060 ふあんと正解
本日12話だ、多分。
ようやっと折り返しですね。
楽しんでいますか?
千賀は意外なことに、食事の余韻を楽しむことなく俺を椅子に座らせ、隣に跪いた。
「山村、止血しても良いか?」
千賀の視線の先には、ガーゼが濡れて未だに血が止まっていない注射跡があった。
「任せた」
俺がそう言うと、千賀は俺の腕に顔をつけてぺろぺろと舐めた。
「これで良し」
血が綺麗に止まった注射跡だったが、俺は何となく気になって手を洗うついでにそこも綺麗に洗った。
確かに血が止まり、心なしか傷も小さくなっている。
だが、と俺は千賀を見る。
俺自身はもう慣れてしまったのだが、第三者的に見ておじさんのぺろぺろで傷を治すとか普通にキモいものなので、少なくとも外にいる時はその感覚を失ってはならないと強く思った。
「それで」
千賀は俺を自分の前に座らせた。
「山村、君は採血の時に何を考えていた?」
「何をって……これからのこと」
「血がね、少し苦かった。嫌がっている訳ではない。悲しみ、不安、そして諦めと安心。そんな味がしたんだ。一体何を考えていたんだ?」
千賀は怒る訳でも、苦言を呈する訳でもなく、淡々と俺にそう聞いてきた。
俺は、先ほどまで思っていたことを説明した。
千賀は目を見開いたまま、しばらく動かなかった。
「山村は、俺を置いていくのか?」
「まぁ、時間が来たらそうなるわな」
「……許さない」
千賀は立ち上がって、座っていた俺をひょいと抱き上げた。
「山村がいなくなるなんて、俺は許さない」
「そういう問題じゃないだろ、生き物は誰しも寿命が」
「俺は」
千賀は俺の話を遮った。
「俺は、いつ死ねるか分からない」
「そうだな」
化け物だもんな、という一言は飲み込んだ。
今それを言ったら、千賀を傷つけてしまうから。
「だが、永く生きることがいいことかは分からない。この先、お前とこういう関係のままかも分からないし、俺がどうなるかも分からない」
俺は静かに千賀に語りかけた。
「嫌だ」
「嫌でもなんでも、生き物は死ぬから生き物なんだよ。それは研究者のあんたもよく分かってるだろうに」
「それは」
千賀は二の句が継げなくなった。
「俺は、自分が生きたいように生きて、死にたいように死にたい。お前に、それを止める権利はない」
俺は残酷なことだが、千賀にそれを言い放った。
千賀は俺の顔をじっと見つめている。
「もし、その時が来たら」
千賀は片腕で俺を持ち、もう片方の手が俺の背中から肩へ、うなじを通り、首に回った。
冷たい手だった。
「俺は君を攫って、生かし続けてしまうかもしれない」
かもしれないというより、やりかねないだろう。
俺には確信があった。
なぜなら、千賀は既にその方法に気づいてしまっているから。
後は、教授から直接それを聞けばいい。
「そうならないことを祈っているよ」
そうなったら、今のままの関係ではいられなくなるから。
「だがな」
俺は息を吸って、タイミングを見計らった。
そして、思い切り千賀を押して自分から床に向かって落ちようとした。
「山村!」
床に着く間際で、俺は千賀に受け止められた。
受け止められるという確信があったから、俺は怖くなかった。
「まず、その前にお前がお前のままこの先過ごせるとも分からない。一応食糧の問題が店によって解決したように思えても、まだ、いくつも問題がある。そこに、俺まで問題を持ち込んだらパンクすんだろうが」
「は、はい」
「俺を失うかもとかいう杞憂よりも、まずは目の前の問題を片付けてからにしろ。そうじゃないと、破綻するのは目に見えている」
「分かりました」
「それと、お前が勝手に不安になって俺を持ち上げたことは、俺が勝手に床に落ちようとしたことでチャラにしてやるから、二度とやるなよ」
「山村も二度とやらないでね」
「約束するよ。お前の手を、俺は離さない」
それを言ったからか、千賀は俺を抱えていた姿勢から、普通に椅子に戻した。
そして、握手をしてきた。
「お前な、手を離さないとは言ったが、そういう意味じゃないからな。手ぇ離さないと家に帰れないだろうが」
千賀は今気づいたというような顔をした。
いや気づけよ、お前本当に大学院まで卒業した奴なのか?
