057 ふつかよいと散歩
本日九話目のはず。
朝起きると、昨日の服のままベッドに寝かされていた。
「千賀」
俺はふらふらと立ち上がり、ソファを確認すると千賀が置かれていた。
机の上には、昨日もらった店の名刺と、星の名刺が置かれていた。
星の名刺の裏には、「無理せず人に頼ること!」と筆記体で書かれていた。
「そうだ、仕事」
俺はまだ万全ではないが、恐らく千賀は今日仕事だろう。
千賀に二日酔い(?)で仕事を休む気はないだろうから、奴を起こしたい。
俺は千賀を起こす方法を色々と考えて、千賀のズボンの裾を少しだけ捲った。
生白い足首が顕になった。
俺はそこに、濡れたタオルを投げた。
「ふぁっ?!」
千賀は飛び起きて壁に頭をぶつけた。
「朝だぞ。起きたか? 今日仕事じゃないのか?」
「仕事」
千賀は俺の言葉を頭の中で反芻し、やっと結びついたようだ。
「おはよう、山村」
「おはよう千賀」
今日の千賀は心なしか元気そうだ。
千賀には昨日のことを話してやりたいが、まずは、
「朝ご飯にするぞ」
俺は冷凍ご飯を温め始めた。
とはいえ、千賀は昨日食事をしたばかりだから、朝ご飯なのは俺だけだ。
だが、千賀はいつも朝ご飯の時、一緒に席に着いて俺のことを見ているから、今日もそうなのかなと思って声をかけただけである。
他意はない。
千賀はいそいそと冷蔵庫を確認し、自分が食べられるものがないことが分かったところで、卵を溶いて冷凍庫から凍ったブロッコリーを皿に入れ、醤油を垂らして電子レンジをかけ始めた。
そして、「おかず」と俺の前に皿を置き、湯沸かし器をオンにして、インスタント味噌汁も作った。
俺の朝ご飯は一気に豪華になった。
俺は千賀とブロッコリーからは逃れられない運命にあるようだ。
「不思議な感覚だ。体力は有り余っているのに、身体の末端が痺れてうまく動かないような感じがする」
「毒物でも盛られたのか」
「同族すら酔わせるようなものならば、アルコールより余程性質の悪い毒であることは確かなのだろうな」
久々に千賀の研究者モードがオンになった。
いつもこうしていればいいんだがな。
「昨日の記憶はあるか」
「二杯目を飲んでからは覚えていない」
千賀は酒に弱い人のようなことを言い始めたが、事実なので仕方がない。
俺だって、星が運転する千賀の車の中でふわっと寝てしまい、気づいたらベッドの上だったのだから。
「星が運転代行した上で俺たちをこの部屋まで運んで寝かしてくれたんだ。後でお礼言っておかないとな」
「そうなのか」
千賀は少し驚いている。
「お前はその前から迷惑というか〆られていたけどな」
「その件はその、俺が全く至らぬばかりに申し訳ない」
千賀は再度俺に頭を下げた。
「いんだよ、新生児なんだから。一つずつ学んでいくしかねぇだろが」
「新生児……」
千賀は俺の突然の赤ちゃん呼ばわりに少し不服そうだが、今までのお前の罪状を読み上げてやろうか? 今、ここで。
「星には今度、シカが獲れたら連絡しよう」
千賀がそんなことを言い出した。
どうしてシカ?
