた。
俺は気になってゲームを一時停止して見に行けば、その手にはシカの幼獣が。
「お前! そんなもん家に入れるな! ほら袋!」
俺はゲームを放り出し、急いででかいゴミ袋を持ってきてまだ温かなシカの子どもの死体を入れた。
「ダニが家に落ちたらどうするんだ、全く」
俺はいそいそと掃除機で玄関の辺りを掃除している間、千賀は茫然としていた。
「お前も動け。早く風呂入って来い」
俺が千賀の靴を脱がせて手を引くと、千賀は俺をぐいっと掴んで持ち上げようとしてきたので、「やめろ」と引っ叩いた。
そこで初めて我に返ったのか、「山村か」とか言い始めたので、
「風呂! 服脱げ!」
と俺は奴を風呂に押し込んだ。
風呂から何も音がしないのが不安だが、俺はシカの観察をすることとした。
今は6月の頭。
このシカは今年生まれに違いない。
まだ乳離れできていないシカは、親が草を食む間、木漏れ日に紛れて茂みの中でじっとしているという。
シカの耳の裏や腹にはしっかりとダニがついていた。こんなもん家に持って来んな。
首筋の毛は新鮮な血に染められており、これが致命傷になったことが伺える。
「どうすんだ、これ」
そう考えて、奴が捕獲したのなら捕獲者の責任として何とかしろと考え、シカの死体と何枚かのビニールを持ち、「千賀開けるぞ」と風呂の扉を開け、中を見ないようにして千賀に全てを押し付けた。
「あっ」
千賀にナイフを渡すのを忘れていたと思い風呂を覗くと、半透明の入り口にべったりと血がついているのを見て、開くのをやめた。
あいつ、爪使って解体してるな。
俺は千賀が風呂から出てくるまで、何も手につかなかったので、色々と考えることとした。
俺は確かに、山で遊んで来いと千賀に言った。
だがな、自宅にまでシカを連れて来るとは思わないだろ、普通。
現在の奴はあの見た目と態度とは裏腹に、かなりの野生児だ。これは間違いない。
まぁ、そのままシカの死体を山に放置する方が問題があるのは分かる。
今回、持ち帰ってくれたことで奴の犯行が判明し、クマを誘引する死肉を山に置かなかったのは素直に偉い。
だが、俺の家は。
どうしても処分しなければならない内臓とか、蹄とかはどうしたらいい。
俺は何もする気はない。
それに、きっと明日辺りに屠体は山に埋めにいくのだろうからそこは心配していない。
奴は入り口でシカの首を鷲掴みにしていたから、掃除によりダニの危険性もなくなった。
だから問題は、シカを捕獲してもいいのかという許可の問題である。
俺はスマホで法律を調べ始めた。
シカは狩猟鳥獣であり、俺たちは罠での捕獲許可を得ている。
うちの山は私有地であり、一応敷地は柵で囲われている。
それに、奴はきっと法定猟具は使わずに素手で捕獲したのだろう。
それを踏まえると……なんと、恐らく法律には違反していない。
なんて奴だ……。
その内に風呂から「山村」と呼ばれた。
「塩と鍋を取ってきてくれないか」
「分かった」
俺は塩の袋と、厚手の深い鍋を持って風呂の外に置いた。
ぬっと血塗れの白い腕が伸び、それらを掴んで風呂に引き摺り込んだ。
普通にホラーだった。
暫くすると、また「山村」と呼ぶ声がする。
「どうした」
「何も持たずに風呂に入ってしまった。タオルを……取ってくれないか」
「いいぞ」
そもそも風呂に千賀を突っ込んだのは俺だ。
俺は風呂の前にタオルを置いて去ると、風呂の扉が開け閉めされた音がした。
千賀が胸元からタオルで隠しながら外に出てきた。
そういえばいつもは服を持って風呂に入っているから気にしていなかった。
「なんでお前は胸元から隠すんだ」
「は、恥ずかしい……から」
やめろ。
おじさんが裸タオルで恥ずかしがる図に需要はない。
「お前最初内臓見られてないからいいとか言ってなかったか」
「やはり山村に裸を見られるのは恥ずかしいという結論に至ったんだ」
「さいですか」