「ほら、帰るぞ。お前のMk.2の話もしなくちゃならないからな」
俺は千賀と繋いでいる手を引っ張って立ち上がり、そのまま部屋の外まで千賀の手を引き続けた。
俺は千賀の帰りの車の中でうとうとしてしまい、結局千賀とまともに話す時間が取れたのはお風呂を出た後だった。
「で、お前この前酒? いや……血? まぁいいや、星の飲んでたのを一気飲みしたのは覚えているか?」
「そこまでは覚えている」
千賀は首肯した。
「その後な、お前の中のお前こと、通称Mk.2が出てきたんだよ」
千賀は僅かに身を乗り出した。
「分かったことは大きく二つ。名前は『マリア』、望みはカヅキと共にあること、しかしそれはもう叶わないため、カヅキに自分はもういないと伝えること、だ」
「マリア、マリア……」
千賀は自分に聞くようにマリアと唱え続けている。何となく気になるようだ。
「だが俺は引き続き対象をMk.2と呼称する。理由は、俺にとってお前は千賀だからだ」
「分かった」
「で、カヅキに心当たりは?」
「昔のクラスメイトとかにそういう名前の人がいたかも知れないけど、それとは違うと思うんだよね」
つまり、心当たりはないらしい。
自分で言っていたことなのにな。
「あー、あと最後に、もう休みたいとか何とか言っていたな」
「そうだね、それは何となく分かる気がするよ」
「何か理由でもあんのか?」
「特には無い。ただ感覚的にそんな感じがするってだけで」
感覚的に、か。
信じてもいいのかもな。
「それで、明後日の話なんだが。神保さんが車出してくれるって話だったけど断った。店の場所教えてくれたから、そこまで運転して連れて行ってほしい。その後、一緒に昼飯を食べながら情報交換をする予定だ」
「何の情報?」
「教授についてだ。お前が覚えているか定かじゃないが、あの宗教施設の地下で教授が現れた時、神保は『あんたが教授か』と確認していたからな。教授のことを聞いたら一度話そうということになった」
「狩人……」
千賀は警戒している。
無理もない、千賀が知っているのは狩人として俺たちを襲う神保と氏家だからだ。
「神保さんには、お前を追う時に非常に世話になったんだ。菓子折りくらいは持って行きたい。氏家はお前を追って勝手に着いてきて駐禁を取られていた。店はあの宗教が関わっている店だが、本当に俺たちを何とかするつもりなら、あの宗教施設に呼ぶはずだ。それに、お前が俺を守ってくれるんだろ?」
「勿論」
「なら大丈夫だ。他に聞きたいことはあるか?」
「大丈夫。俺が山村を守る」
すっかり千賀は俺を守るモードに入ってしまった。
扉を警戒し、窓を警戒し、天井まで注意を向けている。
俺は下手なこと言ったなと思いながら、千賀の警戒モードを解く方法を思案し始めた。
俺は自分の行動が頭おかしいものだと分かりつつも、千賀の使っている骨ガムを持って、まだ湯気を上げているお風呂に放り込んだ。
千賀は俺の行動を具に観察している。
少し温まったところで、俺が身体を拭いたタオルを洗濯機から取り出し、その骨ガムを拭いた。
「はい、千賀」
俺は、俺の残り湯に漬けて俺を拭いたタオルで拭いたために、きっと温まって俺の匂いがついているだろう骨ガムを千賀に差し出した。
千賀はそれすらも警戒しているのか、難しい顔をして眺めている。
「俺が許可するから、今日は俺の布団の上でそれ噛んでていいぞ」
千賀は難しい顔のまま、俺から骨ガムを受け取って俺のベッドに腰掛けた。
そしてそのまま顔の前に骨ガムを近づけて、ふんふんと匂いを嗅ぎ、堪らないという様子で思い切り噛みついた。
これが正解だったらしい。
俺は正解を引いたという安堵と共に、これから毎度変態的なことを考えていかねばならないのかと思い、少し気が重くなった。
山村も一応動物の研究をやっていた人間なので、どんなことをすると動物が喜ぶかくらいは分かるんですよね。
さすがに千賀がこれで本当に喜ぶとは思っていなかったとは思いますがね。




