070 おみせと体力
本日22話目???
混乱??
「きっとお前の中にはそういう口説き文句とかの語彙が少ないんだろ。普通の語彙は多いのにな」
「ぐっ!」
千賀は胸を押さえて蹲っている。
今日は丸まってばかりだなこいつ。
「お前もしかして、女性経験ない?」
「……」
その沈黙が答えだった。
だが、今のこいつがこれから女性経験を積むことは難しそうなので、そこにはこれ以上触れない優しさを俺は持っていた。
こんだけモテそうで、実際モテモテだったのに、誰とも付き合わないとか変人かよ。
普通に学生時代とか性的嗜好を疑われていただろうな。
「千賀はさ、もし俺が女性だったらどうだったんだ?」
「どうって……」
「何かこう、抱き心地がよくなって嬉しいとか、理解し難くなるとか、そっちの方がよかったとかないのか?」
「考えた事も無かったが……」
千賀は一生懸命俺を眺めながら考えている。
そこには情欲の欠片もない。
本当に俺をそういう目で見ていないんだな。
単に性欲が0なだけかもしれないが。
俺にとっても、千賀はそういう対象じゃない。
もう何というか、仲間というか。
もっと具体的には、ペット兼保護者兼上司兼家族兼……もっと兼任しているが、まぁそんなもんだ。
「山村にもっと脂肪がついていれば柔らかいのだろうが、脂肪の熱伝導はあまり良くないと聞くから、俺は温かないつもの山村がいいかな」
「そうかいな」
俺はその答えに満更でもなかった。
だから、今日は千賀を助けてやることとした。
「千賀。これから言う俺の言葉を復唱してみろ」
「ん? 分かった」
千賀は反射的に了承した。
お前これで俺がまずいこと言ったらどうするつもりだったんだとも思わなくもない。
「『お願いします。俺は山村を抱きしめながら血をもらいたいです』。Repeat after me」
「お願いします。俺は山村を抱きしめながら血をもらいたいです」
「おぅ、いいぞ」
俺は千賀の前で抱っこされるための姿勢を取った。
「えっ? えっ?」
千賀は混乱している。
どうしてすんなり事が成功したのか飲み込めていないようだ。
「お前が言ったんだろ。やるなら早くしてくれ」
「なんで、なんで?」
千賀はわたわたと動き回っている。
どうしても理解し難いようだ。
「ほら、お前食事しなくていいのか?」
「す、する、します!」
千賀はふわっと俺を抱き抱え、この前のようにお姫様抱っこをしながらベッドに腰掛けた。
「いい?」
「どうぞ」
千賀は俺の言葉に堪らないという顔で襲い掛かりたいと顔に書かれていたが、俺の目を見て頷き、ゆっくりと俺の首筋に頭を埋めていった。
改めて、今俺は吸血鬼に襲われているんだな、きっと皆が恐れるのはこの姿しか見ていないからだろうなとも思った。
長い。
千賀の食事はなかなか終わらなかった。
俺に気を遣い過ぎて傷を小さくしたか、それとも。
それとも、俺の出血量が少ないからか。
やっと病み上がりを脱しつつある俺だが、最近は何かなくともすぐにコテンと寝てしまうことが多い。
もしかしなくとも、こいつの食事のせいだろう。
体感として、普通に採血した時の方が多く血を取られている気がするが、体力的に消耗するのは断然直接舐められている時の方だ。
そろそろ一度、休憩を取ってもいいかもな。
それにしても長い。
感覚的には既にぺろぺろタイムに入って長い。
こいつ、俺がいいって言ったから、自分の気が済むまでずっとぺろぺろし続けるつもりか?
