006 りれきとダニ
今日の夕方は呼ばれなかった。
さすがに毎日血を抜かれる必要はないらしい。
しかし、千賀はまだ部屋に残っている。最近動物が活発になってきたこともあり、仕事が山積しているのかもしれない。
駅で改札を通ろうとすると、警告と共に改札が閉まる。どうやら残高不足らしい。
そういえば最近入金していなかったなと券売機へ向かい、カードを挿入。財布からお金を取り出しながら画面の様子を伺うと、「履歴」のボタンがある。
興味本位でそのボタンを押すと、ずらっと家の最寄駅からこの駅の往復の記録が出てきた。
千賀は記憶がない、と言っていた。
だが、もしかすると、「記録」は残っているのではないか。
次の日、朝が辛そうな千賀に早速話をしてみることとした。
「私の車にも、数日間の走行履歴は残っていなかった。徒歩または公共交通機関で移動したのだろう。そうなると、このカードの中に履歴が残っている可能性は十分にある」
千賀はスマホケースから緑と銀の交通系ICカードを取り出した。ペンギンの姿が描かれている。かなり古い、初期のデザインだ。
「一つ手がかりが掴めそうだな。ありがとう」
千賀は固い決意を滲ませながら、その長く白い指でカードを握りしめた。
今日から一人で罠予定地の見回りとなる。
千賀と共に俺の外用鞄に荷物を積めると、千賀は、
「悪いな」
とぽつりと漏らす。
「別に」
俺は特に何も思っていなかったので、適当に返事をした。
早速罠まで来ると、一番獣道沿いの餌が少しだけ齧られていた。やはり、シカはいるらしい。
「まぁ、これだけ足跡があったらそりゃいるか」
獣道は土が剥き出しになって踏み荒らされた道がしばらく続いていた。
今まで森の手前しか調査をしていなかったが、一本道を奥に入るだけで、これだけ獣の密度が違うのか。
ふとズボンを見ると、うぞうぞと一匹のマダニが服をよじ登って来ていた。
「うわっ」
俺は慌てて払い落とした。
ちょっと人の歩かない、草丈のある場所を通っただけでこれだ。
ダニはSFTSなどの病気も媒介する。
ここは山中とはいえ、すぐ近くには団地もあり、都市近郊林とも呼べる場所である。
「やばいな」
このシカが川に沿って住宅地にまで行ってしまったら。
子どもを遊ばせている公園にダニが出てしまったら。
なかなかまずいことになりそうだ。
ダニと言えば、とふと千賀を思い出す。
今のところ、奴が病気を媒介する心配なさそうである。
だが、シカを食糧とするようになったらその限りではなさそうだ。
大変不衛生なので、奴には絶対経口摂取するなと念を押しておこうと思う。
「ははっ」
ふと、俺が千賀に対してこんな心配をしていることがおかしくなって笑ってしまった。
別に、奴にこんなに気をかける必要もないのに、俺は何を心配しているのだろうか。
全ての罠の見回りを終える頃には、少し陽が傾いていた。
部屋に帰ると、千賀は普通に仕事をしていた。
「山村! 遅かったな」
俺が帰ると千賀は徐に立ち上がり、こちらへ歩いてきた。
途中で止まるのかと思いきや、そのまま俺の目の前まで来て、俺のうなじを見て、動かなくなった。
「何ですか気持ち悪い」
と一歩下がると、
「危なかったな」
千賀は指先で何かを摘み上げていた。
「マダニだ」
俺が何かと聞く前に千賀はそう言った。
確かに、千賀の長い指の先には短い足を動かすマダニがいた。
千賀は俺の目の前で、親指の腹に置いたマダニを人差し指の爪で刺し潰した。
「あっ」
千賀の爪はマダニを潰してなお、勢い余って親指の肉まで串刺しにしていた。
爪を引き抜くと、傷口はすっと消えてなくなった。
「……綺麗に手を洗ってください、今すぐ」
「はい」
千賀は大人しく手を洗いに行った。
マダニのメスは潰すと卵を撒き散らすので、ガムテープでくっつけてからゴミ箱に捨てるなどの処置が望ましい。
なぜ、千賀はわざとマダニを潰すような真似を?
マダニに嫉妬した?
まさか、そんな。
まだ起承転結の起です。