千賀はごそごそと自分の衣装ケースから服を取り出してシュパパっと着替えた。
なんと手早いことで。
そして、風呂場に向かうと、まず鍋を持って台所に行った。
次に非可食部が入ってると思われる袋を玄関に置いた。
そして、くるくると丸められた皮の入った袋も玄関に持って行った。
「山村、何かシャベルのようなものはあるか?」
「いや、家にはないかな」
「分かった、行ってくる」
「は?」
俺が戸惑っている内に千賀は袋を持ってパッと出かけて行った。
昼間と比べて元気過ぎるだろ。
とりあえず不安になったので、風呂場を覗いてみる。
風呂は綺麗に掃除されており、床からは洗剤の匂いがした。
微かに生臭いが、それも換気扇を回せばなくなる程度のものだろう。
排水溝にも毛一本残っていない。
ここに関しては文句はないな。
台所の鍋には、いくつかの肉が水の中に浸けられて血抜きされていた。
見るからに柔らかそうな肉は、食べるのが少し楽しみになってくる。
食べるのは、また明日以降だろう。
そろそろ寝る時間に近づいてきたが、あいつは返ってこない。
とりあえず俺はゲームを再開することとした。
このワールドで生成されたのは金だったようで、俺の目標はまず金を掘り出すことになった。
地下からのスタートだったため、適当にそこらをぶらつくだけで金が見つかる。
これはありがたい。
「山村」
「おかえり千賀、早かったな」
ゲームを始めて数十分で千賀は帰ってきた。
その顔は充実しており、やはり散歩は必要だったのだと俺は認識した。
「散歩は楽しかったか」
俺が一応そう聞くと、千賀は「とても楽しかった」と嬉しそうに答えた。
「で、どうしてシカを持って帰ってきたんだ」
「山村へのお土産だから」
「あのなぁ。そんな猫みたいな理由でシカを持って帰って来られても俺が困る」
「お土産……嬉しくない?」
千賀は突然、自分が悪いことをしてしまったかのように思ったようだ。
「普通に考えろ。俺の家は解体場じゃない。ダニが俺についたらどうするんだ」
千賀はハッと気づいた。
こいつは俺につく吸血生物全般を憎んでいるからな。
自分につかないからといって、俺につかない訳ではない。
「だから、今度は持って帰るなら肉だけにしてくれ。袋持ってっていいから。山で解体してその場で屠体埋めて来い」
「分かった。今度スーパーでそれ用の袋を買おう」
千賀は頷き、しかしそわそわしている。
「どうした?」
「俺が……シカを殺したのがまずかったのか?」
「いや別に。職場でもわな猟してんだろ」
「それはそうか」
それでも俺が何か言いたげであるからか、千賀は答えを引き出そうとしてくる。
「俺が……シカのつまみ食いをした事が悪かったのか?」
千賀の中ではこれはつまみ食いに当たるのか。
マジか。
「いや別に。ゴールデンウィークもやってただろお前」
「そうだったな」
千賀は俺の言葉を引き出せそうになかったので、俺は仕方なく千賀に言ってやった。
「お前の散歩がとても野生的なことは分かったんだが、お前自身はどう思ったんだ」
「どうって……言った通り楽しかった」
「もっと詳しく教えてくれ」
「うーん……」
千賀は考えている。
さっきも「山村」と呼びかけながらも半ば放心状態だったことから、野生モードに入っていたために言語化には時間がかかるのだろう。
「まず、外を走るのが楽しかった。車を追い抜かして、茂みに入って、山を駆け抜けて、そのままシカを追いかけた。シカは俺が追いつくとびっくりするのが面白くって、俺はずっとシカを追いかけ回して、そして親の前で子ジカを食い殺した。子ジカの血はとても美味しかった。気がつくと辺りにシカはいなくなり、俺は死んだシカを咥えて山に立っていた。そのままどうしようという思いと、山村に見せて自慢したいという思いから、シカを持って家まで帰ってきた」
「うわぁ……」
俺は千賀の述懐に言葉を失った。
お前はシリアルキラーかよ。