「食べ終わった食器をずっと舐るようなはしたない真似はやめろよな?」
千賀の動きが止まった。
図星だったらしい。
「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした」
千賀は俺から頭を離し、長く伸びた牙を見せて微笑んだ。
千賀は食後の休憩なのか、俺をそのまま抱いたまま眺めている。
俺も食後の消耗から、少しとろとろと微睡んでいた。
おっと、今のうちに言っておくべきことがある。
「ちなみに、この言葉がOKなのは今回だけだからな。次回から自分で考えろよ」
「聞いてない」
「言ってないからな」
はははと笑い、俺はそのまま千賀の腕の中で眠ってしまった。
次の朝。
千賀はちゃんと俺をベッドに寝かせてくれたようだ。
抱き抱えられたまま寝ていたら身体バキバキになるから助かった。
今朝の朝ご飯のベーコンエッグを食べながら、俺は千賀に言っておくべきことを思い出した。
「千賀、見ての通り俺の身体は結構限界だ」
千賀は頷いた。
「分かってたんなら加減しろよな」
「はい……」
加減、できなかったらしい。
こいつは俺の体調を管理してんだかしてないんだかよう分からんな。
まぁ昨日はちゃんと俺にお願いもできたし、別方向での成長が見られたので、ヨシ。
「で、お前は多分お腹が空いている」
「……はぃ」
千賀は恥ずかしそうに頷いた。
空腹で恥ずかしがるなよ、もっとヤバいことをしている自覚を持て。
「よし、近日中に店行って来い」
「えっ」
「あの店だよ。名刺もらってんだろ。お前が予約入れてお前一人で行って来い」
「や、山村は?」
「俺は家で休んでる」
「何故」
「だから身体が限界近いっつってんだろ。普通に寝てるわ」
千賀はついてきてほしいという思いと、俺を大事にしたいという思いの間で揺れている。
「俺は行かないと言ったら行かないからな。お前一人なら走ってすぐ行けるだろ」
「そうだな」
走ってすぐらしい。
相変わらず身体能力高すぎるだろ。
「おはようございます、山村さん……体調は大丈夫ですか?」
「おはようございます、海堂さん。ちょっと悪いかもしれませんね」
「最近山村さん、入院とかが続いていますから。早退しても大丈夫ですからね」
「そうですね、無理そうだったらそうさせてもらいます」
とはいえ、車での送迎に慣れてしまったため、電車を使って帰るのが面倒だというのも事実。
体調は優れないが、外の見回りは欠かせない。
俺はそのために雇われているのだから。
俺は重い身体を引き摺るようにして、罠の見回りをしていた。
ああは言ったが、普通に今日は休んでもよかったかもしれない。
千賀は千賀で席を外しているし、俺は俺の仕事をこなさなくては。
「きっつ……」
俺は切り株の上に座って休んでいた。
何にしろ、この暑さだ。
しかも、蚊やメマトイもひどい。
必要最低限のことだけやって、後はすぐ帰ろう。
道が倒木によって塞がれていた。
よく見るとナラ枯れのコナラであった。
乗り越えていけなくはないだろうが、両隣は崖だ。
この体調で進むのは難しそうだ。
俺は元来た道を引き返し、いつもは使わない遠回りの道から帰ることとした。
「はぁ……はぁ……」
暑さと湿気に喘いでいる。
今まであまり意識していなかったが、千賀の体調コントロールは素晴らしいものがあったのだろう。
俺が体調の悪さを正確に認識できないほど、俺は丁寧に世話をされていたということだ。
「クソッ!」
俺は悔しくて地団駄を踏んだ。
結局、俺の生活は千賀に侵食されてしまっている。
そして、それをどこか心地よく感じている自分もいる。
それが、自立している大人として情けなかった。
そして、半ば道に迷っていることも受け入れ辛かった。
今からでも引き返して先ほどの倒木を超えた方がよかったのではないかとまで思えてくる。
あと地味にメマトイが辛い。
ふとズボンを見ると、ダニが数匹這い上がってきていた。
俺は千賀が嫉妬すると思い、ダニを払い除けた。
千賀が嫉妬する?
いや字面がおかしいが、それは事実だ。
それよりも、今ものすごく当たり前のように千賀のことが頭に出てきたことに驚いた。
確かに、千賀は大事な人だ。
だが、それに頼り切りというのは……対等じゃない。
しばらく歩くと、茂みの先に見慣れた道が出てきた。
俺は一目散に茂みを抜け、いつもの道に戻ることができた。
帰り道、ぬるりとした感覚がした手を見れば、普通にそこそこ血が出ていた。
しかも、時間が経っているのに止まる気配がない。
その時、いつぞやのシカを捕獲した千賀の、「血液サラサラだ」という言葉を思い出した。
もしかすると、あいつの唾液にはそんな効果もあるのか。それを知っているのは会田か。
スマホを見ると、タイムリーなことに会田から連絡が入っていた。
[今日やっと時間ができたから行くね]
どこに行くというのか。
そんなことはいい、このままだと俺が消耗し切ってしまう。
俺は血を流しながら、研究室へと歩いて行った。
「山村!」
途中で千賀が迎えに来た。
俺の血の匂いを嗅ぎつけてやってきたのか。
ピラニアかな?
「千賀」
俺は千賀に怪我の部分を差し出した。
「治してくれ」
こいつの唾液がどんな成分だろうが、傷が塞がるのならばそれに越したことはない。
千賀は少し迷った後、周囲を何度も見直してから、俺の手の甲に口付けした。
千賀のぺろぺろのおかげで、出血はなくなった。
その後、千賀は俺の周りをぐるぐるとして匂いを嗅ぎ回った。
そしてものすごい速さでズボンを叩き始めた。
「ダニだ」
ダニがいたらしい。
ダニを落とした後も、千賀は俺の匂いを嗅いでいる。
一体何が気になるというのか。
千賀は俺の脇の部分で止まった。
「帰る」
千賀は突然、俺を小脇に抱えて走り出した。
俺はあまりのスピードに対応し切れず、為されるがままだった。
俺はあまりの勢いに、ジェットコースターって職場でも走るんだなと思考を彼方に飛ばしていた。
メマトイ
哺乳類の目を舐めてくるハエ。
たまに寄生虫持ってる。
レンズとかに集まってくる。
千賀も重いけど、普通に山村も重いよね。




