074 くうふくと約束
むぇぇ……。
「真面目な話をするよ。むーちゃんは、今の職場でこれからずっと働くのは難しいと思う」
会田が切り出したのは本当に真面目な話だったが、俺は千賀椅子という不真面目極まりない格好で話を聞く羽目になった。
「それは俺もそう思う」
俺は会田の話に首肯した。
千賀は、
「どうして……」
と俺に裏切られたかのように話すが、これは当たり前の話である。
「まず、取材は受けられない。映像で認識されないからな。学会も難しいかもしれない。撮影されるかもだからな。リモート会議なんて以ての外。会食も難しい。食べるものが違うからな。そもそもお前、日中の勤務時間に出勤することが大分きついだろう」
「……」
千賀は返事をしない。
こいつもそれくらいは分かっているだろうから、きっと辞めたくないのは他の理由だ。
「山村と一緒に働きたい」
そんなこったろうと思った。
ただ今日体調を崩した手前、俺も千賀が職場にいる方が安心する。
だが、それでは良くないだろう。
「お前が選べ、お前の道だから」
だから、俺は自分の言葉を言わない。
俺が千賀の邪魔をしてはならない。
今までは、千賀がいなくなったら自分の仕事がなくなると思った。
それは、職場という自分の居場所を自分で見つけていく予定だったからだ。
だが、俺にはもう居場所があるから。
どんな職に就いても、文句はない。
「山村、お前の就職の話は」
「それはもう別の形で叶えてもらったから、忘れてくれ」
俺は「よく覚えていたな」と笑うと、千賀は「忘れる訳がない」とどこか自慢げであった。
そうか、これからも俺は千賀といくつもの約束を交わしていくのだろうなと思った。
会田はそのやり取りを見て、「ありがとうございます……」と手を合わせて拝んで来たので、
「縁起でもない、俺はまだ死んでないぞ」
と言ってやると、「ファンサ!」と喜びやがった。
こいつ、無敵だな。
「ま、今日はそれくらいかな。あとは二人の時間を楽しんでね。あと、教授に会いに行く時は僕も連れてってよね」
会田はそう言い残して去っていった。
千賀は会田を見送ると、
「風呂にする?」
と聞いてきた。
俺は既に昼にシャワーを浴びたと言うと、そのまま鞄から何かを出して俺を膝に座らせた。
「山村、俺の食事に付き合ってください」
「まさかの二本目」
先ほど血が入っていた容器の二本目が鞄から出てきた。
量は同じくコップ一杯ほど。
こいつはそんなに飲むのか。
俺の血だけじゃ全然足りてないだろ。
「山村が一番だよ」
「そうじゃない、お前、そんなに我慢してたのか?」
「……」
千賀は血の容器を見る。
俺の顔を見る。
血の容器を見る。
「実は、自分がどこまで飲めるのか分からない」
「分からないのか」
「今までお腹いっぱいに血を飲んだことが無かったからな」
俺は気づかぬ内に千賀にひもじい思いをさせていたらしい。
そりゃ理性も多少なりとも削られて当然か。
「付き合うよ」
俺は千賀の膝の上に座った。
千賀は俺を抱きしめながら、いつものようにちびちびとした食事をし始めた。
「山村。ご馳走様」
気がつくと千賀の食事は終わっていた。
俺はうとうとしていたようだ。
「寝るか」
俺は千賀から離れ、身支度をしてから千賀よりも温い布団に入った。
千賀も遅れて布団に潜り込んできた。
「おやすみ、千賀」
「おやすみ、山村」
そうして、今日という日は終わった。
次の日、アラームで起きて布団から抜け出そうとするが出られない。
主にこの布団の団子のせいだった。
掛け布団を引っ剥がすと、幸せそうな顔で俺の足を離さないで寝て(死んで)いる千賀がいた。
「千賀」
一応声をかけるも起きやしない。
カーテンを開けようとするも、足が動かないので開けに行けない。
普段は俺よりも早く起きて飯の準備をしていることの多い千賀が仕事の日に寝こけているのが珍しい。
まだ少し時間があったので、千賀の観察をして弱点を探すこととした。
決して愛おしかったからとかではない。
見れば見るほど、綺麗な顔つきをしている。
鼻筋はすっと通り、寝息一つ立てていない。
長いまつ毛はピクリとも動かない。
頬には血の気はなく、しかし唇を見るにいつもよりは血行(があるかは知らないが)がよさそうに見える。
薄い頬をぺちぺちと叩くも、起きる気配はない。
俺はどこまでやったら千賀が起きるのか面白くなってきた。
頬をむにーっと引っ張ると、人間と同じような歯列が並んでいる。
ここが伸びるんだよなと犬歯をツンツンすると、にゅっとちょっとだけ伸びた。
俺は楽しくなってずっとツンツンと突き続けると、むずむずしたのか歯列を割って舌が出てきた。
俺の指が避けきれずに舌に当たると、舌はまとわりついてきた。
やっとまずいと思って手を引っ込めようとするも、甘噛みされて手が抜け出せなくなった。
俺は下手を打って手まで拘束されてしまった。
「千賀」
再び呼びかける作戦に入ったが、反応はない。
揺り起こそうとしても、起きない。
俺は少し考えて、奴の人とは少し違う形の耳に向かって、
「千賀! 起きろ!」
と怒鳴った。
狭いベランダの桟に来ていた鳥が飛んでいった。
「離せこの野郎。今日は仕事だ」
俺は奴の口からゆっくりと手を引き抜くと、名残惜しそうに最後まで舌がついてきた。
「やまむら、しごと……?」
「そうだ、起きろ」
千賀は寝ぼけているようで、もう一度俺の足を抱き枕にして寝直そうとしてきたので、俺はゲシゲシと蹴って抜け出した。
多少起きていると拘束が弱まるようだ。
「俺は飯食って身支度して出てくからな」
そう宣言し、冷凍庫からご飯を取り出してチンし始めた。
千賀はまだベッドの上で伸びをしている。
まぁあいつの準備なんて、歯磨きと着替え程度しかないからすぐ済む。
「よく寝られた」
「それはよござんした」
千賀は髭を剃ってる俺に向かってそう報告してきた。
まるで今までよく寝れていなかったような言い分である。
「飯はあれで足りたのか」
「まだ食べたばっかりという感じがするよ」
車を運転する千賀はそう言った。
「本当はあれくらいの血がほしいのか」
「山村からはこれ以上もらえないよ」
「じゃあ、もう一人用意するか」
「それは、嫌だな」
車は少し無言になった。
「店も、今回は用意があったけど、山村の代わりに通うのは難しいと思う。あくまで非常時に助けてもらうくらいがいいかもしれない」
「どうして?」
「今回は、他に予約していた人がいたんだ。だが、俺に譲ってくれたんだ」
千賀は進行方向を向きながらそう言った。
そうか、だから当日予約でも大丈夫だったんだ。
「その人はどうしたんだ?」
「別に血液じゃなくても良かったのと、次の日にお店で用意できるってことで、飢えていた俺に自分のものを分けてくれた」
「いろんな種族がいるんだな」
「そうみたいだね」
車は最後の信号を通過し、左折して職場内へと進んでいった。
地味に今まで満腹ではなかったという気の毒な情報が出てきたな。