「あまりシカの血は手に入らないだろうから、お裾分けをしたいと思ってな」
「だけどお前以前一人でシカ襲ってなかったか?」
千賀は口を閉じた。
そうだよな、ゴールデンウィークの時、腹減ってお前山にシカを襲いに行ってたよな。
普通に野生化時代のことを掘り返されて、千賀は何も言えなくなった。
俺は言い過ぎたかなと思いつつも、事実だから受け入れろよなと思う。
「まぁ、星がそんなことをするとは思えないし、喜んでくれるんじゃないか? 知らんけど」
俺はこいつらの嗜好に関しては全くよく分からないので何とも言えないが、星にお礼として差し出せるものの方が思いつかないので、それでいいのではとも思った。
「あっ」
一つだけ、俺が星に差し出せるものがあったことを思い出したが、それは千賀の気を損ねるので、やめておきたい。
俺の一番は、千賀だからな。
「どうした?」
千賀が俺にそう聞くので、俺は「店の名刺もらっておいたぞ」と横にある名刺を千賀に渡した。
「政府管轄のお前ら用の店で、完全予約制、提供量には限りがあるけど、お前の食事もできる場所だ」
「これは……助かるな」
千賀はしみじみと頷いている。
俺はついでに星の名刺の裏側も見せた。
「世界は俺たちだけじゃないってこった」
千賀は一つ、頷いた。
千賀がリモートワークを始めたので、俺は途端に暇になった。
「なぁ、そろそろ俺も職場復帰したいんだが」
そう言うと、千賀は立ち上がってベッドでゴロゴロする俺を見下ろした。
俺の顔を見て、匂いを嗅いでから、
「まだだ。もう少し休んだ方がいい」
と言う。
健康診断が物理的過ぎる。
「暇すぎるから、お昼ご飯買いがてら散歩行ってくるわ」
「無理しないでくれ。お昼はテイクアウトで、12時までには帰った方が良い」
「わーったよ」
俺は適当な服に着替えて、日が降り注ぐ外へと繰り出した。
そういえば、千賀を置いて出かけるのは、同棲が始まってから初めてかもしれない。
あの甘い匂いがないだけで、世界はこんなにも広々と寂しいものに感じるのだと、何となく思った。
今日はあの店が空いていたので、久々にお稲荷さんを買った。
他にも有機農業を推進するお店も空いており、有精卵を4個ほど買った。
少し疲れたので、近くの公園の日陰のベンチに座って休むこととした。
スマホを開いてSNSを見ると、一週間どころか月単位で開いていなかったからか、見知らぬニュースやネット友達の呟きで溢れていた。
俺の日常は、思ったよりも千賀で容量を食っていたらしい。
それが嫌かと言われれば嫌ではないし、煩わしいかと言われればそうだけどそうでもないと答えるだろう。
そう、俺の最近はあの世話焼きで情けない生き物の観察で夢中なのだった。
無意識で腕を掻いたところで、蚊に刺されていたことに気づいた。
最近は蚊もこうして日陰に避難しないとやってられないのかと考えると、日本では炎天下の中働く方々が多くて世知辛いな。
大分汗もかいたし、昨日風呂に入り損ねたので帰ったらシャワーを浴びようと思って立ち上がった瞬間、ひどい立ちくらみがした。
何とか反転してベンチの背を持って耐えていると、腕時計が12時を過ぎていることに気づいた。
スマホに電話がかかってきた。
千賀からだ。
「もしもし山村です」
「千賀だ。山村、大丈夫か?」
「あんまり大丈夫じゃないかも」
俺は自分自身、素直に千賀に体調不良を伝えたことに驚いた。
「分かった。今どこだ?」
「近所の◯◯公園」
「今行くから待っててくれ」
電話はそこで切れた。
俺って愛されているんだな、とふと思った。
慌てて迎えに来た千賀が俺を抱っこしようとするので、俺は「自分で歩けるから」と千賀の腕を掴んだ。
千賀は何も言わずに、俺に腕を貸していてくれた。
千賀の車に乗り込むと、千賀は何か冷たいものを渡してきた。
何かと思えば、タオルを縦に巻いた中に保冷剤が入っていた。
俺は素直に首に巻いた。
「お茶もあるよ」
俺がいつも使っている水筒もドリンクホルダーにあったので、信号待ちで開けて飲むと冷たい麦茶が入っていた。
俺は千賀にこの気持ちを伝えようと、悪いな、と言おうと思ってやめた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
これでいい。
これでいいんだ。
散歩行って助けを呼ぶ山村。
日常が危険。