根っからの捕食者で驚いた。
前々から感じてはいたが、こいつの本性は猫のような残忍さがある。
しかも、この生き物(?)のメインの被食者は人間である。
俺は知らず知らずのうちに首元の傷を撫でていた。
そりゃ、神保が俺に長生きしろと言う訳だ。
これは化け物ですね。
「お願いだから、くれぐれもその感情を人間には向けないでくれ。頼むから。約束してほしい」
「分かった、約束する」
千賀はあっさりと約束してくれた。
これで俺はまたこいつに一つ楔を打った。
俺はまだ千賀に言いたいことがあったが、今晩はこれ以上詰め込んでも効果が薄くなるだろう。
そうだ、最後に一つ、聞いておくことがあった。
「お前、シカを捕まえることでお前自身が法律に違反するとか考えなかったのか?」
「実は、いずれやってみたいと思いずっと調べていた。法的には多分大丈夫だと思う。私は日本国民だからね。法律はちゃんと守らないとな」
「怖」
こいついずれ法の抜け穴を探して殺人とかまでやってのけるのではないかという恐ろしさがある。
「なぁ、お前は人間だった時の感覚ってどこまで残ってんだ? こうなってからまだ二ヶ月も経ってないだろ」
俺が気になってそう聞くと、千賀はまた「うーん」と悩んでいる。
昔は本当に自分の感情を口にすることさえ難しかったから、その時の感情の記憶はあまり整理されていないのかもしれない。
「既に過去のもので、人間であった時の感覚はとても掴み難い。確かにシカを狩るのは非常に残酷であるが、今は狩猟すら仕事になる時代であるし、シカにとっても、人間にとっても、都合が良いのではないか?」
「だが、屠畜場の人間が殺しに快楽を覚えたら罷免されるぞ」
「それはそうだが、私は人間社会で生きると決めたので、この牙を向けるのは山村と敵だけと決めている」
敵の前に俺に牙剥くなよ、怖いなぁ。
「しれっと俺に向けているのは気になるが、そういう話じゃない。人間社会で、殺しの快楽は決して容認されないものだというのは分かるか?」
「それは分かる……ようで、知識としては分かっているが、今の感覚と結びつかないのが現状だ」
そりゃそうだろうな。
猫に生き物殺すなと説いたところで、次の朝にはネズミをまた獲ってくるだろう。
だが、千賀は元はといえば人間で、この社会で生きることを望んでいる。
俺は少し悩んでから、千賀にこう言った。
「お前が今日追いかけ回したシカも、食い殺した子ジカも、俺と同じように尊い命を持つ生き物で、それは奪われて当然のものではないんだ。お前は今度から命を奪う時、俺のことを思い出せ。俺とシカ、生まれが違うだけで何ら変わらない生き物であることをよく頭に叩き込め」
「……ダニやカもか?」
千賀は俺が想定していた回答だったので、想定していた答えを返す。
「そうだ。俺は人間だが、もしかしたらダニやカだったかもしれない。まぁ、それはそれとして俺の血を吸おうとするなら殺す。生存競争だからな」
「生存競争……」
「お前だって、生き物(?)だが生きるのにシカの血が必要だったんだろ。それは悪いことじゃない。猫のように狩りを楽しむのも、本能なんだろ。だが、人間社会にいる以上は、人間の倫理を理解して従え。それだけの話だ」
「成程。山村の言ったこと、忘れない様にする」
「そうしてくれ。そんじゃ、歯を磨いて寝るぞ。お前は服を着替えてからな」
俺は土で汚れた服を着る千賀にそう言ってから、洗面所で歯を磨き始めた。
やっと千賀の危険性に気づいた山村。
遅すぎんだろ!
あっ、ちなみにこの話は6/9に投稿していますが、まだストックは約2万7千字ありますね。
毎日暇な時は一万字ペースくらいで伸びますね。
これ第一部なんですが、第二部も執筆予定ですね。
つまり、まだまだ楽しめるドン!
2026/6/26追記
現在のストックは約15万5千字です。
今日から七月なので、朝晩の2回更新にします。
更新は、加速するーー。




